復帰と英断
昨年の二月のある日、当時9歳だった息子が突然歩けなくなった。数日前からの風邪に寄る発熱も収まり、ホットした直後の事だった

つま先立ちになり、少し膝を曲げて、腰を落として背中を丸めた姿勢にならないと歩くことが出来なかった、とにかく膝を曲げても伸ばしても痛いらしく、床に座らせて見ると、足を投げ出して座ることが出来ずに、膝を軽く曲げていた。

慌てて地元の総合病院で診察してもらうと、「アレルギー性紫斑病」という学童期に見られる病気ではないか?と言われ、一週間ほどでよくなると言われた。

この病気は、風邪などにかかり免疫力が低下した時に、血管から血液が漏れ出してしまう病気で、その出血が皮下で起こると紫斑に、関節で起こると関節が腫れて痛みが出る。また出血が腸で起こると激しい腹痛に襲われ、膀胱などで起こると血尿が出るのだという。

確かによくみると、息子の右膝と右のくるぶしは少し腫れていて、膝下に米粒ほどの紫斑が数個確認された。検査してみると血尿も出ていた。

しかし、一週間経っても息子の病状変わらずかえって痛みは強くなっていた。足を殆ど上げることが出来ない息子は、当然登校も出来ないため、ずっと学校を休むことになってしまった。

それから、一ヶ月の間に、ありとあらゆる検査をしてみたが、特に異常は見られず、大学病院への転院をすることになった。

大学病院で通院しながらまた検査を受けることになったが、依然として原因は不明のままだった。

病状の改善が進まないことを心配した、カート仲間が、ソフトカイロプラティクスでの治療を勧めてくれたので、私はわらにもすがる思いで、その治療も受けることにした。

すると、その効果が出たのか病状が少しづつ改善して来た。大学病院の方では、検査の為に二週間ほど入院もしてみたが、原因の解明は出来なかった。

カイロプラティクスの治療をはじめて二ヶ月が経った5月の中旬になってやっと、学校へ登校出来るようになった。

つまり、約3ヶ月の間、歩くことも、表に出ることもできなかったのだ。

ようやく、日常生活が戻ってきたある日。息子はカートに乗りたいと言い出した。

取り敢えず練習に行ってみようと、約7ヶ月ぶりにカート場に繰り出した。しかし、カートに乗るにはかなり体力が要る。スピードやハンドリングに対しての勘も、練習に耐えるだけの筋力も体力もすっかり落ちてしまった息子には、かなりキツかったようだった。

それから、毎週息子のカートリハビリが始まった。少しづつ体力をつけ、スピードに慣れ、レースに出せるくらいの状態になるまで二ヶ月近くの時間がかかった。

ようやく、病気になる前の状態にまで戻ったある日、また息子にアクシデントが襲いかかった。

練習中にカートでスピンして、今度は肋骨にひびが入ってしまったのだ。

上り調子で、かなり乗れて来ていただけに、このドクターストップは痛かった。

結局、息子がレースに復帰出来たのは、12月の事になってしまった。

発病から10ヶ月経った12月の中旬、息子は潮来サーキットで行なわれたフレッシュマンレースの最終戦にエントリした。

この一年の間、殆ど練習も出来ていない息子が、まともなレースなどできないことは最初からわかっていた。しかし、息子は、レースに復帰することで、病気が完治したのだという実感が欲しかったのだと思う。

レース前日は、朝から雨が降る寒い日だった。それでも息子は、その雨の中で、コース上に出来た水溜りの泥水を浴びながら、一生懸命練習していた。

雨女の姉を持っているせいか、息子も雨の走りには定評があった。もし、このままレース当日も雨が降るようなことになったら…。ドライのレースでは、結果が見えていたのだが、息子は最後まで諦めたくなかったのだろうと思う。

しかし、レース当日は前の日と打って変わった晴天になり、予選で健闘したにも係わらず、最終的にはビリになってしまった。

レースを終えてPITに戻って来ても、息子はヘルメットを取ろうとはせず、椅子に座ってずっとうつむいていた。

そんな息子に向かって、私はこう話かけた。
「一年近くブランクがあるんだもん、仕方がないじゃない?よく頑張ったよ」

しかし、なっとくしていないのか、息子は返事をしようとしない

ジュニアのレースの場合。エンジンの調子がレースを左右することが多いのだが、そのエンジン元々の個体差がかなり激しいため、普通は主催者側からレンタルされるエンジンでレースをする事が多いのだが、たまたま潮来でのレースは、自前のエンジンを持ちこんでレースをする方式を取っていた。

ジュニア用のエンジンはなかなかメンテナンスも難しく、調子を保つことは大変なのだ。しかし、息子が体調が悪い間、我家のエンジンは一度も回すことが出来なかったために、あまりエンジンの調子もよくなかった。

だが、いくら結果が見えていたとは言っても、実際に結果を見せられて傷つくのは、レースに出た本人である。

私はもう一度息子に向かって話しかけて見ることにした。
「ねえ、本当はもうレースに出たくないんじゃないの?カート辞めたかったら辞めてもいいよ?」

すると息子は、ようやく顔を上げた。そして、ヘルメット越しに私の顔をじっと見ていた。
しばらくして、ようやく息子が口を開いた。
「オレやっぱりカートに乗るのが好きなんだ。だから、どんなに大変でもカートは辞めたくない。でもね、(エンジンのこともあるから)ジュニアのレースにはもう出たくない。それでも、カート続けてもいい?」不安そうに私の顔を覗きこみながら、そう言った。

「そっか、わかったよ。じゃあ、もうジュニアのレースには出なくていいよ。今度から大人用のエンジンで練習して、12歳になってレースに出たくなったら、大人の人と一緒にレースに出ればいいじゃん」

すると息子は、安心したようにニコッと笑うと、やっとヘルメットをはずして、大きく深呼吸をした。

私達は、子供達のサポートクルーとして出来るだけのことをしていけば良いのだと思う。子供達の進む道を、勝手に選ぶことも、ましてや子供達の変わりにドライバーになることも出来ないのだ。だとしたら、子供が楽しいと思える環境をサポートしてやることが大事なのであって、決してレースの結果だけを求めているわけではない。

息子にとって、もうジュニアのレースには出ないと言い出すことは、かなりの英断だったと思う。しかし私は、その息子の英断を出来るだけ支えてやりたいと思っている。