2007年09月の記事


夜明け
> -アンカラ-


部屋から眺めるアンカラの街の夜明け。

昨日載せた夜景の光景から一転して夜明けの光景である。

空が茜色に染まり、今日一日の好天を約束してくれるような爽やかな眺めである。

街をシルエットにして茜空を強調するかどうか迷ったが、双方を撮った挙句、まだ明けやらぬ街の状況もご覧頂きたいのでこちらを載せた。

同じ街の光景でも、朝昼晩と時間を変えて見ると、また違った風情が出るものである。

街は何時も顔を変えて生きているのだという事を実感したものである。
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トルコ回遊録�F
「ホテルからの眺め�C」
at 2007 09/28 09:29 編集

> -アンカラ-


部屋から眺めるアンカラの街の夜景。

丘の斜面に沿って建ち並ぶ家々の灯りは、正に幻想的である。

夜景は昼間の街の汚れを隠して、星空のような綺麗な部分だけを現してくれるからなのだろう。

あちこちのモスクから、今日一日の無事をアラーの神に感謝するための、最後のコーランの祈りが響いてくる。

異国情緒たっぷりのアザーンの祈り声と共に、夜は深けて行った。




「ホテルからの眺め�B」
at 2007 09/27 06:57 編集

> -アンカラ-


部屋から眺めるホテル右側の光景。

我々の部屋はホテルの入口とは反対側に位置しているから、街の裏側の様子が良く分かる。

丘の上の断崖の頂上には城が有り、トルコ国旗がたなびいている。

国の象徴である国旗を至る所で見掛けるのも、自分の国に誇りを持っている証拠だろう。
同じ光景をアメリカでも良く見掛けるのだ。

日本では最近は国旗が掲げられているのは、警察署くらいになってしまったようである。

嘗ては国の祝日にはたくさんの国旗掲揚が見られたが、それが最近はほとんど見られなくなってしまったのは、国家に対する物の見方が変わってしまったからだろうか。

最近は君が代斉唱も云々される時代、何だか段々変な国になりつつあるようである。



「店先」
at 2007 09/26 09:50 編集

> -アンカラ-


ホテル前の街路を散策した時の光景。

こんな店がずっと続いていた。
雑貨屋のようだが、実にさまざまな物が売られている。

店内のカウンターには店主らしき男が店番をしているが、中に入らずウィンドショッピングを楽しんだ。

コンビニでトルコウィスキーと地酒を買い込んでホテルで試飲したが、地酒の方はやたらと強く、不思議な味がするので飲み切れず、自宅まで持って帰る羽目になってしまった。

国によって実に様々な地酒が有るものだと感心したものである。



「ホテル前」
at 2007 09/25 11:18 編集

> -アンカラ-


我々がアンカラで宿泊したホテル玄関前の光景。

街の中心部に有るこの4つ星のホテルは、かなり名の知れたホテルのようである。

昨日掲載した腕白坊主達は、この道を行った歩道で遊んでいたのだ。
此処を10分位歩いた右側にはスラム街が有り、ガイドからはそこには立ち入らないようにと指示されていた。

何処の国にも、街の繁栄とは裏腹の影の部分が存在するようである。

日本も貧富の差、都市部と地方の格差が拡大されつつあるようだが、新政府の力で、格差是正が図れない物だろうか。

新内閣に期待したい所だが、ちょっと実現は難しいような気がする。



「腕白坊主達�A」
at 2007 09/24 15:13 編集

> -アンカラ-


店の前に座り込んでおどけてみせる腕白少年たち。

この三人の少年は、何時も群れて遊ぶ仲良し仲間のようである。

左の少年はエアーギターの真似をしているようだが、あとの二人は何をしているのか。

全くの他人に、何の屈託も警戒心も無く、こうして自分たちをアピール出来る姿は、日本ではほとんど見られなくなったようでちょっと寂しい感じがする。

この後彼等はこの店の中に入っていったが、食事をするのでなく、店の親父や店員と賑やかに喋っていた。
大人と子供の接点は、こんな姿が自然なのだろうと痛感したものである。




「腕白坊主達」
at 2007 09/23 09:58 編集

> -アンカラ-


アンカラのホテル周辺を散策した時のスナップ。

街を歩いていたら、この少年達が我々を追い抜いたり、立ち止まったりして、盛んに愛嬌を振りまいていた。

どうやらこの近くに住む腕白坊主たちらしく、街路脇の店の親父や、主婦達に声を掛けたり掛けられたり、他愛のない事で、飛び回っている。

私の所にやって来て、写真を撮ってくれと手振り身振りで要求するので撮った写真がこれ。

更に彼等の行動はエスカレートした状況は明日載せる事としよう。

何も無い彼等だが、本来の子供の腕白振りを見るようで、私の昔を思い出したものである。



「ホテルからの眺め�A」
at 2007 09/22 10:46 編集

> -アンカラ-


アンカラのホテルから望遠する街の光景第二弾。

前回は夕日に映える街の様子をズームアップして載せたが、今回は日没後の街をカメラを引いて載せてみた。

ホテルは街の繁華街の通りに面した所に有り、部屋から街の様子が手に取るように分かる。
路地にたむろす人影などが興味深い。




「ホテルからの眺め」
at 2007 09/21 11:35 編集

> -アンカラ-


アンカラのホテルから望遠する街の光景。

ホテルに到着したのは、日没前の夕日が映える時刻であった。
ホテルは街の繁華街の通りに面した所に有り、部屋から街の様子が手に取るように分かる。

夕日を浴びて街が燃えるように赤く染まっていた。

流石に大都市だけ有って、丘の斜面に沿って住宅が密集している。
矢張り赤瓦屋根の家が多いのはお国柄なのであろう。

こうした家並みを眺めていると、日本とはかなり異質な国なのだという事が、実感出来るのではないだろうか。



「広場」
at 2007 09/20 16:46 編集

> -アンカラ-


アンカラの中心にある広場の光景。

アンカラのほぼ中心に位置するアタチュルク広場の交差点の所に有る銅像。

流石に中心街だけあって、行き交う人も多く、サラリーマンらしき人も見受けられる。

それらの人を見下ろすかの如く、アタチュルクの銅像が立っているが、なにやら下に居る兵士の像がユーモラスで、笑いが込み上げて来る。

敵の状況を観察している様子なのだろうが、ちょっとへっぴり腰で強そうに見えない。
却ってそれが人の目を引き良いのかも知れないが…




「アンカラ駅」
at 2007 09/19 10:23 編集

> -アンカラ-


車窓から見るアンカラ駅の光景。

流石トルコの首都の主要駅だけあって堂々たる造りである。

日本で言えば、東京駅みたいなものであろう。
しかし東京のように、ごみごみした感じは無く、何となくのんびりとした感じがする。

客待ちのタクシーが並んでいる所は、何処の国も同じだが、昼間にも拘らず、人影はまばらである。

アンカラからイスタンブールまで、「走る一流ホテル」と呼ばれるアンカラ・エクスプレスの夜行列車が有るという。

458キロを9時間掛けて走るのそうだが、機会があれば一度乗ってみたいものだと思ったものである。




「マンションラッシュ」
at 2007 09/18 14:37 編集

> -アンカラ-


アンカラへ向かう途中の車窓風景。

トルコの首都ともなると、流石に何処の発展途上国もそうであるが、郊外にマンションラッシュが続いているようだ。

その有様は、まるで現在の中国を見ているようである。

古い一戸建ての家が取り壊され、そこに大型のマンションが建設される。

国の発展のためには止むを得ないのだろうが、歴史遺産の多い国だけに、せめて古代遺跡の有る地方だけは、こんな光景にしないで欲しいものである。




「アンカラへ」
at 2007 09/17 10:44 編集

> -アンカラ-


アンカラへ向かう途中の車窓風景。

トルコの首都であるアンカラに近付き、車窓も一変してきた。

流石に首都だけあって、新しい住宅が、郊外に続々と建設されつつある。

現地ガイドのアルズさんの家族は此処に住んでいるとの事で、アンカラに一行が着いた時は、ホテルに泊まらず、自宅に戻って家族と一夜を共にするのだと喜んでいた。

トルコの首都はどんな所なのだろうか。
ツアーではカッパドキアから、アンカラまで鉄道で行くルートもあると言うが、我々は7時間のバスの旅であった。




「旅友」
at 2007 09/16 10:38 編集

> -アナトリア地方-


トルコ絨毯の店で知り合ったこの店の若者。

彼の名をムスタファ君と言う。
私がこのトルコ絨毯製造販売所の様子をテレビで見た事が有るような気がすると、トルコ・ティを運んでくれた店員に言ったら、その通りだと言って紹介してくれたのが彼である。

民放で土曜日の朝やっている「旅サラダ」で女優の田中美奈子さんが此処を訪れた模様を、旅の直前に見て私が覚えていたのだ。

その時、この店を彼女に案内して歩いたのが、このムスタファ君なのだ。
君の顔を覚えているよと言ったら、とても喜んで会話が弾み、2人で仲良くツーショットの記念撮影となった。

彼は我々がバスに乗ってこの場を離れるまで、盛んに手を振って送ってくれた。

日本の皆さんに宜しくと、何時もにこにこと話す気の良い若者であった。




「逸品」
at 2007 09/15 09:21 編集

> -アナトリア地方-


私が気に入ったシルク織りの壁掛け絨毯。

此処は大手のトルコ絨毯製造販売元だ。

この作品を見せられた時、最後まで買おうかどうしようか迷った商品である。

昔のイスタンブールの状況が、実に細かなタッチで織られている。

スルタン(国王)が自分の居城から、ボスフォラス海峡を眺めている光景などがすばらしい。

この絨毯裏側にひっくり返しても、同じ図柄の色が変わって、海の青色がもっと鮮やかに出る。

15万円というのを送料込みで8万まで値切ったが、私の指値の5万円までにならなかったので、断念した。

残念ながら、こうして写真で眺めている次第である。




「展示即売会」
at 2007 09/14 09:29 編集

> -アナトリア地方-


トルコ絨毯のデモンストレーションの光景。

此処は大手のトルコ絨毯製造販売元だ。

こうして来店者を一堂に集め、様々な絨毯を広げて、織り方や品質の違いを説明していく。

下に敷いてあるのは比較的価格の安い物。
今店員が広げているのは、絹の絨毯であり、光沢があるので見る角度によって様々に色が変化する。

これは目が飛び出るほど高価であり、我々庶民には高嶺の花である。

しかしどの絨毯も、本物は一生使用でき、孫子の代まで、長持ちがするのだという。

左で熱心に見学していたSさんも、値切りに値切って、別の絨毯を購入したが、それでも高価な買い物であった。



「作品」
at 2007 09/13 09:02 編集

> -アナトリア地方-


階段の登り口に置かれていたトルコ絨毯の作品。

此処は大手のトルコ絨毯製造販売元だ。

額縁に入ったこの絵が、絨毯を織った物だとは驚いた。

単なる敷物としてだけではなく、精巧に織られた絨毯は、こうして絵のように額縁に入れて観賞用としても使用出来る。

事実私の相棒は、絹で織った高価な絨毯を観賞用として購入し、今でも居間に飾ってある。

敷物の絨毯と違い、これらの観賞用絨毯は完成するまでに、かなりの日数を要すると言う。

値段が驚くほど高いのは止むを得ない事なのだろう。




「紡ぐひと�B」
at 2007 09/12 13:09 編集

> -アナトリア地方-


繭から糸を紡ぎだす作業の様子。

此処は大手のトルコ絨毯製造販売元だ。

繭を熱湯で煮て、そこから絹糸を手繰って巻き取る一連の作業が手に取るように分かる。

昔は日本の岡谷などにも、巨大な製糸工場が有ったが、実際にこうして実演して見せてもらうと、実に興味深い。

たった一個の繭が、蚕から吐き出す糸によって、途切れる事無く手繰り寄せられる事が驚異である。

しかもその糸の太さは、どれも均一で、絹糸として高級な人間の衣服や、絨毯として織られるのだから、不思議である。




「紡ぐひと」
at 2007 09/10 09:08 編集

> -アナトリア地方-


トルコ絨毯を紡ぐ女性の姿。

此処は大手のトルコ絨毯製造販売元だ。

たくさんの女性たちが図柄を見ながら絨毯を織っていく。
かなりの年期が入らないと、このように一人で図柄を見ながら織るのは難しいと言う。

こうして朝から晩まで折り続けて、一枚の絨毯が仕上がるまでには1〜3ヶ月掛かると言うから、根気の要る作業である。

私がカメラを向けたら、彼女はそれに応えてくれた。




「雲のある風景」
at 2007 09/06 09:38 編集

> -カッパドキア-


青い空に沢山の千切れ雲が映えて綺麗だった。

塩湖の反対側はなだらかな丘陵になっている。

海ではないが、砂浜は所々白く、岩塩が含まれている。

我々の乗ってきたバスが一台ぽつんと点景で置かれているが、此処にはあまり寄る人が居ないのだろうか。

観光客の居ないビューポイントも、のどかで良いものだと思った。




「塩湖」
at 2007 09/05 06:14 編集

> -カッパドキア-


見渡す限りの塩の濃度が高い塩湖の光景。

トルコの首都アンカラに向かう途中に有るこの塩湖は、岩塩が湖に流れ出て、死海と同じ濃度の塩が含まれており、人間が沈まないのだと言う。

私もちょっとこの湖の水を舐めてみたが、とても辛い。
トルコの塩のほとんどは此処で製造されるのだというので、お土産に買ってきた。

ミネラル分をたくさん含んでいて、体に良いのだとの説明であった。
トルコには自然が作り出したこんな場所もあるのだ。




「車窓から」
at 2007 09/03 15:40 編集

> -カッパドキア-


バスの窓から眺めた川の有る寸景。

まるで絵に描いたような光景である。
塩湖に向かう途中で眺めた景色だが、トルコの中部アナトリア地方の代表的な風景と言えるだろう。

大きな川となだらかな山、遠くには街並みやモスクなどが聳えている。

ちょっとした地方の小都市の佇まいだが、のどかな街に住む人々は、きっと毎日平穏でのんびりした日々を過ごしているのだろうと、眠い目をこすりながらシャッターを切ったのである。




「奇岩の群れ�D」
at 2007 09/02 11:16 編集

> -カッパドキア-


快晴の空の下にそそり立つキノコ岩。

カッパドキアの様々な奇岩はいくら見ていても見飽きない。
際限が無いので、そろそろ他の光景に移ろうと思う。

このgooのページも今月一杯でメンテナンスが不可能となるようだから、トルコシリーズの後半は、ページ終了後は別ページでの公開にしようと思う。

先ずは今月一杯はこのページでの掲載にしようと思う。



「仲良し」
at 2007 09/01 11:17 編集

> -カッパドキア-


ラクダ岩の前で、2人仲良くカメラに収まるトルコの小学生。

この子等の集合写真を撮っていたら、この2人が、私達を撮ってと身振りで要求した。

きっと仲の良い2人なのだろう。
同じトルコ人でも、肌の色も顔付きも違う。

トルコはヨーロッパとアジアの交流点。
オスマントルコ時代に、近隣各国を席巻した名残が今でもこうして人種の違いに受け継がれているのだろう。

肌の色の違う人々が、一緒に生活出来る世界が、未来の人間社会の理想像なのだろうと、この2人を見ていて思ったものである。
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トルコ回遊録�E
「作業」
at 2007 08/31 09:32 編集

> -カッパドキア-


何かを紡いでいる女性の姿。

一体彼女は何を紡いでいるのだろうか。

砂利石の地面に座り込んで編み物でもしているような仕草だが定かではない。

周りの我々には目もくれず、一生懸命作業をしている。
昔は良くこんな光景も目にしたものだが、最近の日本ではついぞ見掛けなくなった場面である。

何となく懐かしさを憶えるシーンではあった。




「タトゥー」
at 2007 08/30 14:21 編集

> -カッパドキア-


先に掲載したツーショットのおばさんの手の平。

縫い物をしていたおばさんの手が気になって見せてもらって驚いた。

何かの染料が手に染み付いてしまってこんな色になっているのかと思ったら差に有らず。

手の平に刺青をしているのだと言う。
その地方のおばさん達は、働き者の証として、こんな刺青を手の平にするのだと言う。

ここまでしなくても、トルコの女性の働き者なのは十分分かっていたが、こうして手を黒くする事がこのおばさんにとっては自慢の種であるようだ。

これを見て昔の既婚女性のお歯黒を何故か思い出してしまった。




「ツーショット」
at 2007 08/29 17:56 編集

> -カッパドキア-


地元の伯母さんにスカーフを巻いてもらい、仲良くカメラに収まったツアーメンバーの女性。

まるで本当の母娘の様に親密感を感じる光景である。
このおばさんの内面が現われている様なおだやかな表情である。

多分お店の番をしているおばさんなのだろうが、決して商品を売り込もうとしない。

2本の若い女性と写真に納まっただけで、満足しているような雰囲気だった。

このおばさん、手の平に凄い刺青が有るのだ。
次の場面でその様子をご紹介しようと思う。




「陽気なおばさん達」
at 2007 08/28 13:48 編集

> -カッパドキア-


店の前でたむろす明るく陽気なおばさん達。

それぞれの店の店番のおばさん達なのだろうか。
別に商品をしつこく売る気配も無く、我々と暫く手振り身振りで、ボディランゲージを楽しんだのだった。

手の平に刺青のような物をしていて、それを見せてもらった時には、いささかびっくりしたものである。

我々のメンバーの若い女性が、彼女達の顔に被っているスカーフを巻いてもらって記念写真を撮ったが、とても良く似合っていた。




「記念撮影」
at 2007 08/27 12:23 編集

> -カッパドキア-


地元の小学生達との記念撮影の光景。

我々が奇岩の見学をしていた時、地元の小学女子の団体がバスでやって来た。

そろいのジャージを着て遠足にでも来たのだろうか。
我々ツアーメンバーの中に、トルコ語が少し分かる女性が居て、先生らしき女性と話した後、この子達と一緒に先生の構えるカメラに収まっていた。

私も脇でカメラを構えたが、流石に上級生ともなると、先生のカメラより、私のカメラの方に目線を向ける子がいた。

無邪気さの中に女性らしさが加わって来た年頃なのだろうか。

旅はこうして人種を超えて交流出来る所に良さが有るのだろう。

エジプトのカルナック神殿で、一緒に写真を撮らせてくれと言った、ボーイスカウトの少年達を思い浮かべながら、シャッターを切ったものである。

さて、またしばらく旅に出ます。
帰国後のページでの再会を楽しみに、しばしのご無沙汰です。



「奇岩の群れ�C」
at 2007 08/20 21:46 編集

> -カッパドキア-


駱駝の様な形をしている奇岩の光景。

地元では仕事に欠かせない駱駝の形をしている事から、ラクダ岩と呼ばれて親しまれている岩なのだと言う。

この他にも色々な物に似た形をした岩が有り、それぞれ名前が付けられているのだと聞いた。

此処では岩が生活の中の一部に溶け込んでいるようである。

この地方に住む人にとって、これらの岩は毎日欠かす事の出来ない光景として、存在しているのだろう。



「奇岩の群れ�B」
at 2007 08/20 06:53 編集

> -カッパドキア-


大地の上にそそり立つ枝分かれしたキノコ岩。

どう見ても岩のように見えず、木のように見えてしまう不思議な形状の岩。

遠くには灯台の形をしたような岩も有る。
岩山が林立しているなら分かるが、ポコンと一本だけ生えているような感じがするのが面白い。

上部だけ傘のように黒くなっているのも、キノコに似ている。
岩の質と硬度が下の部分と違うので、こんな形と色になったと言うが、一体何年ぐらい経ってこのような形になったのか…

人間の寿命では計り知れない太古の昔から、この岩はこうして行き交う人間模様を眺めているのだろう。



「洞窟レストラン」
at 2007 08/19 06:22 編集

> -カッパドキア-


昼食を摂った洞窟レストランの入口の光景。

この日は丁度今の日本のように、太陽がじりじりと照り付ける暑い日だった。

しかし空気が乾燥しているので、同じ暑さでも蒸し暑くない。
しかも入口を入ると、ひんやりとしてエアコンが効いているような感じがするが、ここではエアコンは必要ないという。

入口を入ると通路が二つに別れていて、薄暗い岩穴を歩いて行くと、広いドーム状のレストランに入る。

中央が広いフロアーになっており、夜は此処でベリーダンスなどのショウが開催されるのだと言う。

此処で食べたシチューのような物や、魚料理はとても美味しかった。
食材などは、入口右手の石段を登った所に、冷蔵庫のように保存されていて、腐らないのだと聞いた。

自然の岩山を巧みに利用した天然のレストランは、夏涼しく、冬暖かい快適な食生活の場なのである。



「奇岩の群れ�A」
at 2007 08/17 07:50 編集

> -カッパドキア-


何とも不思議な岩の続く光景。

正に自然の作り出した造形美と言った所だろう。

大地の上に所々こんなキノコのような形をした岩が、生えているといった表現が当て嵌まるような光景である。

この光景は氷山の一角で、恐らくこの大地の下には様々な形をした岩山が続いているのだろう。

何億年という長い時を経て、岩山の間に堆積した土砂が平地を作り、更にその大地に埋め尽くされない岩が、こうして残っているのだろう。

その残った岩も、硬い岩と柔かい岩が、風化によってこのような形になったと聞く。

まるでキノコの形をした、チョコレートのお菓子のようである。



「奇岩の群れ」
at 2007 08/16 08:58 編集

> -カッパドキア-


何とも不思議な岩の続く光景。

正に自然の作り出した造形美と言った所だろう。

大地の上に所々こんなキノコのような形をした岩が、生えているといった表現が当て嵌まるような光景である。

前方右手の岩山の頂上に登っているのは、我々ツアーグループの若い男性である。

此処までチャレンジしたとは、流石に若さが有っての事だろう。



「岩山の教会�E」
at 2007 08/15 05:29 編集

> -カッパドキア-


岩山をくり貫いた洞窟教会の中に描かれたフレスコ画。

ブルーとオレンジの色使いが美しい壁画である。
真ん中の大きく剥ぎ取られた絵の周りに描かれているのは、異教の紋章だろうか。

11世紀頃このギョレメの谷の岩山の中には、徒弾圧から逃れて、たくさんの教会が岩山の中に作られた。

このバジル教会もその中の一つだが、険しい岩山の石段を登ると、洞窟の中にこのような鮮やかなフレスコ画が数多く残されている。

こんな所にまで、教会を作り、祈りを捧げる教徒たちの信仰心は、並大抵ではなかったろうと往時を回顧したものである。

何時の世も信仰の力は、想像の範囲を超える強力な物であると言わざるを得ないであろう。




「岩山の教会」
at 2007 08/10 05:20 編集

> -カッパドキア-


岩山をくり貫いた洞窟の中に作られた教会の遺跡。

11世紀頃このギョレメの谷の岩山の中には、キリスト教徒弾圧から逃れて、たくさんの教会が岩山の中に作られた。

このバジル教会もその中の一つだが、険しい岩山の石段を登ると、洞窟の中に鮮やかなフレスコ画が展開するのだ。

こんな所にまで、教会を作り、祈りを捧げる教徒たちの信仰心は、並大抵ではなかったろうと往時を回顧したものである。

何時の世も信仰の力は、想像の範囲を超える強力な物であると言わざるを得ないであろう。




「キノコ岩の前で」
at 2007 08/09 09:33 編集

> -カッパドキア-


良く写真に出てくるキノコ岩を横に見ての記念写真。

此処は誰もが記念に写真を撮るビューポイントのようである。

この日は珍しく快晴で、爽やかな風が吹き渡っていた。
直射日光はかなり強いが、空気が乾燥しているので余り汗は出ない。

此処からなだらかな岩場を登っていくと、目を見張るような奇岩が続き、自然の作り出した景観に眼を見張る。

途中まで登って引き返し、土産物店で、様々なお土産を吟味した。

ツアーで一緒になった、Sさん母娘に進められて、トルコシルクのスカーフを5枚ほど買ったが、安くて上品で土産としてはとても喜ばれた。

流石に女性は見る目が肥えていると感心したものである。



「射的」
at 2007 08/08 08:44 編集

> -自宅付近-


我が街の七夕祭りでの一齣。

土日に合わせて街の七夕祭りが行われた。

昨年は2市町が合併して最初の祭りの予定であったが、プールの児童吸い込み事件が発生してしまったため、自粛の意味で中止になってしまったから、今年は盛大であった。

しかし、生憎阿波踊りが始まる時間になって、雷雨となってしまい、私も出掛けるのを見合わせた。

雨が上がったちょっとの時間、街の様子を撮った一枚である。
何処の祭りでも見掛ける露店の射的の光景だが、庶民の実態が現われているようで載せて見た。



「夜景」
at 2007 08/07 06:52 編集

> -自宅付近-


我が街の駅前の夜の光景。

先日東京にて旅行前の最後の打ち合わせ兼飲み会をした帰りに、駅前に降り立った時に撮った一枚である。

夜景がISO感度ワンタッチ設定で、何処までぶれずに、かつノイズが出ずに撮れるか試し撮りをしたものである。

先ずは満足した結果が出たようで、旅での夜景もこのように撮れれば良いと思っている。

夜の11時ともなると都心とは違い、このように人影もまばらになるが、駅前の店は帰宅途中の人達のために、煌々と明かりが点いている。

日本語の看板が少なくなった昨今は、まるで海外に居るような雰囲気である。



「負けずに」
at 2007 08/06 04:24 編集

> -カッパドキア-


舞台に引っ張り出されて負けずに頑張るおじさん。

この東洋人らしきおじさん、張り切って踊ったのは良いが、踊りは全くマイペースで、多分自国の踊りを披露したのであろうが、ベリーダンサーとは異質の踊りで皆の笑いを誘った。

余り張り切り過ぎて、この後足がもつれてしまい、見事舞台の上でこけて横倒しになった。

ダンサーに助け起こされて事無きを得たようだが、したたか肘を打ったようで、しかめ面をしながら退場した。

皆から盛大な拍手を受けたが、身の程知らずとは、この事だろうと他人の振り見て我が身を直せだと思ったものである。



「メフテル」
at 2007 08/05 05:42 編集

> -イスタンブール-


世界最古で最強の軍隊で知られた、オスマントルコの軍楽隊の演奏風景。

まだトルコシリーズ半ばであるが、さるネフレより、日本とトルコの友好を記念して来日した、この軍楽隊のビデオが載っている市報ページを教えてもらった。

その彼に敬意を表して急遽この写真を載せた次第である。

イスタンブールの新市街、軍事博物館の前の巨大な大砲の前で演奏するこの軍楽隊の演奏に、瞬きもせず見入っていたものである。

3時から一回だけ公演されるこの演奏は公営であるので無料であり、BGMも実際に彼等が演奏した、イェニチェリ軍楽隊のものである。

彼等の演奏風景はいずれトルコシリーズ最後の訪問地であるイスタンブールで、改めてご紹介したいが、先ずはその一端を一齣だけ載せることとした。



「奇岩をバックに」
at 2007 08/03 20:03 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の奇岩群を後ろにしたスナップ。

相棒のニコンDシリーズの一眼レフで撮って貰ったスナップである。
矢張り私のビデオカメラ兼用の写真とは一味画質が違うようである。

写真が柔らかいような感じがする。
背景が程よくボケて、人物が浮き立っている感じだ。

私も一眼レフデジカメは持っているが、とても旅行に持参するには不向きであり、どうしても小型ビデオや、コンパクトデジカメになってしまう。

宝の持ち腐れで、棚の奥に飾ってあるだけになりつつあるのだ。
今やデジカメも1000万画素を超えるのが常識になりつつある時代。

600万画素の一眼レフデジカメは、棚の上だけで終わってしまう運命にあるのだろうか。

しかし相棒も旅行時の利便性から、最近はコンパクトデジカメを購入したと聞く。



「ベリーダンス�B」
at 2007 08/03 06:02 編集

> -カッパドキア-


激しく踊るベリーダンサーの様子。

よくもこれだけ休み無く激しい踊りを続けられるものだと感心する。

踊るのは民族舞踊のように大勢の踊り手ではなく、彼女一人だから必然的に観衆の視線は彼女の一挙手一投足に集中する。

激しい動きだけに、決まったポーズを納めるには一眼レフのようなオンタイムで撮れるカメラで無いと難しい。

携行したビデオのデジカメ機能だと、どうしてもシャッターが切れるまでにロスタイムがあるから、あらかじめ次はこんなポーズになるだろうと予測して早目にシャッターを切らなくてはならない。

これは何枚かシャッターを切った中の一齣である。



「浮遊」
at 2007 08/02 09:19 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の街外れを行く熱気球。

背景の街の様子と気球の対比が面白い。

この辺は街の繁華街から外れ、右の方の岩山の上に有る台地に指しかかろうとする場所である。

と言うより、私が居る場所より更に上の方に平地が有り、畑が続いているのだから、谷の底に開けた街と言った表現が適切かもしれない。

岩山の底に街が有り、山の上に平地が存在し、見渡す限りの畑が開けている光景は、その様子を見た者にしか理解出来ない不思議な光景なのである。



「戻ってきた相棒」
at 2007 08/01 05:17 編集

> -カッパドキア-


岩山の頂上まで行って戻って来た相棒の姿。

登山の得意な相棒は、風化して丸く削り取られた岩山を登り、頂上にある電波塔の所まで行って写真を撮ってきたと言う。

きっと気球で見るのと同じ、下界が360度開けていた事であろう。
朝食前の早朝、私にはとてもそんなスタミナは残っていなかった。

それにしても奇妙な岩山である。
まるで軽石のようで柔らかそうだが、触ってみると結構硬い。

トルコの石造りの家は、此処カッパドキアから産出される豊富な石材によって建てられているのだと聞く。

石の家は木材の家と違い、桁違いに耐用年数が高いようだ。
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トルコ回遊録�D
「模擬結婚式」
at 2007 07/31 08:45 編集

> -カッパドキア-


民族舞踊で結婚式の準備をする場面。

めでたく一組の男女が結ばれ、それぞれ結婚式に望む準備をしている光景。

椅子に座った女性は花嫁で、周りの女性が彼女のメーキャップやベールを被せるのを手伝っている。

一方男性は、顔に石鹸を塗られ、髭を剃られている。

これは舞踊の中の一場面だが、恐らく此処カッパドキア地方では、今でも同じような光景が、実際の結婚式でも繰り広げられているのだろう。

エジプトのギザのホテルでは、現実の結婚式の披露宴に遭遇したものだが、それは実に賑やかな物であった。

この模擬結婚式の場面を見ていて、ふとそんな事を思い出したものである。

マイクの傍で膝の上に乗せて演奏している弦楽器は、今まで私が見た事の無い、不思議な音の出るトルコ独特の楽器であった。



「街角」
at 2007 07/30 09:24 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の街の入り口の光景。

街角と言っても我々の住む街とは大分様子が異なる。

信号も無ければ車道と歩道の区別も無い。
未だに荷馬車と車が行き来するのを避けて人間が歩くのだ。

此処では夜明けと共に人が動き出す気配は余り無い。
時がのんびりと過ぎているようである。

地下都市の名残なのか、あちこちに地下に通ずるようなトンネルの入口がたくさん有る。

自然の奇岩と住居が共生している、不思議な街のたたずまいでは有る。



「おとぎの街」
at 2007 07/29 05:57 編集

> -カッパドキア-


たくさんの熱気球がギョレメの谷の街から飛び立つ風景。

まるでお伽の国の光景のようである。
13世紀の昔から存在するこの街は、今でもその原型を留めているいる場所が多い。

今夜の「世界不思議発見」のテレビは、此処カッパドキア地方の奇岩の中に息付く街の光景の特集のようである。

私の知らない、様々な不思議がまだ有るのかと思うと、見逃す訳には行かない。

此処に住む人たちは、現代文明の中に住む我々とはかなり違った生活を余儀なくされているに違いない。

しかし彼等にとっては、どんな文明社会に身を置こうが、この風景が忘れる事の出来ない心の中に焼き付いた故郷であり、光景なのであろう。

それが故郷の味であり、匂いであると言っても過言ではないだろう。

場所は違っても、日本に住む我々の誰にでも、そんな故郷の光景は有る筈である。



「黎明の空へ」
at 2007 07/28 11:31 編集

> -カッパドキア-


まだ明けやらぬ空へ悠然と飛び去っていく熱気球。

ギョレメの谷は不思議な所である。
谷の下の方に街が開け、その街を取り囲むように、たくさんのとんがり岩や、キノコのような形をした岩が林立している。

しかし私の佇んでいる高所より更に上には、台地が有り平地となって一面見渡す限りの農地が開けているのだ。

我々の住む日本の地形の大半は、平地の先に山などが聳えているが、ギョレメではそれが逆である。

まるで開けた地下都市の上に平地が有るといった具合だ。
これも自然の作り出した、不思議な光景なのである。

農地を耕すために、谷の町から高所の台地に出掛けるのは大変な労力であろう。

気球の上からは、そんな不思議な光景を一望出来るから、さぞ見応えのあることであろう。



「にょっきりと」
at 2007 07/27 06:12 編集

> -カッパドキア-


岩陰から巨大な姿を現した熱気球。

これは気球が飛び立とうとしている光景ではない。

ギョレメの谷から飛んで来た気球が、高所に有る住宅の先に、顔を出したところなのだ。

住宅の先は深い谷になっていて、その間を縫って気球は上昇して来たのだ。

写真で見ると、家や岩の先が平らになっていて、そこから気球が昇ろうとしている様に見えるから面白い。

たくさん有る気球がみなそれぞれ違うルートで飛んでくるから、矢張り大まかな飛行ルートは有るものの、風任せのところが多いのだろうか。



「負けずにチャレンジ」
at 2007 07/26 05:50 編集

> -カッパドキア-


ベリーダンサーに指名され、負けずに踊る男性の姿。

このアイリッシュ系の男性の掛け合いダンスは実に見事であった。

決して彼女に引けを取らないくらい、上手く相手に合わせて踊る姿に、観衆は惜しみない拍手を送っていた。

多分アイリッシュ・ダンスの経験が有るのだろう。
巧みに彼女をエスケーとし、手を叩き、足を踏み鳴らしながら踊る動作はとても素人とは思えなかった。

世の中には飛び入りでも、それぞれの場面に実に上手く適合出来る人が居るものだと、つくづく感心した。

ダンサー自身も終わった後は、彼に盛んに拍手を送っていたものである。



「朝靄の中を」
at 2007 07/25 11:06 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の奇岩を縫って飛来する熱気球達の光景。

朝靄を突いて、次々に姿を現してくる気球の光景を見ていると、自然を巧みに愛でるための人間の英知に感動を覚える。

自然と人間の共存の有り方は、こんな光景の中にも存在しているような気がする。

まるでシャボン玉のように、ふわりふわりと飛び交うこれらの気球は、シンプルな茶褐色の奇岩群に、彩を添える心地良い添加物のようである。



「飛来�B」
at 2007 07/24 04:52 編集

> -カッパドキア-


そして熱気球は飛び去って行った。

私の居る頭上を過ぎ、巨大な気球は前方の岩陰へと悠々と移動して行きやがて見えなくなった。

まるで岩山に着陸したかのような錯覚を覚える光景である。

黒い気体が朝早い空に異様な陰影を残し、不気味ささえ感じさせるようである。

他の気球がカラフルなのに比べ、黒一色の気体は見るものに圧力を与える。

敗戦の色濃い終戦間際の日本は、窮余の一策で風船爆弾なるものを考案し、気球に爆弾を搭載し、偏西風に乗せてアメリカ本土を爆撃しようと試みた事があるようだ。

実際その内の何機かはアメリカに到達したとの事であるが、実害は無かったようだ。

この巨大な黒い機体を見ていると、そんなあらぬ事を思い起こしたものである。



「ベリーダンス�A」
at 2007 07/23 09:23 編集

> -カッパドキア-


激しく踊るベリーダンサーの姿。

スローシャッターで、目まぐるしく躍動するダンサーの動きを追ってみた。

暗いフロアーの中で踊る彼女の姿を、ファインダーを覗きながら追い掛けるのは結構難しいものである。

ビデオカメラのデジカメ機能だから、ストロボとスローシャッターの併用は不可なので、ストロボを発光せずに撮ったものである。

ダンサーは、決して若くは無かったが、日頃の踊りで鍛えられた四肢は、無駄が無く美しかった。

流れるような長い髪が、踊りに一層の躍動感を与えているようである。



「飛来�A」
at 2007 07/22 03:18 編集

> -カッパドキア-


熱気球が私の居る頭上を通り過ぎる光景。

更に気球は私の上に近付き、乗客の全員が私を見下ろしている。

草木の無い白い岩山の先端にカメラを構えている私の姿は、はっきりと彼らにも認識出来るのだろう。

下から上を長く見上げていると首が痛くなるほどである。

それにしても私の上に覆いかぶさるように感じる気球の大きさは半端ではない。

こうして凝視していると、このバーナーの炎が気球に引火したら、大変な事になるのではないかと、改めて気になったものである。




「特別出演」
at 2007 07/21 06:04 編集

> -カッパドキア-


観客席の中から、舞台に引っ張り出された観光客の女性。

こういう場面になると、どうしても日本の観光客は引っ込み思案になるようだ。

その点欧米人は指名されると遠慮せずに舞台に出て行く人間が多いように思える。

一緒にショーを楽しむ習慣があるようだし、自己主張が強いとも言える。

私も最前列の席に居たので、ベリーダンスの時に、ダンサーからお声が掛かったが、流石に複視ではフロアーに出ても、足元が心もとないので断った。

案の定東南アジア系の中年男性が、フロアーで私の替わりにダンサーと一緒に踊ったが、見事にこけてひっくかえり、腕を打ってしまったようだ。

その模様は改めてページで紹介しよう。



「飛来」
at 2007 07/20 09:39 編集

> -カッパドキア-


頭上を飛んでいく熱気球の光景。

気球の一つが急接近して来て、私の居る岩山の先端をかすめて行った。

はっきりと一人顔などが見える。
私が写真を撮り終えて手を振ったら、何人かがそれに応えてエールの交換をした。

異国人同士でも、こうした旅をする仲間はボディランゲージで心を通わせる事が出来るのであろう。

バーナーから火炎を吹き出す音が凄いのには驚いたものだ。

乗っている乗客達よりも、下に居る私の方が、岩山に音が反響して大きく聞こえるのではないかと思ったくらいである。



「悠々と」
at 2007 07/18 09:39 編集

> -カッパドキア-


炎を上げながら悠然と飛行を続ける熱気球の姿。

ギョレメの谷の、奇岩の間を通り抜け、高台にある平地にそって気球は飛び去っていった。

不思議に思ったのは、バーナーから吹き出す炎の調整で気球の高低は調節できても、プロペラが無いから、どうして運行経路を決める事が出来るのかという事である。

風任せでは、元来た場所に戻る事は不可能のようだが、何か仕掛けが有るのだろうか。

ロープ付きの気球にはカンボジアのアンコールワットで乗ったが、熱気球はまだ未体験の私には、その辺の構造が分からないのである。

昨日また新潟中越沖地震で大きな被害が出た、被災した方々に心からのお見舞を申し上げる次第である。

トルコもまた日本に負けない地震国。
その昔、栄華を誇ったヒエラポリスの街は、地震によって消滅したのである。



「民族舞踊�H」
at 2007 07/17 05:40 編集

> -カッパドキア-


観客の前でひざまずいて挨拶をする踊り手。

これはこれから隣に居る女性にスカーフを渡して求婚するので応援よろしくお願いしますという、挨拶らしい。

他愛も無いストーリーだが、むしろ分かりやすくて良いのだろう。
踊りが主体だから、楽しければそれで良い。

男性の着ているワイシャツはキラキラ光っているが、これはシルクなのだろうか。

私も一度アメリカで、シルクのワイシャツを買おうと思った時が有ったが、恐らく着るチャンスが無いだろうと思い止めた事がある。

公式のパーティなどで着るには良いのだろうが、矢張りこれを着るには勇気が必要のようである。
それにしても靴下といい、靴といい何と派手な事か。

余計な事を考えながら、彼の仕草を見ていたものである。



「スリル満点」
at 2007 07/16 04:56 編集

> -カッパドキア-


とんがり岩すれすれに飛来する熱気球の光景。

この岩の陰から気球が姿を現した時、岩にぶつかるのではないかと、他人事ながらどきどきしたものである。

乗客もタイタニックではないが、目の前に大きな岩山が迫ってきたのには、はらはらしたのではないだろうか。

後で聞いた話だが、時々この熱気球の事故は有るのだという。
逆にだからこそスリルを求めて、人はこれに乗りたがるのかもしれない。

果たしてこれらの乗客には救命胴衣や、非常時の対処法は説明されているのだろうか。

私がハワイ島コナで小さなヘリコプターに乗って、2時間のフライトを楽しんだ時も、ヘリコプターがキラウェア火山の噴火口の中に入って行った時は、熱いし硫黄の匂いが立ち込めて、胸が苦しくなったものである。

安全対策は、日本に比べ海外の方が、大まかのようである。
だから、逆に冒険心を駆り立てられるのかもしれない。



「熱気球」
at 2007 07/14 22:05 編集

> -カッパドキア-


突然岩山の後ろから現われた熱気球。

前のギョレメの谷の街を眺めていたら、横の岩山の影からゴーっというバーナーの音が聞こえ、霧に霞む空に、別の気球が現われた。

この岩山の頂上は、草木の生えない坊主岩である。
まるで軽石のようなざらざらした感じだ。

正面に見えるとんがり岩は、硬い岩のようであり、人が住む事が出来そうだが、こちらの岩山は岩が柔らかそうであり、風化が早そうである。

私が居る岩の先端からは360度、様々な変化に富んだ光景を見渡す事が出来、興味津々であった。



「民族舞踊�H」
at 2007 07/13 05:14 編集

> -カッパドキア-


ペアの男女が踊る喜びの踊り。

それぞれのカップルが、観客の前に来て挨拶をし踊りだす。

ひとしきり踊った後、左回りで次のカップルがやってくるという具合だ。

我々の前に最初に来たのは若いカップルで、女性の仕草がしおらしかった。

踊りによって着ている衣装も時々変わり、この時は男女とも赤い靴を履いていた。

女性の赤い靴は似合うが、男性は矢張り長靴の革靴の方が勇壮で似合うなと思ったものだ。



「妖精の村�Q」
at 2007 07/12 05:54 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の遠景。

朝が明けたばかりの、ひんやりとした空気が谷の街に漂っている。

岩山だらけの私の周囲からは、鳥の声さえ聞こえない静けさである。
自分の歩く靴音さえ、周囲の静寂に掻き消されるようだ。

手前に積まれた岩は何のためなのであろうか。

まるで遺跡の廃墟を眺めるようであるが、これは自分の家の境界を示す囲いなのであろうか。

此処は我々の住む世界とはまったく異次元の世界であることを、肌で感じる事の出来る空間であった。




「民族舞踊�F」
at 2007 07/11 04:50 編集

> -カッパドキア-


総員出場の踊りの光景。

トルコ独特のこの女性の衣装は、中東の匂いがして何とも可愛らしい。

最初は顔に薄いベールを着けて登場するが、踊りが佳境に入ると外すのだ。

夜目遠目傘の内、では無いが、阿波踊りなどもでそうであるが、女性が編み笠やベールを着けると、神秘的な美しさが強調されるようである。

大きな太鼓を持った小さな髭の伯父さん、精力的に太鼓を叩きながら踊り手の間を演奏し続けていた。

右の方に見えるもやもやは、私の灰皿に置いた煙草の煙である。
まだトルコ旅行の時は、ラグナ梗塞である事を知らず、盛んに煙草を吸い続けていたのである。



「妖精の村�P」
at 2007 07/10 09:10 編集

> -カッパドキア-


奇岩の間を悠々と飛んでいく熱気球。

ローズバレーを背景に巨大な気球が飛んで来る。
これだけのたくさんの人間を乗せる事が出来るのだから、大きさも半端ではない。

余り風が無いとは言え、上下だけのコントロールで後は風任せ。

とんがり岩の先端にでも触れたら大変な事になるのではないかと、はらはらしながら見守っていたが、実に巧みに岩の間を縫って行った。

だからあらかじめ予約しておいても、風が強い日は飛翔中止になるのだという。

気球の上から見る下界の様子はどんな光景なのだろうと、乗っている人たちを羨んだものである。



「ベリーダンス」
at 2007 07/09 07:14 編集

> -カッパドキア-


民族舞踊の後登場したベリーダンサーの踊り。

洞窟劇場の中をたった一人で所狭しと踊り続けるエネルギッシュなベリーダンスの模様。

今では健康に良いと、世界中で踊られるようになったベリーダンスにも、歴史が有るようだ。

トルコに限らず、このベリーダンスは中東の国では何処でも踊られている。
今では戦火が耐えないバクダッドでも、昔はアラビアン・ナイトで知られるように、何時の日かこんなハーレムに身を置きたいものだと夢見たものである。

しかしガイドのアルズさん曰く、ベリーダンサーには嘗ては貧しい女性がなり、踊りの後は指名した男性と一夜を共にする悲しい歴史が有ったのだという。

日本の歌舞伎もその昔、出雲の阿国が歌舞伎踊りを川原で始め、それが今では國舞となったのと同じだろう。

現代ではその逆で、自分の美貌と踊りを自信を持って披露する踊りとなり、若い女性の憧れる仕事の一つになったのだという。




「妖精の村�O」
at 2007 07/08 09:50 編集

> -カッパドキア-


熱気球の一つが私の居る岩山の近くまでやって来た。

しーんと静まり返った周囲に、ゴーっというバーナーから吹き出す火炎の音がこだまする。

ゴンドラに乗った人々が私より下に見える。
ある人は手を振っていた。
乗客は全て欧米人のようだ。

この時私はビデオカメラしか持っていなかったので、スイッチを切り替えてデジカメにして撮った一枚である。

朝の薄暗い中でのズームアップで、多少のブレが出たのが残念だが、迫力有る雰囲気は出たように思う。

気球が岩にぶつかるのではないかと、はらはらしたものである。



「妖精の村�O」
at 2007 07/08 09:50 編集

> -カッパドキア-


熱気球の一つが私の居る岩山の近くまでやって来た。

しーんと静まり返った周囲に、ゴーっというバーナーから吹き出す火炎の音がこだまする。

ゴンドラに乗った人々が私より下に見える。
ある人は手を振っていた。
乗客は全て欧米人のようだ。

この時私はビデオカメラしか持っていなかったので、スイッチを切り替えてデジカメにして撮った一枚である。

朝の薄暗い中でのズームアップで、多少のブレが出たのが残念だが、迫力有る雰囲気は出たように思う。

気球が岩にぶつかるのではないかと、はらはらしたものである。



「民族舞踊�E」
at 2007 07/07 05:33 編集

> -カッパドキア-


全員が蝋燭を持って踊る、蝋燭の踊り。

一瞬場内のライトが全て消され、真っ暗になる。
やがてイスラム圏独特の奇声が沸き起こり、蝋燭を持った踊り手が入場する。

蝋燭の明かりだけが蛍のように飛び交い、幻想的な雰囲気が広がる。

これは大体の見当を付けて、ストロボを発光させて撮った中の一枚である。
だから写真を見てこんな格好で踊っていたのだと気付くのである。

ビデオには蝋燭の光跡しか残っていなかった。
ビデオライトを点けて撮影したのでは踊り手たちに迷惑だと思い遠慮したからだ。

蝋が手に垂れたら熱いのではないかと余計なことを心配した。



「妖精の村�N」
at 2007 07/06 06:54 編集

> -カッパドキア-


再びギョレメの谷の朝の光景。

背景にローズバレーを控え、奇岩の間から姿を現した熱気球。

私は歩いて左の岩の先端まで行ってこの街の光景を眺めていた。
相棒は更に山の上まで登っていって、電波塔の付近から、下界を眺めたという。

山登りがあまり得意で無い私は、早朝でもあるしとてもそんな元気は無かった。

周りは静まり返っていて、時々熱気球の炎を吹き出すバーナーの音が聞こえるだけであった。

こんな異次元の世界で、一人佇んでいると、何処か違う世界にタイムスリップしているかのような、不思議な感覚に襲われたものであった。



「天井」
at 2007 07/05 05:44 編集

> -カッパドキア-


宿泊した洞窟ホテルの天井。

ベットに横たわるとこんな光景が出現する。

スタンドのライトとベットの上にあるライトだけの照明で撮ったものだが、寝る時はこれらも消して入口脇に有る洗面所の明かりだけにして就寝した。

実に寝心地が良く、ぐっすり安眠出来たものである。
朝はカーテンの隙間から差し込む薄明かりで目が覚めたのを覚えている。

何処のホテルでも大概天井は白と決まっているが、そうでないのが良いのだろう。

そう言えば、高速道路のトンネル内の照明が、オレンジ色が多いのは、目に負担が少ないためだと聞いた事が有るが、そんな効果も安眠に役立ったのかもしれない。



「民族舞踊�D」
at 2007 07/04 09:12 編集

> -カッパドキア-


男性が踊る激しい民族舞踊の光景。

まるでダッタン人の踊りのようである。

靴を踏み鳴らし、横に一列になったり輪になったり、腰を落としたまま足を交互に前に出したりしながら、目まぐるしく太鼓の音に合わせて踊り続ける。

汗がほとばしり、そばに来ると飛び散るようだ。
若者に混じり、中年男性のダンサーも一緒に踊っているが、良く体力が続く物だと感心する。

こういうシーンは一枚写真よりも、ビデオの方が臨場感があり、迫力が有る。

女性の優雅な踊りも良いが、男性の休み無く踊り続けるこんな踊りも見応えが有るものだと思いながら、見続けたものである。



「妖精の村�M」
at 2007 07/03 10:19 編集

> -カッパドキア-


再びギョレメの谷の朝の光景。

観光用の熱気球が次々と離陸して行った。
上空から見るカッパドキアの景観はさぞ見応えの有るものであろう。

私も気球に合わせて、更に此処から高い山の上へと登っていった。

気球たちは奇岩の間を縫って、私の居る直ぐ近くの上空までやってくる。
バーナーによる上下だけの操縦でかなり技術を要するのではないかと、下から見ていてはらはらする光景である。

真上まで来るとゴンドラに乗っている人の顔まで見ることが出来、盛んに我々に手を振っている。

ほとんどの乗客は欧米人であった。
やがてそれらの光景も、お見せ出来る事と思う。

此処カッパドキアで気球に乗れなかったのが、唯一残念な事であった。



「照明」
at 2007 07/02 07:04 編集

> -カッパドキア-


洞窟ホテルの部屋の照明スタンド。

そろそろ就寝の時間と思い周りの電気を消したら、こんな光景が浮かび上がった。

岩の壁や天井に光が踊り、幻想的な雰囲気なので、一枚撮ってみた。

もう十年以上も前になるが、我が家の居間にも同じような電気スタンドが有った。

蛍光灯の光と違い、このタングステン光の明かりは心を落ち着かせ、読書などをするのにはお誂え向きだった。

今では夜でも昼間のように明るい天井ライトになってしまい、柔らかい光のスタンドが懐かしく思えたものである。



「素敵な椅子」
at 2007 07/01 10:24 編集

> -カッパドキア-


洞窟ホテルの部屋に置かれているアンティークな椅子。

この椅子は机の前に貼られている鏡とペアーになっている。

決して広く豪華な部屋ではないが、これらの家具や調度品が如何にもトルコらしく、手が込んでいて可愛らしい。

一枚の板で作られた座席には、貝が埋め込まれていて綺麗に細工が施されている。

ソファーのクッションも同一ではなく、カラフルである。

たった一夜の宿ではあったが、巨大なホテルに泊まりなれている我々には、手作り感覚のこの部屋が、却って新鮮な感じに思われたものである。
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トルコ回遊録�C
「洞窟ホテル�S」
at 2007 06/30 09:07 編集

> -カッパドキア-


カッパドキアで宿泊した洞窟ホテルの部屋の光景。

洞窟の中と言っても、ホテルとしての必要最小限の備品と調度品は揃っている。

ただそれらのものが、古色蒼然とした年代を感じさせるものだから楽しいのだ。

アンティークな物が珍重される現代、これらの物がとても懐かしく感じられ、逆に価値が有るように思えるから可笑しなものである。

備品棚にしても手作り感覚で、トルコに居るのに、バリ島ウブドの工芸品を思い出してしまったものである。



「妖精の村�L」
at 2007 06/29 09:03 編集

> -カッパドキア-


道端に咲く菜の花越しに見るギョレメの街の光景。

まだ夜が明けたばかりなので、街灯が点いている家も有る。

キノコのようなとんがり岩と石造りの家が渾然一体となって作り出した不思議な街の様相である。

まるでアメリカのグランドキャニオンの中に、街を作ってしまったような景観の様に思えるのは私だけであろうか。

岩に囲まれた街なのに、不思議と温かさを感じるのは何故だろうか。

それはこの街が、最近出来たのではなく、何百年と言う長い歴史の中で、自然と共に存続し続けてきた経緯から来るものではないだろうか。

此処には自然の景観を巧みに活かした、人間の知恵が息衝いているようである。




「妖精の村�K」
at 2007 06/28 05:58 編集

> -カッパドキア-


今まで載せていた位置から90度左にカメラを振った光景。

あの小さな横穴住居の家からこの光景は何時も眺める事が出来る。

あの岩屋にすむ住人は毎日どんな気持でこの光景を眺めているのだろうか。

自分達の境遇を嘆いて暮らしているのか、それとも毎日こんな景観を眺めながら暮らせる事の幸せを感じているのか…

私は後者を取りたい、多少の不便さをカバーして余りある眺めだからだ。
まるで岩山だか、住居だか区別が付かないような光景である。

自然と共に暮らすとは、こういう事を言うのだろう。



「妖精の村�J」
at 2007 06/27 09:16 編集

> -カッパドキア-


ぽつんと大地の上に立つキノコのような岩。

更に上へと歩を進めていくとこんな不思議な光景に出会った。

まるで平らな土地に岩を何処からか持って来たような情景である。
自然の作り出す光景は、時として現実離れした姿を見せてくれるものだと感心した。

手前の道の右側には、白くペイントした家があり、煙突が有る所を見ると、今でも人が住んでいるようである。

この脇を通り過ぎた時、戦時中の防空壕を思い出してしまった。

此処に住むには、かなりの苦労を強いられるのではないだろうか。
電気や水はどうしているのだろうか。

この家の住人は、谷の方に広がる街の住宅街で、恵まれた環境の中でクラス人達を毎日眺めながら、どんな気持で生活しているのだろうかと、つい余計なことを考えてしまったものである。



「妖精の村�I」
at 2007 06/26 05:31 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の間に広がる街の光景。

ホテルから更に高い位置へと歩を進めた場所から見る、岩間からの街の情景である。

とんがり帽子のこれらの岩も、何らかの目的で、今も使われているようだ。
肥料にするための鳩の糞を集める鳩の小屋や収穫物を保管する貯蔵庫だったりするとの事であった。

此処の谷の住人は、一生この土地から離れずに生涯を終える人も多いと聞く。
この土地から出るチャンスが無いか、此処が自分達のユートピアだと思っているかのどちらかだろう。

トルコの首都アンカラからそんなに離れていない場所に位置しているから、開発の波に流されない事を祈るのみである。



「民族舞踊�C」
at 2007 06/25 08:58 編集

> -カッパドキア-


薄暗い照明の中で展開される民族舞踊の様子。

花婿選びの女性に、次々に候補の男性が現われて、見事差し出されたスカーフを受け取ってもらった男性が、歓喜のダンスを披露している。

女性はある男性が差し出したスカーフを受け取って、この男性と結婚すると皆に披露している。

一方スカーフを拒否された男性群も、見事に金星を射止めた男性に惜しげもない祝福の拍手を送っているといった、他愛もないストーリーだ。

この情景を表現するために、敢てストロボを使わずにスローシャッターで撮影し、ムードを出してみた。



「民族舞踊�B」
at 2007 06/23 20:58 編集

> -カッパドキア-


洞窟を改造した怪しげな劇場の入口。

ホテルから車で約10分、ギョレメの街の中にあるべリーダンスを見せる劇場へと向かった。

中世を思わせる結構堂々とした店構えのこの劇場の入口を入ると、広い石の廊下が有り、両脇には厨房や記念品を売る店、ダンサーの控え室などが有る。

正面の大きな岩の入口を潜ると、そこに円形の舞台が有り、周りをぐるりとドーム状に観客席が囲んでいる。

席に着くと様々な料理が運ばれてくるが、夕食の後なので、ほとんど手を付けずに終わってしまった。

このショーの鑑賞に参加したのは、我々とSさん家族の5人だけであったが、席はばらばらであった。

どんなショーが始まるのか、開演を今や遅しとわくわくしながら待っていたものである。



「妖精の村�H」
at 2007 06/23 08:54 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの街の光景をズームアップしてみた。

街の実態が浮き彫りにされたような光景である。

昔の地下壕の上に建てられたような家が多く、この地下壕は何処に通じているのか興味深い。

まだ電気が思うように行き渡らないのか、太陽光利用の蓄熱パネルが、どの家の屋上にも数多く設置されている。

一方観光客を乗せる熱気球が多数離陸しつつあり、外貨獲得のための観光産業も積極的であるようだ。

住民のほとんどが、敬虔なイスラム教信者であるこの街には、モスクは欠かせない存在だ。

この写真を見ていると、現在のギョレメの街の実態が、炙り出されて来るような感が有る。



「妖精の村�G」
at 2007 06/22 04:47 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの街の光景第一弾。

矢張り我々が宿泊したホテルの村から比べると街らしい雰囲気に見える。

学校の校庭らしき所から、熱気球が次々と揚がろうとしている。

この光景を見て、しまったこれに乗れば良かったと気付いたのだが後の祭り。

きっと上空から見るカッパドキアの光景はさぞかし迫力の有るものであったろうと歯軋りをした。

手前の電線が気になるが、これ以降の写真には、電線は現れないから、しばしご猶予の程を。



「妖精の村�E」
at 2007 06/20 05:43 編集

> -カッパドキア-


トンネルの向こうに見えるギョレメの街の光景。

しばらく行くと村を区切るトンネルが有った。
どうやら此処の先がギョレメの街の始まりらしい。

光景もがらりと変わり、山間に民家がびっしりと密集しているのだ。
モスクなどもあちこちに散見出来る。

我々のホテルがあるのは村、トンネルの先に見えるのは街と言った感じであった。

街の先には奇岩群や、前に紹介したローズバレーの岩山が聳えていた。



「妖精の村�D」
at 2007 06/19 06:54 編集

> -カッパドキア-


これは人が住んでいる家。

とは言ってもかなり古い佇まいで、余り住み心地が良いとは思えない感じである。

高所なので何処の家も暖房は有るが、エアコンなどの気の効いたものはないし、暑くは無いのだろう。

これから出て来る山間の街にはかなり豪華な家も有るが、この辺は山村の貧しい家が多いようである。

住めば都と言うが、この辺に住む人々は一体何をして生計を立てているのだろうかと、気になったものである。

それにしても朝の7時頃だと言うのに、人影は全く見られず、一度トラックが走り去っただけであった。

此処では一日の時間が、ゆっくりと流れているようであった。




「民族舞踊�A」
at 2007 06/18 08:53 編集

> -カッパドキア-


夜見に行った民族舞踊第二弾。

前回、花嫁候補が次々に男性達が差し出すスカーフを受け取った男が花婿になると言う話をしたが、この場面は無事カップルが誕生して、結婚式の準備をしている様子である。

共に椅子に座っているのが、花嫁、花婿である。
花嫁は他の女性たちから、結婚式のドレスアップを施されており、花婿の方は髭などを剃られている。

実際に、花婿は石鹸を顔に塗られて、髭剃りナイフで髭を剃られているのには驚いた。

こうして誕生したカップルを祝福して、周りの連中が踊りの宴を繰り広げると言ったストーリーである。

単純なストーリーだが、これなら解説が無くても、誰にでもその内容が分かるから、民族舞踊と音楽が相俟って結構楽しめたものである。



「妖精の村�C」
at 2007 06/17 06:46 編集

> -カッパドキア-


この家は人が住んでいるのか居ないのか。

ガラス窓が有る所を見ると人が住んでいる気配は有るが、それにしても凄い様相を呈している。

岩穴式住居三階建てと言った感じだが、二階以外は廃墟のようである。

16世紀に此処で岩穴住居が発達した当時は、専らキリスト教徒が外部からの迫害を避けるために住み始めたとの事であったが、近年は快適さを追求してこのような低い岩も活用していたようである。

しかし地震の時の危険性も考え、徐々に安全な岩のみを使用可と国が定めつつあるようである。

出来る事なら、これらの家を壊さずに、保存して欲しいと思うのは、観光客の目から見た願望であろうか。



「妖精の村�B」
at 2007 06/16 09:13 編集

> -カッパドキア-


どうやらこの家は既に人が住んでいないような気配がする。

現在使用されている岩穴住居と既に廃家になっている家とが渾然一体となって存在しているのだ。

自然の岩を利用して家を建てる技術はこの地方独特の建築様式のような気がする。

何かプレートのようなものが貼り付けて有るが、これは一体何を意味するのであろうか。
トルコ語が分かれば、理解出来るのであるが、残念ながら判読は出来ない。

木の住宅に住む我々には、重い石を使用するこれらの住居が、如何にメンテナンスが大変かと、考えただけでもその苦労が予想されるのである。



「妖精の村�A」
at 2007 06/15 04:58 編集

> -カッパドキア-


自然と一体となった村の光景。

何と可愛らしい家並みであろう。
自然の岩を利用して家を建てる技術はこの地方独特の建築様式のような気がする。

まるで絵本に出てくる、おとぎの国に迷い込んだような感じだ。

朝早いから、まだ人影は見えないが、一体どんな人達が住んでいるのだろう。
ひょっこり妖精が顔を出しそうな雰囲気である。

しかしこんな村にも、近代化の波はひたひたと進んでいるようであり、車は此処に住む人には必需品となって来ているのだろう。

我々はずっと先の電波等の近くまで、散策を続けるのである。



「夏日」
at 2007 06/14 07:21 編集

> -自宅付近-


今年一番の暑さを記録した昨日の田園風景。

昨日の関東は入梅前の夏を思わせる暑い一日だった。
きょうも暑い一日だったが、どうやら明日から梅雨模様になるらしい。

仲間と打ち合わせて、何時も行くゴルフの練習場に行った。

短パンにポロシャツで、止めどなく流れる汗を拭いながらの練習の後、田圃の中を走らせていたら、ピンクの花が咲いていたので撮ってみた。

仲間と互いにスィングのチェックをするために、ビデオカメラを持っていたからだ。

数年前に同じ場所からこの花を撮って載せた事がある。
誰も手入れをする訳ではないのに、今年も綺麗な花を咲かせていた。

こうして元気一杯汗を掻き、青々と育つ稲と花の光景を、今年も見ることの出来た幸せを感じた一時であった。






「妖精の村�@」
at 2007 06/12 20:12 編集

> -カッパドキア-


ホテルの有る村の光景をご紹介。

早朝に起き出して、ホテルの裏の急斜面を登って村の道に出てみた。

今は使われなくなったような荷車が、道の脇に放置されている。
こんな村でも既に車が主流になったようである。

しかし道端にこのように放置されたままになっているのが、何ともこの光景にはマッチしているように思える。

どの家も岩を巧みに利用して、現在も人が住んでいるのである。

日本では見たことの無いこれらの光景は、早朝から散策を始めた我々に不思議な感動を与えてくれたものである。

まるで中世のヨーロッパの世界に、タイムスリップしたかのような光景であった。



「朝の気配」
at 2007 06/12 08:42 編集

> -カッパドキア-


洞窟ホテルの朝の光景。

外が明るくなりだした頃に起きだした。
昨晩の洞窟舞台での民族舞踊やベリーダンスの場面や音楽がまだ、耳目に残っている感じだった。

相棒と朝食までの時間、村を散策しようという事で服を着替えた。

外の光と部屋の明かりが何とも言えず良い感じで、テーブルに置いてあった蝋燭にも火を灯して撮ってみた。

壁に掛けてある鏡と、椅子が対になっていて、貝殻などが埋め込まれた、とても洒落た調度品だなと気に入ったものである。



「民族舞踊」
at 2007 06/11 06:29 編集

> -カッパドキア-


夕食後見に出掛けた民族舞踊の光景。

ホテルから車で10分位行った所にある、これも洞窟の中に有る舞台で踊られたトルコ独特の民族舞踊である。

劇場の玄関を入ると、長い廊下が有り、舞台入口の左右で、踊り子達が我々を迎える。

円形の舞台の周りは階段状の観客席になっており、着席すると料理が運ばれてくる。

やがて場内が真っ暗になり、ろうそくの光を持った踊り子達が、賑やかな演奏と共に登場する。

踊りはストーリーになっていて、男性群が一人の女性に次々とプロポーズするといった具合だ。
それぞれの男性が差し出すスカーフを女性が受け取れば結婚許諾。

他愛も無い話だが、踊りながらストーリーが展開されるので、結構面白い。

民族衣装と、トルコ独特の民族音楽が、異国情緒を醸していた。



「洞窟ホテル�R」
at 2007 06/10 05:16 編集

> -カッパドキア-


ホテルの右端から見る裏山の光景。

このキノコのような岩山が、我々が宿泊したホテルの一番右側である。

今は貯蔵庫か何かになっているようで、部屋としては使用されていなが、ホテルの廊下の突き当たりはこの岩穴に突き当たるのである。

此処は天然の冷蔵庫のようで、ひんやりとしており、食品などを保存するのに適しているようで、自然を最大限に利用していると言えるだろう。

翌朝はホテルの脇の急斜面を登って、前方に見える電波塔の近くまで、散策してみた。

そこからの景色は、今までと全く違った光景が広がっていて、新たな感動したものである。
明日からはまた、様々な村の光景を載せて見たいと思う。



「洞窟ホテル�Q」
at 2007 06/09 11:03 編集

> -カッパドキア-


ホテル前から見る村の光景。

昨日の岩の上に建てられた住宅から、少し左にずらした位置から望む村の佇まいである。

これがそれぞれ一戸建ての住宅だというから、日本の個別住宅とは大分様子が違う。

トルコでは昔の日本のように、今でも大家族制度が普通だから、一族がこうして大きな家に住んでいるのだ。

カッパドキア地方独特の石が豊富に産出されるので、こうした石造りの家が普通である。
此処には比較的富裕層の家が多いのだという。

遠くに見える岩山には、岩を繰り抜いて作られたと思われる教会のようなものが見える。
此処でも自然との共生が散見出来るようである。



「洞窟ホテル�P」
at 2007 06/08 09:55 編集

> -カッパドキア-


ホテル前の夕方の光景。

ホテルに着いて夕食までのひと時を、外に出て付近を散策した時の様子である。

ホテルの前は急な砂利道の坂になっており、良くこんな場所にホテルを作ったものだと感心する。

前に見える家は個人の住宅のようであるが、随分大きい家である。
それにしてもこんな岩の上に良く家を建てたものだと、これまた驚きである。

遥か彼方には一般住宅が建ち並んでおり、カッパドキアでも、近代化の波は押し寄せてきているのだなと思ったものである。

到着当日はホテルの周りを散策したに留まったが、翌朝はホテルの背後に聳える山の上まで足を伸ばしてみたものである。



「洞窟ホテル�O」
at 2007 06/07 09:18 編集

> -カッパドキア-


ホテルのテラスにぽつんと立っている街灯。

夕暮れが迫るこの光景の中で、アーク
灯の様なこの街灯は良く似合っていた。

一体夜になるとどんな明かりを灯すのだろうか。
妖精たちが集まって夜の舞踏会をするのに照明を提供するような、そんな物語を思い起こさせるような光景であった。

この明かりが、良く見掛ける蛍光灯であったら、きっとこの光景には合わないものだったろうし、被写体として関心を抱かなかったに違いない。

昔の古い映画で「街灯」と言う題の傑作が有ったのを思い起こさせるシーンであった。




「洞窟ホテル�N」
at 2007 06/06 06:11 編集

> -カッパドキア-


ホテルのテラスから見る村の光景。

村といっても此処から見る岩山の中には、ほとんど人間が住んでいる形跡は見られない。

はるか彼方に、カッパドキアを訪れた時に最初に載せた、オルタヒサールの岩窟村が見える。

こうして見ると、あの岩山の一角が、カッパドキアの中央で、一番高い村であることが良く分かる。

此処のホテルの位置が、どの辺であるのかを知る上で、あの洞窟村は良い目印になるのである。



「洞窟ホテル�M」
at 2007 06/05 09:24 編集

> -カッパドキア-


この岩もホテルから見える光景である。

ここは少し前まで人間が住んでいた形跡が有る。
良く見ると実に巧みに岩の原型を上手く利用しているようである。

屋根の庇の様になっている下に、ベランダのようなものを作ってみたり、中々手が込んでいる。

見た目は大地の上に岩が乗っているようだが、実際は氷山の一角のように、土の下には更に大きな岩盤が有るのだろう。

長い年月の間に、それらの岩の間に土砂が堆積して、このような岩屋のような形になったように思える。

まるで御伽噺に出てくる、妖精達の住む家のようではないか。
この家は三階建ての一軒家、上の方に見えるのは、差し詰めマンション群と言った所だろうか。



「洞窟ホテル�L」
at 2007 06/04 05:34 編集

> -カッパドキア-


部屋に据え付けられていたラジオのアップ。

何とも古色蒼然たる形のラジオだ。
果たして音が出るのかどうか、試してみれば良かったと、今にしてみれば思うのである。

せめて写真に撮っただけでも良しとしようか。
恐らくこの中身は、今でも真空管が使われているのではないかと想像出来る。

テレビも有ったがこれも見ずに終わってしまった。

矢張り、一泊だけの宿泊で、夜もベリーダンスを見に出掛けてしまっては、ゆっくりとこれらのものを鑑賞する暇が無かっようである。



「ギョレメの谷」
at 2007 06/03 08:36 編集

> -カッパドキア-


奇岩に彩られたギョレメの谷の光景。

同じ奇岩でも、アメリカのグランドキャニオンとはいささか趣を異にする光景だ。

あちらが太古の地球の原形を留めている荒々しい光景だとすれば、こちらの光景は海の波に削られたり、風化によって、滑らかに浸食された穏やかな光景と言えるだろう。

まだまだ地球上には見たことの無い姿が数多くある事に感動を覚える。

岩だけでなく、緑が多く点在する事もこの光景に安らぎを与えているのだろう。

妖精の煙突と呼ばれているこの岩山は、確かに妖精たちが住んでいるようにも思える光景だ。



「洞窟ホテル�K」
at 2007 06/02 09:04 編集

> -カッパドキア-


ホテルの窓側から見た部屋の様子。

この部屋には蛍光灯は無い。
全てがタングステン灯だから、写真に撮ると暖かいオレンジ色になる。

入口の外側の向かって右側にはちゃんとトイレと浴槽が付いている。
天井はとても高く、岩のごつごつした感じがそのまま残されている。

暖房は左側にあるスチーム暖房だけだが、朝晩はかなり外は寒くなるが、優しい暖かさで心地良い。
このスチームは洗濯した靴下などを乗せて置けば、翌朝までには乾くから便利で、ロンドン滞在時の事を思い出した。

このトルコ旅行の間、随分たくさんの様々なホテルに泊まったが、この洞窟ホテルでの宿泊が、一番安眠出来たように思う。

天井が高く薄暗いのと、エアコンを使用していないのが、その理由だろうか。
それとも嘗て人間は洞窟の中に住んでいた、本能的な名残なので有ったのだろうか。



「洞窟ホテル�J」
at 2007 06/01 09:19 編集

> -カッパドキア-


宿泊したホテルの右側の光景。

妖精達の煙突と呼ばれる奇岩を上手く利用して、ホテルにした様子が良く伺える。

ガラスの入っている部屋が我々の泊まった部屋である。
右側の方の岩がくり貫かれた所は、昔住居で利用されていたのかもしれない。

我々が部屋を探して廊下を彷徨っている時、暗い穴倉のような所に行き当たったのは、この岩の中の一つだったのかもしれない。

それにしても実に巧みに、これらの奇岩を利用して、ホテルを作ったものだと感心せざるを得ない。

自然を破壊して豪華なホテルを建てるのではなく、自然の良さを活かしながら、自然と共生する。
本来の住環境とは、そうしたものではないかと、この景観を見ながら感じたものである。
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トルコ回遊録�B
「洞窟ホテル�I」
at 2007 05/31 06:25 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋から見る正面の風景。

岩山の形がまるで大きな屋根を乗せたような形状である。
屋根の下をくり貫けば、そのまま住居になりそうな感じである。

事実、数箇所に岩を削って住居として使っていた形跡が見られる。

手前の段になった畑では、今は農作物は作られていないのであろうか。

この辺はかなりの高所の台地状になった地域であるが緑は豊富である。

高所のせいか、空気もひんやりとして肌寒かったが、部屋の暖房はエアコンやストーブを使わない、スチーム暖房であり、健康に良さそうなものだった。



「洞窟ホテル�H」
at 2007 05/30 05:39 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋から見える風景。

ちょっと悪戯してウォーターカラー風に撮ってみた。

ホテルの玄関の上が、テラスになっており、食堂に行くには一旦このテラスに出てからでないと行けないのだ。

畑の先には岩山がずっと連なっている。
今まで載せてきた妖精の煙突とはちょっと異なり、ずっと繋がった岩山である。

手前の畑にある農作物は一体何なのであろうか。
此処のホテルはかなりの高所に有り、バスが喘ぎながら昇って来た印象が有る。

高所のせいか、空気もひんやりとして肌寒かったが、部屋の暖房はエアコンやストーブを使わない、スチーム暖房であり、健康に良さそうなものだった。



「洞窟ホテル�G」
at 2007 05/29 07:14 編集

> -カッパドキア-


ホテル内での夕食のメインディシュ。

この洞窟内で食べたディナーは、バイキングでなく、コース料理だった。

客室数も少なく、お客もあまり居ないから、バイキングのように色々な料理を用意する事は出来ないのだろう。

未だにこの料理が何であったかは不明だが、トルコ料理であることに間違いない。

様々なものが土鍋風のものに煮込んであり、とろりとした味が美味しかった。
赤ワインとの相性がとても良い味であったのが今でも思い出される。



「洞窟ホテル�F」
at 2007 05/28 06:47 編集

> -カッパドキア-


ホテル食堂の入口。

今まで載せていた、ホテル内の食堂入口の光景である。

食堂に行くには、ホテルの部屋からいったん玄関屋上に有るテラスに出て、此処から入るのである。

此処のテラスはかなり広く、反対側からは180度村の周囲の光景を一望出来る。

入口から薄暗い食堂に入ると、様々なボトルワインなどが並べられており、趣のある調度品と共に、何とも言えないムードが漂っている。

しかし閉所恐怖症の人には、このレストランは向かないかもしれないなと話し合ったものである。



「洞窟ホテル�E」
at 2007 05/27 06:42 編集

> -カッパドキア-


ホテル食堂での夕食の光景。

此処のホテルに泊まったのは、我々2人以外は全て若いカップル3組だ。

驚いたのは周り中、粗い岩に囲まれていて、テーブルまで一枚の巨大な岩を平らに削ったもの。

まるでワイナリーの貯蔵庫で食事をしているみたいで、赤のハウスワインが美味しかった。

戦中戦後を体験した私には、さながら防空壕の中で食事をしているようで、若い皆にその体験談を話して聞かせたものである。

此処の食堂で食事を摂っていたのは、我々以外には欧米人のカップル一組だけであった。

洞窟住居に生活する人々の日常を髣髴しさせる体験ではあった。



「洞窟ホテル�D」
at 2007 05/26 06:08 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋の窓際に陣取って寛ぐ私。

部屋に着いて早速窓際に座り、外の景色や部屋の中をビデオや写真に収めて、寛いでいる所を相棒が撮ってくれた。

私が小型ピストルのように持っているのが、ビデオとデジカメ兼用のビデオカメラであるが、これ一つでビデオと写真が撮れるから便利になったものだ。

この写真は相棒の一眼レフデジカメ、ニコンのDシリーズで撮ってもらったものだが、矢張り暗い室内の自然光だとかなり無理が有るらしく、ノイズが激しい写真になってしまった。

昔のミシンの踏み台がサイドテーブルになっているのも、廃物利用で微笑ましい。



「洞窟ホテル�C」
at 2007 05/25 05:47 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋の窓から見える光景である。

岩窟住居らしきものが見えるので、ズームアップして撮ってみた。
どうやら今は人が住んでいないようだが、梯子などが有り少し前までは住居として使用されていたような形跡が有る。

これは部屋からの眺めだが、更にこのホテルの裏側の斜面を少し登っていくと、ギョレメの谷が一望出来る所に出る。

それらの写真は日を追って掲載するが、ホテル前の眺めは比較的平凡なものであった。

しかし自然の岩山の地形をこうして巧みに利用して住居にするには、一軒家を建てるより、よほどの努力が必要だろうと思ったものである。



「洞窟ホテル�B」
at 2007 05/24 06:14 編集

> -カッパドキア-


宿泊したホテルの部屋の内部。

土蔵の錠枚のような大きなドアの鍵を回して部屋に入った途端、オー・ワンダフル!!と思わず声を上げた。

狭い螺旋状の洞窟内の石段を重い荷物を持って昇ってやっと部屋に辿り着いたのだ。

勝手に自分達で部屋を探してくれと言った具合で、ポーターなんて居る筈もなく、迷路のような通路を行くと、行き止まりが真っ暗な穴倉だったりしたのだ。

しかしこの部屋の雰囲気はとても気に入った。
窓からは不思議な奇岩群の光景が一望出来る。

蛍光灯でないタングステン光のオレンジ色の照明も落ち着きを感じさせ、調度品もクラシカルでムードたっぷりである。

こんな部屋に彼女と二人で泊まったら、さぞ素敵だろうと、他の若いカップルのツアーメンバーを羨ましく感じたものである。



「洞窟ホテル�A」
at 2007 05/23 05:01 編集

> -カッパドキア-


ホテルのフロントの様子。

アルズさんと添乗員が我々のチェックインの手続きをしてくれている。

此処だけは、妖精の煙突の岩と岩の間に玄関を作ったらしく、普通の建物のような感じがする。

しかしロビーなんていうようなものではなく、玄関を入るといきなりフロントのデスクが有る。

この鼻眼鏡の伯父さんだけがフロントマンらしく到着した時も翌朝も此処に居た。
だがその姿も常時居るのではなく、誰も居ない時が多く、勝手にホテル内に誰でも入れるから、ちょっと物騒ではある。

用が有る時はデスクの脇の手の平でチンと押すベルを叩くとおじさんが出てくるのだ。

我々の部屋に行くには、右手の岩を削った迷路みたいな石段を、キャリーケースを自分達で持って上がっていかなければならない。

何とも不便な話だが、それがまたホテルらしくなくて、相棒とぶつぶつ言いながら、自分達の部屋を探したのも楽しい思い出であった。



「洞窟ホテル�@」
at 2007 05/22 06:15 編集

> -カッパドキア-


我々がカッパドキアで宿泊した洞窟ホテルの外観。

我々の部屋は丸窓の嵌まった部屋である。
実に野性味溢れるホテルで、私にとっても勿論初めての体験であった。

自然の岩を巧みに利用してくり貫き、切り出した岩と上手く組み合わせて、ホテルが出来上がっているといった具合だ。

今思うと、ホテルの入口玄関の写真を撮らなかった事が残念である。
ビデオでは撮影したのだが、写真に撮る事を忘れてしまったようだ。

暫くはこの風変わりなホテルの中や、ホテル周辺の不思議な光景をご紹介したい。



「記念撮影」
at 2007 05/21 06:34 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷をバックに記念に一枚撮ってもらった。

不思議なのは私の居る場所である。
直ぐ後ろは何も無く、すとんと断崖絶壁で谷へと落ち込んでいるのだ。

アメリカのグランドキャニオンもそうであったが、落ちるのは個人の責任だと言わんばかりに、柵などの防護策は何も施していない。

人命重視の日本では考えられない事である。
しかし考え方で、これが自然本来の姿なのだから、人為的な美観を損なうものは無い方が良いとも言えるであろう。

それにしても、こんな状況の足場が崩れ落ちない事にも不思議さを感じたものである。

流石に際まで行って下を覗き込んだ時には、肝を潰したものである。



「奇岩の群れ�A」
at 2007 05/20 06:01 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の光景第二段。

先日載せた奇岩群の景色を少し右にずらして眺めた光景である。
こんな谷の下にも道が有り、手入れが行き届いた跡が見受けられる。

手前の岩肌はなだらかで、まるで人間の肌のような感じがする。

こんな所を散策して下から上を眺めるのも別な光景が広がっているのだろうと思ったものである。

この奇岩の間を縫って行くと、左前方に広がる古い街の中に出られそうである。

この街の交番も奇岩をくり貫いた中にあるのだと、少し前のテレビでやっていた。

自然を活かして、自然と共存する世界は、如何にもロマンチックな匂いがする。



「アイスクリームを売る青年」
at 2007 05/19 09:22 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷が一望出来る場所で、たった一人アイスクリームを売っている青年が居た。

青年と言うより、まだ少年のあどけなさが残る顔である。
観光客が近付くと、半分照れ臭そうに「アイスクリーム」と声を掛ける。

トルコ・アイスを食べた方はご存知だろうが、飴のように硬く伸びる。
しかし口に入れると普通のアイスクリームのように溶けるのだ。

この舌触りと味が癖になり、夏になるとトルコ・アイスを買ってきて食べる習慣が付いた。
直ぐに溶けないからベタベタせずに済むからである。

たった一人だけ、この大地に立ってアイスクリームを売る青年は、今でも此処に居るのだろうか。



「奇岩の群れ」
at 2007 05/18 05:27 編集

> -カッパドキア-


台地の上からギョレメの谷を一望した光景。

正しく自然の奇岩群と人家が一体となって織り成している眺めである。

我々はこれから、左手の小屋の見えるほうに移動し、別の角度から180度のこの光景を眺望することとなる。

この広大なパノラマは、一つとして同じ光景が無いほど、延々として続いているのだ。

何億年もの長い時を経て、自然が作り出した不思議な光景は、人間の寿命では計る事の出来ない時空であるが、人間もまた、太古の時代から種族を保持し生き長らえて来た事も事実であろう。

この光景は、自然と人間が作り出してきた、壮大なドラマを感じさせる光景なのである。



「トルコ石を売る男」
at 2007 05/17 05:57 編集

> -カッパドキア-


典型的なトルコ男性の風貌をした店員である。

日本語が話せない真面目そうなこの若者と、私は値段交渉をした。
海外の貴金属店では、良く価格を表示せずに、商品だけを展示している店が多い。

その点この店は、価格を明記しているので、安心して品物を探せた。
しかしそれにしても良い値段である。

ちょっと手頃だなと思うものは、トルコ石の色が良くなく、輸入物だという事が直ぐ分かる。

彼にはまだ価格決定権が無いらしく、私が法外な価格を提示すると、いちいち上司らしい男に相談に行く。

アルズサンも応援してくれて、無事商談が成立した時には、とても嬉しそうな顔で、カメラに応じてくれたものだが、これはまだ交渉の最中の真剣な顔である。



「トルコ石」
at 2007 05/16 05:16 編集

> -カッパドキア-


トルコ石の製造販売店のショウウィンド。

再びトルコシリーズに戻った。
様々な種類のトルコ石の見本である。

トルコ国内では、このカッパドキア地方で嘗ては豊富に産出されたようであるが、今ではごく少量しか採れなくなってしまったとのこと。

ほとんどがイランや中国からの輸入品になったというが、本物のトルコ石とは色が違う。
この濃いマリンブルーのネックレスが、本物のトルコ石なのである。

しかも良く見ると、石の中に金が混じっていて、値段も他の物より数段高い。

見る人が見ると、本物のトルコ石か、輸入品なのかが直ぐ分かるというから、少し気張って本物のを買ってしまった。

トルコの土産品の中では一番高く、一眼レフデジカメが買えるほどの価格であった。



「ゴルフプレー」
at 2007 05/15 05:57 編集

> -群馬-


打ち下ろしのロングホールでドライバーショットを打つ従弟の姿。

今日はこれから群馬県のホーム・コースまでゴルフに出掛ける。
前にこのコースに行ったのは、去年の夏であった。

我が家から、車で1.5時間掛かるので、日頃はつい家から15分で行ける近場の、もう一つのホーム・コースに行ってしまう。

しかしこちらは標高350メートルの高地に有るので、景観が良く気分転換には最高である。
嘗ての名ゴルファー、中村寅吉が設計したコースだけに、難しいのが難点だが。

今日は天気が良さそうだし、スコアーの悪さを、天候のせいに出来そうも無いようである。



「境内」
at 2007 05/14 04:28 編集

> -世田谷-


巨木の間を通して見る豪徳寺仏塔の光景。

雨に煙る境内は、全てのものを洗い流して、新緑の中に清々しく感じられた。
友は此処の墓地の彼の先祖代々の墓の中で、既に眠っている事だろう。

しかし、今流行の詩「千の風になって」ではないが、旅行好きだった彼は、得意の英語を駆使して、今頃は風になって世界中を旅しているに違いない。

丁度一年前であったが、私がトルコに行ってきた報告をした時、彼は死ぬ前にもう一度、パームスプリングスに行ってゴルフをしたいので、迷惑を掛けるかも知れないけど、連れて行ってくれと言っていた。

遂にそれも実現しないままで終わってしまったが、今頃は黄金色に輝く、岩山の間にある名門ゴルフコースで、思う存分プレーしている事であろう。



「山門脇の店」
at 2007 05/13 06:50 編集

> -世田谷-


豪徳寺山門脇に有る小さな店の佇まい。

地名にまでなっている豪徳寺の長い参道を歩いて山門に辿り着いた。

これだけ大きなお寺なのに、店はこの一軒だけなのが、却って古刹に相応しく奥ゆかしさを感じる。

此処は境内脇にたくさんの招き猫が置いてある事でも知られている。
徳川家の重臣井伊直弼の墓なども有る事で有名だ。

一昨年の正月には逝去した友に案内されて、境内を散策したのを懐かしく思い出した。

その彼が、今は代々続いた彼の先祖の墓の中の一員として、眠りについてしまった。

彼との付き合いは、35年の長きに亘ったのであった。




「東急世田谷線�A」
at 2007 05/12 05:41 編集

> -世田谷-


豪徳寺近くの宮坂駅付近の光景。

この駅で、上り下りの電車がすれ違うために、此処だけ複線になっていた。

駅を降りた踏切の直ぐ左に、○○家葬儀場と書かれた大きな看板が出ていたが、敢てそれが写らない様にカメラの位置を調整した。

逝去した友は、数年前の長者番付に名を連ねたほどの資産家だった。
しかし彼は、嘗て国鉄職員だった実父の資産を相続したための高額納税者であり、自分の努力でそうなったのではないと、極めて謙虚な態度で過ごしてきたのだ。

彼の口癖は、人間幾ら金が有っても、健康でなければ生きている価値が無いと、言い続けていたものである。

病魔に侵されて9年、やっと今苦痛から開放され、由緒有る此処豪徳寺の菩提寺に、安住の場所を得る事が出来たのであろう。

生前の公私を越えた厚誼を感謝すると共に、安らかな永眠を祈るのみである。



「東急世田谷線」
at 2007 05/11 08:34 編集

> -世田谷-


都電ではないが小さな電車の駅の光景。

この日友人の葬儀で豪徳寺まで出掛けた。

三軒茶屋から下高井戸まで走っているこの電車は、都電の荒川線同様、住宅地の軒下を走るような感じである。

終点まで行っても、運賃は均一の140円。
何と料金所は改札口に備えてあるのだ。

車掌は全て女性で、二つ有る乗車口の後部に居り、まるで昔のバスの車掌のような感じがして懐かしさを憶えた。

この日だけが雨で、友の涙雨のような感じがした。
前に彼の家を訪れたのは、新年会をするために招かれた一昨年の正月だった。

もうこの電車に乗ることも無いであろう。



「描く人」
at 2007 05/09 06:35 編集

> -新宿-


歩行者天国に腰を据えて何かを描いている若者の姿。

彼は一体此処で何をしているのだろうか。
最初見た時は、周囲のビルを眺めながら筆を運んでいるので、てっきり絵を描いているのかと思ったが、並べている用紙を見るとそうでは無いらしい。

周囲の雰囲気を鑑賞しながら、詩でも書いているのだろうか。
傍に近付いて作品を良く見なかったので、分からず仕舞いだった。

何かパフォーマンスでもしていれば一目瞭然だが、最近は得体の知れない若者も結構多い。
身なりや持ち物もちゃんとしているから、自分の主張を披露して共感する人に販売しているのだろうか。

世の中変わったものだと思いながら、通り過ぎたのだった。



「歩行者天国」
at 2007 05/08 10:30 編集

> -新宿-


車の無い道路は広々としていて気持ちが良い。

言わずと知れた、新宿通りの休日の光景である。
新宿駅東口に向かう午後の通りの真ん中を歩いてみた。

人々は皆思い思いに、ゴールデン・ウィーク終盤の初夏を思わせるこの休日を、楽しんでいるようだった。

初めて気付いたのだが、駐停車禁止になったこの通りも、ほとんど商店で埋め尽くされている事情からか、荷捌き用の車の停車スペースを認めたようである。

ほとんど駐車場の無い、この近辺では苦肉の策ということなのであろうか。

電線を地下に埋めることに成功したこの通りは、空が開放的になり、差し詰めニューヨーク・ブロードウェイのミニチュア版と言った所だろうか。



「待つ人々」
at 2007 05/07 05:30 編集

> -新宿-


新宿末広亭の前で開演を待って行列が出来ていた。

久々にこの裏通りを通った。
寄席が今でもこんなに人気が有るとは思わなかった。

この行列は大通りまで続いている。
私は10年前までは、行き付けのスナックがこの末広亭の傍に有り、良く会社帰りに仲間と行ったものである。

十年一昔と言うが、その店ももう看板が出ていなかった。
懇意にしていたそこのママも、孫が出来てもう店を畳んだのだろう。

懐かしさを憶えながら、この行列の脇を通り過ぎたのであった。



「チャランゴを弾く男」
at 2007 05/06 05:48 編集

> -新宿-


歩行者天国の街角でストリートパフォーマンスをする南米の男。

昨日は従兄の49日の法事で新宿に行った。
法要を終えて帰途の途中、街はゴーデンウィーク真っ只中、初夏の陽気の歩行者天国は人で溢れていた。

あちこちでこのような光景を見掛けた。
私は学生時代、中南米音楽のトリオを組んでいたので、このような光景を見ると通り過ぎる事が出来ない。

しばし彼の奏でる懐かしい曲の数々を楽しんでいた。
彼とデュオを組んでいるもう一人の男は、ケーナを吹いていた。

帰宅すると、友人の奥様から訃報が舞い込んだ。
長年海外気まま旅を楽しんだ友が、亡くなったと言う。
苦楽を共にした友人だけに、悲しみを禁じえない。
また通夜に出掛けなければならない。

今年のゴールデンウィークは、ゆっくり出来そうも無い。




「宝石店にて」
at 2007 05/05 05:56 編集

> -カッパドキア-


トルコ石の装飾品を専門に製造販売する店の光景。

私は家人からトルコに行ったらトルコ石の指輪を買ってきてくれと、事前に頼まれていたので、この店でかなりの時間を割いて値切り交渉をした。

彼は様々なトルコ石のネックレスを示して石の違いを説明していた。

嘗ては豊富に産出されていてたトルコ石も、今は本場トルコでも余り取れなくなり、イランや中国などからの輸入品が多いのだと言う。

しかし本物のトルコ石は色が全く違う。
濃いエメラルドグリーンの物が本場トルコのものであるが、目が飛び出るほど高い。

アルズサンにも協力してもらい、純金台の、本場トルコの石の中に金が混じっている指輪を値切り交渉の結果ゲットしたが、それでも預かった金額をはるかにオーバーしたものになってしまった。



「洞窟住居�K」
at 2007 05/04 05:48 編集

> -カッパドキア-


妖精の煙突と言われる奇岩をくり貫いた、住居の様子もこれで最後としたい。

これは長女のベットの様子である。
こうして家族4人分のベットが、部屋の片隅に据えられている。

石を削った床が平らではないから、ベットの足に添え木がしてあるのが、何とも愉快である。

少女のベットらしく、壁に掛けた絨毯のタペストリーや、枕元に置かれた人形などが微笑ましい。

この洞窟住居を訪れたのは、丁度一年前の今日であった。

月日の経過の早さに驚きを禁じえないが、こうして写真をアップしていると、この時の事がつい先日のように思えてくるから、不思議である。

新しく生まれた子供を加えて、此処の家族は今頃どうしているのだろうか。

妖精の煙突と言われる奇岩をくり貫いた、住居の様子もこれで最後としたい。

これは長女のベットの様子である。
こうして家族4人分のベットが、部屋の片隅に据えられている。

石を削った床が平らではないから、ベットの足に添え木がしてあるのが、何とも愉快である。

少女のベットらしく、壁に掛けた絨毯のタペストリーや、枕元に置かれた人形などが微笑ましい。

この洞窟住居を訪れたのは、丁度一年前の今日であった。

月日の経過の早さに驚きを禁じえないが、こうして写真をアップしていると、この時の事がつい先日のように思えてくるから、不思議である。

新しく生まれた子供を加えて、此処の家族は今頃どうしているのだろうか。



「洞窟住居�J」
at 2007 05/03 06:22 編集

> -カッパドキア-


ツアーメンバー一同が、岩穴の部屋に通された時の驚きの表情。

この部屋に入ったばかりの時に、ストロボを発光して部屋の中の様子を克明に撮影してみたものだ。

何となく天井が落ちてくるのではないかといった閉塞感が有るのだ。
果たしてこの岩穴住居は地震には強いのだろうか。

しかし地震国トルコで、この住居が大昔から存在していると言う事は、此処の岩盤はかなり強固なのであろう。

岩穴住居は沢山有るが、トルコ政府は崩落などの可能性がある危険な住居は、全て退去を命じたと言うから、この家はその中でも居住を許可された家であるから、大丈夫なのだろう。

しかしやがては、生活の利便性から、此処も無人になるのではないかと思うと、我々は貴重な体験をしたのではないだろうか。



「洞窟住居�I」
at 2007 05/02 07:12 編集

> -カッパドキア-


Sさんご家族の記念撮影をする相棒のカメラマンぶり。

このアングルだと、岩穴の中の住居の様子が良く分かるので載せて見た。

妖精達の煙突と呼ばれる、とんがり岩の一つをくり貫いた住居の中は、床が岩なので、厚い絨毯を引いてあっても
でこぼこしていて、慣れないとつまずきそうになる。
おまけに写真でもお分かりのように、天井が低いので、背の高い人は頭を岩にぶつけそうになる。

ストロボを発光せず自然光で撮ったので、実際の岩穴の中の明るさは蛍光灯は点いているが、この程度である。

明るい部屋の中での暮らしに慣れている我々には、いささかの閉塞感を感じるようだ。

閉所恐怖症の人にはちょっと住めないかもしれないが、此処の家族の部屋は、この一室だけである。

石炭や薪を炊くストーブは部屋の真ん中に有るが、エアコンなどは無いから、多分夏は岩屋の中はひんやりとして暑くないのだろうと思われた。

ちなみに我々が宿泊した洞窟ホテルもスチームヒーターは有ったがエアコンは無かった。



「妖精達の煙突�G」
at 2007 05/01 09:27 編集

> -カッパドキア-


新緑の中に聳える奇岩群と土産物屋のある光景。

此処を訪れた時から、早くも一年の歳月が経過した。
トルコも日本と同じように新緑が眩しい春の時期であった。

去年の今頃は、10日間の旅の真っ最中であったから、月日の経つのは早いものである。

今年のゴールデンウィークは、4日の従兄の49日の法要を中心に、来客、家の修理、ゴルフなどと、予定が詰まっており、ネットも儘ならない。

せめて暇を見て、一年前の複視を押して出発した、トルコ旅行の写真やビデオを見ながら、楽しかった旅の思い出を懐かしむとしようか。
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トルコ回遊録�A
「洞窟住居�H」
at 2007 04/30 09:00 編集

> -カッパドキア-


この家の次女と、ツアーメンバーの女性が遊んでいる様子。

新潟から一人でツアーに参加した女性が、自分の手と相手の手を打って遊ぶ日本の遊びを少女に教え、それに興じているのだ。

脇でそれを見ていた姉が、先日載せた写真でお分かりのように、私とこれと同じ遊びをしようと言ってせがんだのだ。

夏も近付く八十八夜…を歌いながら、交互に相手の手を打つ遊びである。
こんな他愛の無い遊びでも、少女たちにとって見れば、楽しい事なのだろう。

何も遊びの道具が無くても、相手が居れば遊べるからである。
言葉が通じない人間同士も、こうしたスキンシップで、友達になれるものだと実感したひと時であった。

それにしても、周りの手織りの絨毯のすばらしさには、見惚れたものである。



「洞窟住居�G」
at 2007 04/29 05:37 編集

> -カッパドキア-


この家の次女と一緒に記念撮影。

姉さんに負けずに、この子も頭が良く確りしているが、次女特有の人懐こさが可愛い。

我が家にも二人の娘が居たので、全く意識せずに打ち解ける事ができた。
こうして異民族の子供であっても、一緒に接していると、違和感無く遊ぶことが出来るのは、矢張り年の功と言うものであろうか。

彼女は別れる時、私の乗るバスの外から、一生懸命手を振って、送ってくれたのが今でも目蓋の底に焼き付いている。

束の間の触れ合いであったが、彼女はあれから一つ年を取って、今頃は新しく誕生した赤ちゃんの姉として、更に大人びた少女になっている事であろう。



「洞窟住居�F」
at 2007 04/28 09:07 編集

> -カッパドキア-


部屋の片隅の窓の有る光景。

窓と言っても岩がくり貫いてある明り取りの窓だ。
此処に足で漕ぐミシンが置いてあるが、今では飾り棚になっているようだ。

壁には家族の写真が貼ってあるが、この写真を見ていると、家族の生い立ちが分かるようで微笑ましい。

やがては子供達も大人になり、この洞窟住居から離れていく時があるのだろうか。

そんな時、住み慣れたこの岩屋は彼女達にどんな風に映るのだろうか。
矢張り懐かしいふるさとの家、と思えるに違いない事であろう。



「洞窟住居�E」
at 2007 04/27 06:15 編集

> -カッパドキア-


お母さんと長女のスナップ。

何と母娘の良く似ていることか。
トルコでは一般的に女性が一家を支えていると言っても過言ではないと、アルズさんが言っていた。

次女と違い、この娘も確りした負けん気の顔をしている。
きっと大人になったら、お母さんを見習って、確りと一家を支える事だろう。
年齢は11才くらいだろうか。

お母さんは、身重なのに、我々の接待に忙しく動き回っていたから、この写真はたった一枚の貴重な記念写真である。

送ってあげる事が出来ないのが残念だ。




「洞窟住居�D」
at 2007 04/26 06:36 編集

> -カッパドキア-


ストーブを中心とした部屋の中の様子。

このストーブは石炭を燃料としているのだろうか。
日本ではちょっと見慣れない物である。

岩の中は冬暖かく、夏涼しいのだというが、それでも厳寒の頃はストーブが無いと寒いのであろう。

家族が一つの部屋で一緒に暮らす生活は、我々が育った時代は当たり前であったが、今の日本ではほとんどの家庭が、夫婦の部屋、子供の部屋と別れている。

家族でもプライベートを重視する、欧米型の家庭生活は必要なのだろうが、家族が一つになって喜怒哀楽を共にする生活も、協調精神を培う上で重要な事のように思えるのは、私の考え方が古いのだろうか。

少女のベットの脇には、大きなイスタンブールのアヤソフィア宮殿の絨毯壁掛けが飾ってある。
矢張り夢は、此処からイスタンブールに出て活躍する事なのであろうか。

室内の蛍光灯だけの明かりで撮ったので、少しブレたようだ。



「洞窟住居�C」
at 2007 04/25 06:46 編集

> -カッパドキア-


お姉ちゃんの方に遊びをせがまれている私。

珍しい光景をビデオや写真に収めようと、あちこち撮っている私に、彼女は写真ばかり撮っていないで、何かして遊ぼうと両手を差し出した。

私は意味が分からず、彼女の言っている事を聞こうとしているがさっぱり分からない。

どうやら最初に両手を相手と合わせて、それから自分の手を打って、その後相手の手と片方ずつ打って行く、日本の子供の遊びと同じらしい。

せっせっせ〜、夏も近付く八十八夜…と歌いながら、相手と手を打ち鳴らすあの遊びだ。
差し出した手が、合わないと失格のこの遊びは、万国共通なのであろうか。

彼女の方が、言葉は分からなくても、ボディランゲージで、相手とコミュニケーションを取るのは、私より上手のようである。

脇でそんな娘の姿を、お父さんは心配そうに見守っている。



「洞窟住居�B」
at 2007 04/24 06:44 編集

> -カッパドキア-


全く気付かずに私の撮影シーンを撮られた一枚。

この写真は相棒が撮ってくれたものだが、ごつごつした岩の天井などが良く描写されていると思う。

身重の奥さんが我々に温かいチャイを振舞ってくれた。
トルコでは通常主人は一切家事には手を出さないのだという。

でんと座ったままで、一家の家長としての威厳を保つというから、戦前の日本と良く似ている。

この時奥さんは妊娠7ヶ月だったというから、もう今では可愛い赤ちゃんが家族の前で愛嬌を振りまいている頃だろう。

果たして私の隣に居る長女の希望どうりに、男の子が誕生したのだろうか。
こうしてこの写真を見ていると、人生は一期一会だという事を強く感じるのだ。

恐らく二度と会う事の無い、この家族との出会いではあったが、こうして私の写真やビデオの中で、行き続けている事に、不思議な感動を覚えるのである。



「洞窟住居�A」
at 2007 04/23 08:48 編集

> -カッパドキア-


妖精の煙突と呼ばれる岩山住居に住む家族と共に記念撮影。

私は厚かましくも、早速父親の脇に陣取って、コミュニケーションを開始した。
子供達は英語はまだ分からないらしいが、お父さんは少し話せるようだ。

40代の父親の年齢からして、私は彼女等のおじいちゃんと言った所だろう。

右端に居るのは、新潟から一人でこのツアーに参加した若い女性である。

ずっと先祖代々この住居に住み着いていて、下に敷かれた絨毯は、代々のこの家に住んだ女性達が織った絨毯とかで、右手前のものは、彼女達のお母さんが織ったものだという。

居間は此処しかなく、この居間で家族4人が住んでいるから、ベットが三個部屋の脇には並んでいた。

狭いながらも楽しい我が家、といった所だろうか。
余談だが、母親のお腹には3人目の子供が居るのだという。

私の脇の長女は、今度は弟が欲しいと言っていると父親から聞いた。



「洞窟住居の少女」
at 2007 04/22 09:24 編集

> -カッパドキア-


妖精の煙突の岩山に住んでいる少女のアップ。

彼女の直ぐ後ろに見える岩山に彼女は住んでいるのだ。

現地ガイドのアルズさんの粋な計らいで、現実に洞窟住居に住んでいる家族の家にお邪魔する事が出来た。

トルコ政府から許可を得て、今でも岩山の洞窟住居に住む事が許されている希少な家の一つである。

家の入口は左の石段を登った所にある。

彼女は二人姉妹の下の娘である。
言葉が通じないから、ボディ・ランゲージで写真を撮るよと言ったら、けれん味なく応えてくれた貴重な一枚だ。

とても賢い子で、父親の顔に良く似ている。
彼女の純粋で真っ直ぐな視線に、つい自分の娘達の子供の頃を、思い起こしていたものである。



「駱駝の居る光景�A」
at 2007 04/21 06:59 編集

> -カッパドキア-


ずっと近付いてラクダ君のアップを狙った。

半眼の目で、お前何しに近付いてきたのかと言わんばかりの顔で、じっとこちらを見詰めている。

何とも愛嬌のある顔である。
鼻の下の長さは私以上だ。
綺麗な女性が寄って来たらもっと長くなるのだろうか。

ちょっと汚い話だが、こんな大きな図体にも拘らず、糞はころころと兎の糞のような可愛さだ。

この偏平足の大きな足だから、柔らかい砂漠の砂の上でも、潜らずに歩けるのであろう。

エフェスで私もラクダに乗ったが、背中の絨毯や、止まり木がもっと綺麗であった。
矢張りこのラクダは農耕用のようである。

ラクダ君に嫌われて、強烈な匂いのするゲップを、掛けられずに済んだ事は幸いであった。



「駱駝の居る光景」
at 2007 04/20 06:02 編集

> -カッパドキア-


見晴らしの良い高台に、駱駝が二匹繋がれていた。

土産物屋の脇の道を上に登っていくと、こんな光景に出会った。
この駱駝たちは一体何の目的で此処に居るのだろうか。

農耕用なのか観光用なのか良く分からない。
辺りに人影が居らず、ただ黙々と餌を食んでいるだけである。

観光用だとしたら、余りにも汚過ぎるし、人が居ないという事は商売気が無さ過ぎるというものである。

そんなことを考えながら、更に近づいてみたが、彼等の顔は良く見ると結構愛嬌の有る表情だと、今更ながら思ったものである。

背景の山々とのコントラストが良かった。



「妖精達の煙突�F」
at 2007 04/19 05:38 編集

> -カッパドキア-


店をちょっと覗いただけなのに、愛想良く手を振って別れの挨拶をするおじさん。

何とも人の良いおじさんである。
結構流暢な日本語で、色々と説明してくれた。
どうして日本人だと分かったかと聞いたら、アジア人で観光客が一番多いのが日本人だからだという。




「妖精達の煙突�E」
at 2007 04/18 05:42 編集

> -カッパドキア-


とんがり屋根の奇岩が林立する前の店で、みやげ物の売込みをするおじさん。

何とも人の良いおじさんである。
私を見付けて、見るだけOKなんて呼んでいる。

背景の奇岩を象った陶器のボトルの中に入ったワインなどを売っていて、お土産には持って来いだが、既に私は同じようなものを、日本を経つ前に注文してあったので、本当に店頭を見るだけにした。

おじさんには、もう買ってしまったよと断った。
これはかなりの重量が有り、持って帰るには重過ぎるのだ。

前にも書いたが、私はこの脇の露店で店を張っていた、おばちゃんたちからレースのクロスを買ったものである。



「妖精達の煙突�D」
at 2007 04/17 09:01 編集

> -カッパドキア-


とんがり屋根の奇岩が林立する前で、店を張るみやげ物店の光景。

茶色い奇岩とカラフルな土産物店との対比が鮮やかである。

左手奥には洞窟ホテルの看板なども見える。
私もオプションで洞窟ホテルに泊まったが、此処のホテルではなく、あたり一面が、妖精達の煙突といわれる奇岩が林立するもっと奥地のホテルであった。

そこはとても徒歩では行けないような高地の場所であったが、それだけに野性味があり、貴重な体験であった。

此処に住む人たちは皆純朴で、温かい心の持ち主達が多いのが嬉しかった。

自然の中で暮らす人たちは、きっと心まで、純粋であるのだろうと話し合ったものである。



「妖精達の煙突�C」
at 2007 04/16 10:37 編集

> -カッパドキア-


昔の岩山住居と現在の住居が渾然一体となって存在する光景。

石が豊富に産出される此処カッパドキア地方では、現在の住居も全て此処の石を利用したものである。

チャウシンと呼ばれるこの村はカッパドキアでも最も古い村の一つで、5世紀頃から存在するのだという。

岩の斜面を利用した横穴は、今でも村の共有の食物貯蔵庫として利用されているという。
中はひんやりとして風通しも良いため、物が腐らないのだそうだ。

山の上の方の住居から、毎日これらのとんがり屋根の、いにしえ人の住居を眺めながら生活する人々は、きっと自分達の先祖に感謝の気持ちを抱きながら、生活している事であろう。



「妖精達の煙突�B」
at 2007 04/15 08:57 編集

> -カッパドキア-


可愛らしいとんがり岩が四つ並んでいる光景。

どうやら三つ目の岩山は今でも使用しているようである。

妖精達の煙突とは実に上手い呼称をしたものだと感心する。
言われて見ると、確かに妖精が住んでいる家のようにも思えてくる。

世界遺産の中でも珍しい存在の、奇岩を利用したこれらの生活空間は、夏涼しく冬暖かい住み心地の良い家であると言う。

それらの家の一つにお邪魔したものだが、それは後日ご紹介しよう。




「妖精達の煙突�A」
at 2007 04/14 05:57 編集

> -カッパドキア-


嘗ては岩穴住居であった中でも規模の大きい岩山。

再びトルコシリーズに戻った。
10世紀頃、キリスト教徒がアラブ人の迫害から逃れるために住んだ岩穴住居は、カイマルクなどの地下都市同様、歴史の厳しさを今も残している。

現在でも岩穴住居に住んでいる人たちは多いが、此処は危険であることから、今は鳩の糞を集めるための鳩小屋であるという。

世界遺産の中でも珍しい存在の、奇岩を利用したこれらの生活空間は、幾ら見ていても飽きないのである。



「日本の春�K」
at 2007 04/13 09:15 編集

> -川越-


喜多院の多宝塔をバックに咲き誇る桜の光景。

毎年桜の時期に此処にやって来ているような気がする。
あとは欧米人を連れて、日本の文化を案内する時だろうか。

この塔が建立されたのは、まだ十年ちょっと前だった様な気がする。
こうして年月が経つに連れ、昔から有ったような重厚さが感じられてくるから不思議である。

今では本堂と相俟って、此処のビューポイントになっている、といっても過言ではないだろう。

歴史が古く無いのに、歴史を感じる。
歴史は作られるものとは良く言ったものである。
この塔は桜に良く合っている様である。



「日本の春�J」
at 2007 04/12 06:02 編集

> -自宅付近-


春の日差しを浴びて境内を散策する家族の様子。

こちらでは桜もそろそろ終わりに近付き、青葉の季節に移ろうとしている。

温かい春の午後の日差しの中、三代の親子だろうか、おばあちゃん、お母さんそして孫らしき三人が、人影もまばらになった地蔵院の中を楽しげに散策していた。

この後、川越喜多院の満開の桜を最後に、ひとまず日本の春シリーズを締めくくり、またトルコシリーズに戻りたいと思う。



「日本の春�I」
at 2007 04/11 08:48 編集

> -自宅付近-


満開の桜の下で、記念撮影をする人。

孫とおばあちゃんだろうか。
こうして世代を超えて、共に花見に来る姿は微笑ましい。

此処は我が家から歩いて10分くらいのところにある、地蔵院である。
何処の街にも有るような小さなお寺だが、桜の時期には急に脚光を浴びる。

日頃は訪れる人も少ないこうしたお寺も、この時期だけは地元の人たちで賑わうのである。



「日本の春�H」
at 2007 04/10 07:18 編集

> -川越-


こういう場面を見るとついカメラを向けてしまう。

おじいちゃんの腕に確りしがみついて、船着場の方を見ている孫らしき少年。

おじいちゃんも缶ビールを片手に、至福の時といった面持ちだ。
「よしよし、じゃあそこに並んで、舟に乗ってみるとしようか」
そんな会話が聞こえてくるような場面である。

昨晩は遅くまで映画を見ていたので、今朝は寝坊をしてしまった。

一週間前はこんな満開の桜も、こちらでは今はもう葉桜に成り掛けている。

古来から日本人は武士道の有り方を、散り際の良い桜花に例えたものだが、最近の日本の高齢化は、老いて益々盛んの感が有るのは、これも平和日本の象徴なのであろうか。



「日本の春�G」
at 2007 04/09 09:25 編集

> -川越-


花の宴といった光景。

地元の踊り自慢が集まって、特設ステージで日頃の成果をご披露している様子を、満開の桜越しに狙った。

こんな場面を見ていると、太閤秀吉が最盛期に催した、醍醐の花見の宴の様子を頭に思い浮かべる。

それぞれの名だたる大名が、仮装で様々な人物に扮して、宴を盛り上げると言った嗜好だったそうだ。
その中で、秀吉は物売りの爺さんに扮して、花見をする席を瓜を売って廻ったという。

時は春爛漫のこの時期が、日本の四季で一番華やかで良い時ではないだろうか。

今夜は映画「男達の大和」がテレビで放映される。
桜花のように若くして散って行った、当時の英霊達に、鎮魂の気持ちを抱きながら、鑑賞したいと思う。



「日本の春�F」
at 2007 04/08 09:36 編集

> -川越-


川舟を操る船頭さんのアップ。

この船頭さん、ベテランのように感じるが、日頃は何をしているのだろうか。

川越で、他に船で仕事をする所は今は無いから、農業にでも従事しているのだろうか。

川べりで舟の近付くのを待っていたら、通り過ぎる時に、漕ぎ手を止めてポーズで応えてくれたようである。

柔和な顔には、人の良さと彼の過ごしてきた人生が刻まれているようで、その素朴さが素敵だった。




「日本の春�E」
at 2007 04/07 09:21 編集

> -川越-


舟と舟とのエールの交換といった光景だろうか。

小さな川で舟がすれ違うのは、かなり窮屈そうである。
しかし昔はたくさんの荷舟がこうして行き交った事だろう。

お互いの乗船客が、相手の船の様子を携帯カメラで、撮り合っているのも、現代ならではの光景のようだ。




「日本の春�D」
at 2007 04/06 06:37 編集

> -川越-


メインステージの前を行く花見舟。

船着場の前には、土手に臨時のステージが設けられている。
此処では地元の踊り手さんの川越音頭の踊りや、カラオケ自慢がマイクを持って自慢の喉をご披露している。

川舟の乗船を並んで待っている人たちの、暇潰しには格好の演出であろう。

新河岸川は、まだ鉄道が開通するまでの間、川越から江戸までの32キロの間を海運で物資を運ぶ運河であった。

伊佐沼を水源とし、川越の町をぐるりと川が取り囲んでおり、この川を越さなければ、城下に入れなかった事から、「川越」の名が発祥している。

小さな運河だが、嘗ては川越の街を支えた重要な川であり、歴史は古い。

この桜並木も、水運の無事を願って、城主、松平伊豆守の時代に植樹されたものだという。



「日本の春�C」
at 2007 04/05 08:41 編集

> -川越-


満開の桜の下を行く川舟。

桜吹雪が舞い、正に春爛漫である。
船に乗る人々の顔もみな輝いている。
桜の花が随所で見られる日本の春は、最高である。

橋の下を潜ろうとする木舟を、真上から桜越しに狙った。
桜を指差して歓声を上げている女性の顔の何と嬉しそうな事か。

時は春…世はすべて事も無し、の詩が頭をかすめる様な春の一齣であった。

こんな平和な日本を、何時までも保ち大切にしたいものである。



「日本の春�B」
at 2007 04/04 06:49 編集

> -川越-


我関せずとばかり、一人気持ち良く昼寝をする初老の男性。

花より団子、ならぬ昼寝といった所だろうか。
みなが飲んだり食べたり、舟遊びをしているのを尻目に、気持ち良さそうに眠っている。

こんな光景が見られるのも、平和な日本の姿なのであろう。

日曜日を境に、こちらでは天候が悪くなり、花冷えの日が続いている。
これで桜が長持ちするのか、散ってしまうのか分からぬが、恐らくこの日が今年最高の花見日和であったに違いない。

今頃は、散った桜の花びらが、川面一杯に埋め尽くしている頃であろう。

世の中は、三日見ぬ間の桜かな、とは良く言ったものである。



「日本の春�A」
at 2007 04/03 08:37 編集

> -川越-


満開の桜のトンネルの中を行く川舟の様子。

昨日は花曇の絶好のお花見日和であった。
橋の下に降りて、水面すれすれの所から、船のやってくる様子を狙った。

船に乗っている人たちには、桜の様子や土手で花見をする人たちが、丁度この様に見えるのであろう。

同じ場所で川遊びをする様子をページにアップしたのは、三年前の孫が生まれる一日前の4月6日であった。
その孫もこの7日に4才の誕生日となり、幼稚園の入園式を迎える。

当時の写真を憶えていてくれて、書き込みをしてくれるネットフレンドが居る事に驚きと喜びを感じる。

こうして今年も、無事満開の桜を見ることが出来たのは、無上の喜びである。



「日本の春�@」
at 2007 04/02 09:27 編集

> -川越-


満開の桜の下、川遊びを楽しむ花見の人々。

恐らく今日の日曜日が、桜見物のピークだろうと思い、カメラを持ってちょっと出掛けてみた。

川越市の職員がにわか船頭になり、無償で桜のトンネルの中を往復して楽しませてくれるのだ。

昨晩のテレビ番組でも、川越特集をしていた。
今や川越は東京から一時間以内で来られる観光スポットとして脚光を浴びている。

つい先日も、天皇陛下ご夫妻が、スエーデン国王ご夫妻を川越に招待して、散策を楽しんだニュースをご記憶の方も居るだろう。

トルコシリーズを中断して、我が家の付近の日本の春をご紹介してみたい。



「妖精の煙突�@」
at 2007 04/01 15:52 編集

> -カッパドキア-


さてこれからギョレメの村の様々な光景をご覧頂こう。

昨日のテレビ「地球街道」でも黛まどかさんが、此処を訪れた映像が紹介されていた。

妖精の煙突と称される、とんがり岩には、今でも実際に使用されている洞窟住居がたくさん有る。

その他10世紀前後に作られた洞窟内の教会には、貴重なフレスコ画なども現存している。

私は此処で様々な未知の体験をした。
洞窟に住む人々の家を訪問したり、洞窟ホテルに泊まったり、洞窟レストランで食事をしたり、そして洞窟内でのベリーダンスや民族舞踊を堪能した。

この村での二日間の感動の体験は、私の旅の思い出の中でも、忘れる事の出来ない、貴重な一ページになる事だろう。

少しでもこの奇岩の村での私の体験を、画像を通して皆さんにお伝え出来れば幸いである。



「流し目」
at 2007 04/01 08:45 編集

> -カッパドキア-


ウチヒサールの村を散策していた時に見掛けた駱駝君。

観光用なのかどうか分からぬが、駱駝が居た。
周りに人影が無いから、気楽なものだ。

廃墟になった岩山の住居を背景に、彼を撮ろうと近付いたら、ぎょろりと流し目でこちらを見た。

口に一杯干草を咥えて、ご馳走を取られるとでも思ったのか。

あんた何しに私に寄って来たの、と言わんばかりの顔である。
その表情が面白く慌ててシャッターを切った。

ずっと一人で、柵に繋がれっぱなしで、退屈していた時だったのだろうか。

観光用の駱駝なら、もう少し綺麗に手入れをしてやれば良いのにと思った。
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トルコ回遊録
「大地に立つ」
at 2007 03/31 06:10 編集

> -カッパドキア-


カッパドキアの雄大な眺めを背景に一枚。

私の後ろは断崖絶壁である。
恐らく日本ではこんな危険な場所では柵が設けられているだろうが、此処ではどこにもそんなものは無い。

落ちたら自分の責任だと言う事なのかもしれないが、こういう場所は至る所に有るから、いちいち柵等作っていられないというのが本音かもしれない。

逆に私には景観を損なわず、自然をそのまま残している姿に好感を持った。

広大な自然の姿を眺めていると、些細な出来事で、一喜一憂している自分が、とてもちっぽけな存在に思えて来て、気持ちが大きくなるものである。



「ローズバレー」
at 2007 03/30 11:00 編集

> -カッパドキア-


赤い谷と呼ばれるローズバレーの荘厳な眺め。

ユルギュップとギョレメの途中にあるこの谷は、夕日を浴びると谷が赤と黄金色に輝く事から、この名前が付いたと言う。

まるで地球の紀元を思わせるような、岩の地表はグランドキャニオンと通ずるものがある。

左下に微かに見える街の中には、9〜13世紀に建てられたフレスコ画の残る古い教会なども存在する。

更に街の周辺にはワインを造るブドウ畑や、オリーブ畑が広がっている。

此処は地球創造の太古から存在する自然の中で、人間が如何に共生して生きてきたかを知る事の出来る、壮大な歴史ドラマが見られる場所なのだ。




「鳩の小屋�C」
at 2007 03/29 06:43 編集

> -カッパドキア-


カメラを右に180度展開した、最右端の光景である。

最上部の大地は、我々が日常暮らしているのと同じような平坦な場所である。

谷間の低地にも春がやって来ているといった風情が有り、木々は青々と芽吹き、花などが咲いている。。

良く見ると、幾筋もの道が有り、人が入っている形跡が見受けられる。
下から見上げる光景は、一体どんなものなのかと、下りてみたい気もしたが、そんな暇は無かった。

此処カッパドキア地方には、まだまだ様々な形をした奇岩が次々に現れて、我々を驚かせる。

鳩の小屋と呼ばれる、一連のこの岩山の光景も、これでひとまず一段落として、他の光景に目を転ずるとしたい。




「鳩の小屋�B」
at 2007 03/28 08:38 編集

> -カッパドキア-


更にカメラを右に移した、丁度私が立っている正面の光景である。

最上部の大地は、我々が日常暮らしているのと同じような平坦な場所である。

まるで平地を、垂直に真下に切り取ったらこんな形をしているのかと思われるような光景である。

日本でも能登半島で大きな地震が発生した。
海底の複雑な地形がずれたからであろうか。

地震の多いトルコでも、地下は複雑な地形であると言う。
この光景を見ていると、そんな地下の様子をうかがい知る事が出来そうである。

此処カッパドキア地方には、まだまだ様々な形をした奇岩が次々に現れて、我々を驚かせる。

地震で被災された方々の窮状を心より、お見舞申し上げる次第である。



「鳩の小屋�A」
at 2007 03/27 06:59 編集

> -カッパドキア-


昨日の景観から、少しカメラを右に移した場所の光景。

太古の昔から時を経て、岩山の上には土砂が堆積し、大地となっている不思議な眺めである。

通称「鳩の小屋」と呼ばれるこの岩山の光景は、岩の中腹に明らかに人間がくり貫いたと思われる洞窟が掘られている。

人間が住んでいた跡なのか、本当に鳩の小屋なのか定かではない。




「鳩の小屋�@」
at 2007 03/26 07:27 編集

> -カッパドキア-


ウチヒサールからギョレメに行く途中の広大な景観。
正に自然が造り出した造形美であろう。

アメリカのグランドキャニオンが、太古の荒々しい姿なのに比べ、同じ自然の光景でも、こちらは何と優しい起伏に富んだ岩山だろう。

通称「鳩の小屋」と呼ばれるこの岩山の光景は、不思議な色といい形といい、その名に相応しいような感じがする。

此処カッパドキア地方には、まだまだ様々な形をした奇岩が次々に現れて、我々を驚かせる。

こんな岩山の中でも、その環境に溶け込んで生活する人間の姿には、また驚かされたものである。

また暫く自然と人間が作り出した、見事な180度の景観をお楽しみ頂きたい。



「お土産を買う」
at 2007 03/25 07:12 編集

> -カッパドキア-


ウチヒサールの村の出店で土産物を買う私。

隣に居るお嬢さんたちに、このレースのクロスはお土産にするのに良いですよと薦められ、大小取り混ぜて何枚か買った。

10枚買って1000円くらいだった。

このおばちゃんたちが作ったものらしいが、値段も安く嵩張らないから纏めて幾らで値切り交渉をする。
商談成立でお金を払っている所を相棒に撮られてしまった。

こんな思わぬ買い物をするのも、旅の醍醐味ではある。

余談だが私が肩から提げているベネトンのショルダーバックである。

実に機能的で、ビデオカメラ、デジカメ、折りたたみ傘から三脚、財布にパスポートと、七つ道具が全て入り、ワンタッチでそれらが出し入れ出来るので、私のお気に入りで、もう10年くらい使っている旅の伴侶である。



「不思議な光景�B」
at 2007 03/24 08:41 編集

> -カッパドキア-


近くで見るウチヒサールの村の光景。

嘗て使用していた洞窟の住居と、現在使用している家とが渾然一体となって、妙な調和が取れているなんとも不思議な眺めである。

カッパドキア地方で最も高い所に位置するこのウチヒサールの村の中央に聳えるこの岩山は、嘗ての要塞である。

岩の上部にある穴は、昔は住居だったが、今は鳩の糞を集めて肥料にするための鳩の家になっているのだという。

頂上には何処でも見かける光景だが、トルコの国旗が掲げられており、周辺にはモスクの塔が聳えている。

こういう場所に住む人たちの不便さは筆舌に尽くしがたいものが有るのではないかと思ったが、同時に人間は何処にでも住んでいるものだと感心したものである。



「不思議な光景�@」
at 2007 03/22 07:15 編集

> -カッパドキア-


バスの行く手に現れて来たなんとも不思議な景観。

カイマルク地下都市を後にして走る事しばし。
行く手に妙な岩山が見えてきた。

カッパドキア地方で最も高い所に位置するウチヒサールの村の中央に聳える要塞である。

頂上からは360度のパノラマが一望出来るという。
要塞の周囲には岩をくり貫いた住居がたくさんあり、今も使われている。

岩の上部にある小さな穴は、鳩の糞を集めて肥料にするための鳩の家だという。

暫くはこの不思議な村の光景を堪能していただきたいと思う。





「記念撮影」
at 2007 03/21 08:48 編集

> -カッパドキア-


移動便利屋さんの前でのSさん母娘の記念撮影。

お二人が興味深げに、彼の仕事振りを覗き込んでいた。
彼は見られていることを一切気にせず、熱心に自分の作業に没頭していた。

こうして覗かれる事には慣れているのだろう。
いちいち相手をしていては仕事にならないといった風情で、一切周りを気にする事は無いのだ。

ここにもまた彼の頑なな職人気質を見せ付けられた感じがした。

最後にこの風変わりなバイクと、彼の風貌を背景に、お二人の記念写真を撮って、この場を後にしたものだ。

こんな場面でも、仕事に没頭している彼の姿が印象に残った。



「移動便利屋さん�B」
at 2007 03/20 07:20 編集

> -カッパドキア-


どうやらこのおじさんが請け負っているのは靴磨きのようである。

地元の人なのだろうか、後ろではお客さんがサンダルを履かされて、靴が磨き終わるのを待っている。

日本では靴の流通センターなどがあちこちに出来て、靴は履き捨ての感が強い。

ハンドメイドの靴などは高級靴店などで売られる範疇になったが、トルコではまだほとんど本皮の手作り靴が主流のようだから、靴を手入れするのは日常のようである。

我々も若い頃は、休みの日などに靴磨きセットで靴の手入れをしたり、街角で靴を磨いてもらったものだが、今はほとんど靴の手入れはしなくなってしまった。

この光景を見て、靴が自分の身近な財産であった頃が、懐かしく思えたものである。



「移動便利屋さん�A」
at 2007 03/19 07:11 編集

> -カッパドキア-


黙々と作業を進めるおじさんの姿。

周りを一切気にせず、請け負った仕事を一生懸命進める職人気質のおじさんの顔には、この道一筋にやってきた厳しさが伺える。

何だか懐かしさを憶える光景である。
私が少年の頃にも、こんなおじさんが居たような気がする。

当時は自転車にリヤカーを着けてやって来て、何でも修理するおじさんである。

このおじさんは改造バイクで町を移動しているようだ。
七つ道具を備えていて、時計の電池の交換や、靴磨き、ちょっとした物の修理など、色々な物をバイクに座ったまま請け負って直してしまう。

今でも日本の地方では同じような仕事をしている人がいるようである。



「移動便利屋さん�@」
at 2007 03/18 11:40 編集

> -カッパドキア-


街角で見付けた面白いバイクのおじさんの姿。

何だか懐かしさを憶える光景である。
私が少年の頃にも、こんなおじさんが居たような気がする。

当時は自転車にリヤカーを着けてやって来て、何でも修理するおじさんである。

このおじさんは改造バイクで町を移動しているようだ。
七つ道具を備えていて、時計の電池の交換や、靴磨き、ちょっとした物の修理など、色々な物をバイクに座ったまま請け負って直してしまう。

こういうものに私は目が無い。
暫くは彼の作業に目を向けてみる事にしよう。



「街角にて�D」
at 2007 03/17 06:49 編集

> -カッパドキア-


今迄猫の居た所にどっかりと腰を落ち着けるおばさん。

差し詰め肝っ玉母さんと言う所だろうか。
のんびり座っていた猫を大きな声で追い払い、そこへ自分が腰を据えた。

何を言っているのか分からないが、家の前に立っていた青年にも何かを指示していて、彼はその後家の中へと消えた。

きっと彼女がこの家の主なのであろう。
顔をマフラーで覆っているので、良く分からないが、意外と優しそうでいて、確りとこの家を守り抜いてきた貫禄が伺える。

何処の国にも肝っ玉母さんのような女性が居るものだと思ったものである。



「街角にて�C」
at 2007 03/16 07:15 編集

> -カッパドキア-


猫を見る側と見られる側の対比が面白い。

猫の方も可愛がってくれる人とそうでない人の違いが分かるのだろうか。
この猫は此処で何をしているのだろうかと眺めている女性と、猫には全く関心の無い女性が立っている。

一方猫の方は、これらの女性たちには全く関心が無さそうに無視している。
撫でてくれる人には尻尾をピンと立てて愛想を振りまくのとは大きな違いだ。

我々ツアーの同行者達は店先の土産物売り場の品選びに余念が無かった。

人様々では有る。



「街角にて�B」
at 2007 03/15 07:24 編集

> -カッパドキア-


猫との交流も終えて先を急ぐ女性たち。

また元の静けさが戻ったとばかり、猫は招き猫のごとく、片足を挙げて不動の姿勢に戻った。

何時までも猫と戯れていては観光の時間が勿体無いと気付いて、ロシアの女性達は腰を上げて歩き出した。

おっとりとした猫の表情が何とも言えない。
私はこの猫を何枚撮っただろうか。

すっかりこの街の住人のように、此処に根付いて同化しているこの猫を、愛おしく思ったからである。

今でもこの猫は、同じように此処に座って観光客を眺めているのだろうか。



「街角にて�A」
at 2007 03/14 07:13 編集

> -カッパドキア-


道端の猫に気付いて戯れる観光客の女性たち。

動物に愛着を感じるのは世界共通である。
おとなしく道行く人を眺めている猫を、撫でて喜ぶこの女性達は、言葉からしてロシアから来た観光客のようである。

暫くこうして猫と遊んでいた。
この家の青年は彼女達のこんな姿を笑顔で眺めていた。

この猫はこうして毎日道端で佇んで、人の行き交う姿を眺めているのが好きで、日課になっているのだろうか。

動物を愛しむ姿に国境は無いようである。

それにしてもこの青年、立派な体躯と容姿を持ちながら、一日こうして客を呼び込む訳でも無し、唯立っているだけと言うのも、能が無いような気がする。




「街角にて�@」
at 2007 03/13 08:54 編集

> -カッパドキア-


道路際に有る一軒の住家の前の光景。

トルコ絨毯が家の周りに吊るしてある。

最初家の中の絨毯を乾しているのかと思ったが、この家の若者が、ずっと立っている所を見ると、どうやらこれらの絨毯を売っているようだ。

この薄暗い入口の家の中には、他にも絨毯が展示されているのだろうか。

しかし彼は、別に客に声を掛ける様子も無く、全く商売気が無い。
脇では猫が同じように、のんびりと道行く人を見詰めている。

街角と言うより、村の生活の一場面を見ているようで興味を感じ、この周辺の光景を何枚かスナップしてみた。

しばらくは、此処で展開されている場面の幾つかにお付き合い願いたい。



「店先」
at 2007 03/12 08:38 編集

> -カッパドキア-


みやげ物店の店先をスナップ。

トルコの国旗と日本の日の丸を交互にして、吊るしてある状差しみたいなものを見ると、矢張り此処を訪れる観光客は日本人が多いのだろうか。
ちょっと複雑な気持ちがしたものだ。

手前にたくさん飾ってあるのは、ガラスで作った目玉である。

これはトルコでは魔除けのお守りとして有名であり、何処の観光地でも売っている。

大きさも大小さまざまで、これを家の玄関などに吊るしておくと、災難に会わないのだと言う。

私もアルズさんに勧められて、お土産用に小さいものを数個と、家用に大きいものを買った。

今でも玄関に吊るしてあるが、このお蔭で、複視が治ったと思えばご利益が有ったというものだろう。



「街の光景」
at 2007 03/11 08:37 編集

> -カッパドキア-


地下都市から地上に出て眺める街の眺望。

カイマルク地下都市の出口はちょっと小高い所にある。
地下に水が入り込まないように、意識的に作ったのであろうか。

此処からは街が一望出来る。
手前には土産物屋が並び、その先には石造りの街並みが続く。

波板の鉄板を乗せただけの屋根には、石などの重石を乗せて有るだけで、風などで吹き飛ばされないのかと気になる。

暫くは街角で見掛けた光景をご覧頂きたいと思う。



「カイマルク地下都市�G」
at 2007 03/10 07:17 編集

> -カッパドキア-


同行したSさんに洞窟の中でポーズを取ってもらった一枚。

美人の彼女に、このカイマルク地下都市シリーズの締めくくりとして、さながらこの都市に君臨する女王のように振舞ってもらった。

此処の内部には100軒の家が有り、3000人が同時に住めたという最大規模の地下都市である。

更に此処と通じているデリンクユ地下都市には1万人の住民が住んでいたと言われている。

その規模は地下8階、深さ85メートルと言うから驚きである。

様々な謎を秘めた地下都市の探索も、やっとこれで地上に出られると言った所だろうか。




「カイマルク地下都市�F」
at 2007 03/09 08:48 編集

> -カッパドキア-


正に迷路の呈を現す複雑な居住空間の光景。

一体どっちへ行ったら良いのか矢印がなければ、困惑してしまうであろう。
また誰かが悪戯をして矢印を変えたら、地上に出ることは出来なくなるのではあるまいか。

上の階に行くのにも、ちゃんと足場が用意されている。
洞内は意外と蒸し暑くなく、乾燥しており、多分夏涼しく冬暖かいのではないだろうか。

しかし如何にせん、ずっとこんな穴倉を探索していると、早く外に出たくなってくる。

アラブ人の弾圧を避けるためとは言え、キリスト教徒が作ったこの地下都市は、信仰が支えになければ、とても生活することは不可能だろう。




「カイマルク地下都市�E」
at 2007 03/08 07:16 編集

> -カッパドキア-


更に奥へと地下通路は延々と続く。

人一人がやっと通れる通路では、反対側から人が来たら、すれ違うのにかなり苦労しそうである。

閉所恐怖症でない私でも、暗く不気味な地下都市を一時間近くも歩き続けると、流石に息苦しくなる。

こんな所で地震が来て、生き埋めにでもなったら、恐らく救出されるのは無理だろうと、余計な事を考えるようになる。

アラブ人の弾圧を避けるためとは言え、キリスト教徒が作ったこの地下都市は、信仰が支えになければ、とても生活することは不可能だろう。




「カイマルク地下都市�D」
at 2007 03/07 06:49 編集

> -カッパドキア-


地下都市の生命線である、換気口兼汚物処理口。

各階の所々に見られる巨大な穴である。
中を覗くと上も下も何処まで続いているのか分からないくらい、真っ暗な空間だ。

カメラを落としては大変だと確り握り締めながら、ストロボを発光して撮ったが、矢張り底は見えなかった。

上は地上に通じていて換気を行い、下は地下水に通じているから、汚物を投げ込んでも、綺麗に流して処理してくれるようである。

それにしてもこんな穴を垂直に掘る技術は大したものだと舌を巻いた。




「カイマルク地下都市�C」
at 2007 03/06 07:23 編集

> -カッパドキア-


道が幾つにも分かれたホールのような所。

暗くて分かりづらいかもしれないが、実際の地下都市の中の明るさはこんな感じである。

四方八方に道が分かれているので、一つ道を間違えると、地下から出れずにずっと穴の中を彷徨う歩く事になりそうである。

まるで蟻の巣の中を探索しているような雰囲気だ。

此処はあちこちの家から集まって来て、会合や余興をしたホールのようである。




「カイマルク地下都市�B」
at 2007 03/05 07:13 編集

> -カッパドキア-


これは此処の石の台の上で、料理をしたと言う調理台。

アルズサンの説明をしている綺麗な手がちょっと覗いている。

この調理台の脇を通り、前方の穴を潜り抜けると更に石段が有り、下へと通じているのだ。




「カイマルク地下都市�A」
at 2007 03/04 07:08 編集

> -カッパドキア-

カッパドキアに300以上も有ると言われる地下都市の内部。

更に此処と通じているデリンクユ地下都市には1万人の住民が住んでいたと言われている。

入口を入った途端に、その通路の狭さに驚かされる。
しかしその規模は地下8階、深さ85メートルと言うから更に驚きだ。

ガイドのアルズサンが、私から離れずに確り着いて来て下さいと言う位あって、通路が網の目のように、あちこちに広がっているので、一旦道を間違えると、迷路に入ってしまい、外に出られなくなりそうである。

地下とは言え、此処には生活に必要な全ての設備が備わっていたと言うから、正に都市の名に相応しい生活空間だったのであろう。




「カイマルク地下都市�@」
at 2007 03/03 09:02 編集

> -カッパドキア-


カッパドキアに300以上も有ると言われる地下都市の入口前の土産物店の光景。

キリスト教徒が、アラブ人の圧迫から逃れるために造られた地下都市は、このカイマルクの他にも沢山有ると言われている。

此処は内部に100軒の家を持ち、3000人が同時に住めたという最大規模の地下都市である。

土産物屋の先の石段を上がり、右手に地下に通ずる入口が有る。

手前のお二人は、我々と行動を共にしたツアーメンバーのお若いカップル。
I氏は日本最大の自動車メーカー、T社の設計をされているとの事であった。



「ランチ」
at 2007 03/02 08:44 編集

> -カッパドキア-


カッパドキアに向かう途中のレストランでの昼食メニュー。

この食事は、実にヘルシーで、美味い料理であった。
余り見た目は良くないが、椎茸やら肉やら様々な野菜が入っている、シチューかグラタンのような料理だった。

名前は忘れてしまったが、何でもこの店の、オリジナル料理だとの事。
高原で摂れる様々な野菜と肉を煮込んであるとか。

これだと胃にもたれず、我々日本人にも合う味だったような気がした。

此処では、他の所がほとんどバイキングスタイルであるのに対して、全ての人がこの用意された料理であった。

矢張りこの料理はこの店の、お薦めの定番なのであろう。



「カッティング」
at 2007 03/01 07:05 編集

> -カッパドキア-


カッパドキアに向かう途中のレストランでの光景。

昨日掲載の暖炉の脇にはこのような肉が、ヒーターにあぶられて回っていた。
希望者にコックがこの肉を削って皿に載せてくれる。

しかし私はこの肉を食べなかった。
余り体に良く無さそうだし、自分の目の前に出された料理だけで、十分のような気がしたからだ。

同じような光景を、川越の祭りの時にも見たことがある。
これはトルコ料理の一つなのだろうか。

果たしてこの肉が何の肉なのか、聞くことを忘れてしまった。
小牛のような気もするが定かではない。

後学のためにどんな味がするのか、賞味して置けば良かったと思うが、後の祭りである。
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