引き金
イラクで爆撃が始まった

自分に守りたいものが出来たせいか、それとも年を重ねいろいろな想いを抱くようになったせいか?TVに映る爆撃されるバグダッドの街を見た時、12年前の湾岸戦争のときよりもずっと恐怖感を感じた

遠い国で起きているこの戦争が、こんなにも身近に感じられるのはどうしてだろうか?

子供達の間に、まだ日本にミサイルが飛んでくるという噂が消え残っているせいだろうか?

誰かが、引き金に指をかけて、じっと息を殺して構えている

その銃口が向けられた先には、もしかしたら、私達の生活があるのかも知れないのだ

その銃口の持つ、冷たく鈍く光る気配を、何処かに感じる気がするのだ

皆が、なにかが違うと気付いているのに、なにが違うのかを答えられない

少しづつ掛け違ってしまったボタンのつじつま、何時の間にか合わなくなった歯車

ずっと昔からのことだからと言われても、私達は今を未来に向かって生きているのだ

私達が、考えなくては行けないことは、この地球という星を、いかに明日という未来に運んでいくか?ではないのだろうか?

明日という日を、どう迎えることが出来るか?それを考えるべきなのではないだろうか?

明日という日は、決して過去の清算をするために存在するわけではないと思う