2007 09/28 09:59
Category : 日記
「洞窟ホテル�S」
at 2007 06/30 09:07 編集
> -カッパドキア-
カッパドキアで宿泊した洞窟ホテルの部屋の光景。
洞窟の中と言っても、ホテルとしての必要最小限の備品と調度品は揃っている。
ただそれらのものが、古色蒼然とした年代を感じさせるものだから楽しいのだ。
アンティークな物が珍重される現代、これらの物がとても懐かしく感じられ、逆に価値が有るように思えるから可笑しなものである。
備品棚にしても手作り感覚で、トルコに居るのに、バリ島ウブドの工芸品を思い出してしまったものである。
「妖精の村�L」
at 2007 06/29 09:03 編集
> -カッパドキア-
道端に咲く菜の花越しに見るギョレメの街の光景。
まだ夜が明けたばかりなので、街灯が点いている家も有る。
キノコのようなとんがり岩と石造りの家が渾然一体となって作り出した不思議な街の様相である。
まるでアメリカのグランドキャニオンの中に、街を作ってしまったような景観の様に思えるのは私だけであろうか。
岩に囲まれた街なのに、不思議と温かさを感じるのは何故だろうか。
それはこの街が、最近出来たのではなく、何百年と言う長い歴史の中で、自然と共に存続し続けてきた経緯から来るものではないだろうか。
此処には自然の景観を巧みに活かした、人間の知恵が息衝いているようである。
「妖精の村�K」
at 2007 06/28 05:58 編集
> -カッパドキア-
今まで載せていた位置から90度左にカメラを振った光景。
あの小さな横穴住居の家からこの光景は何時も眺める事が出来る。
あの岩屋にすむ住人は毎日どんな気持でこの光景を眺めているのだろうか。
自分達の境遇を嘆いて暮らしているのか、それとも毎日こんな景観を眺めながら暮らせる事の幸せを感じているのか…
私は後者を取りたい、多少の不便さをカバーして余りある眺めだからだ。
まるで岩山だか、住居だか区別が付かないような光景である。
自然と共に暮らすとは、こういう事を言うのだろう。
「妖精の村�J」
at 2007 06/27 09:16 編集
> -カッパドキア-
ぽつんと大地の上に立つキノコのような岩。
更に上へと歩を進めていくとこんな不思議な光景に出会った。
まるで平らな土地に岩を何処からか持って来たような情景である。
自然の作り出す光景は、時として現実離れした姿を見せてくれるものだと感心した。
手前の道の右側には、白くペイントした家があり、煙突が有る所を見ると、今でも人が住んでいるようである。
この脇を通り過ぎた時、戦時中の防空壕を思い出してしまった。
此処に住むには、かなりの苦労を強いられるのではないだろうか。
電気や水はどうしているのだろうか。
この家の住人は、谷の方に広がる街の住宅街で、恵まれた環境の中でクラス人達を毎日眺めながら、どんな気持で生活しているのだろうかと、つい余計なことを考えてしまったものである。
「妖精の村�I」
at 2007 06/26 05:31 編集
> -カッパドキア-
ギョレメの谷の間に広がる街の光景。
ホテルから更に高い位置へと歩を進めた場所から見る、岩間からの街の情景である。
とんがり帽子のこれらの岩も、何らかの目的で、今も使われているようだ。
肥料にするための鳩の糞を集める鳩の小屋や収穫物を保管する貯蔵庫だったりするとの事であった。
此処の谷の住人は、一生この土地から離れずに生涯を終える人も多いと聞く。
この土地から出るチャンスが無いか、此処が自分達のユートピアだと思っているかのどちらかだろう。
トルコの首都アンカラからそんなに離れていない場所に位置しているから、開発の波に流されない事を祈るのみである。
「民族舞踊�C」
at 2007 06/25 08:58 編集
> -カッパドキア-
薄暗い照明の中で展開される民族舞踊の様子。
花婿選びの女性に、次々に候補の男性が現われて、見事差し出されたスカーフを受け取ってもらった男性が、歓喜のダンスを披露している。
女性はある男性が差し出したスカーフを受け取って、この男性と結婚すると皆に披露している。
一方スカーフを拒否された男性群も、見事に金星を射止めた男性に惜しげもない祝福の拍手を送っているといった、他愛もないストーリーだ。
この情景を表現するために、敢てストロボを使わずにスローシャッターで撮影し、ムードを出してみた。
「民族舞踊�B」
at 2007 06/23 20:58 編集
> -カッパドキア-
洞窟を改造した怪しげな劇場の入口。
ホテルから車で約10分、ギョレメの街の中にあるべリーダンスを見せる劇場へと向かった。
中世を思わせる結構堂々とした店構えのこの劇場の入口を入ると、広い石の廊下が有り、両脇には厨房や記念品を売る店、ダンサーの控え室などが有る。
正面の大きな岩の入口を潜ると、そこに円形の舞台が有り、周りをぐるりとドーム状に観客席が囲んでいる。
席に着くと様々な料理が運ばれてくるが、夕食の後なので、ほとんど手を付けずに終わってしまった。
このショーの鑑賞に参加したのは、我々とSさん家族の5人だけであったが、席はばらばらであった。
どんなショーが始まるのか、開演を今や遅しとわくわくしながら待っていたものである。
「妖精の村�H」
at 2007 06/23 08:54 編集
> -カッパドキア-
ギョレメの街の光景をズームアップしてみた。
街の実態が浮き彫りにされたような光景である。
昔の地下壕の上に建てられたような家が多く、この地下壕は何処に通じているのか興味深い。
まだ電気が思うように行き渡らないのか、太陽光利用の蓄熱パネルが、どの家の屋上にも数多く設置されている。
一方観光客を乗せる熱気球が多数離陸しつつあり、外貨獲得のための観光産業も積極的であるようだ。
住民のほとんどが、敬虔なイスラム教信者であるこの街には、モスクは欠かせない存在だ。
この写真を見ていると、現在のギョレメの街の実態が、炙り出されて来るような感が有る。
「妖精の村�G」
at 2007 06/22 04:47 編集
> -カッパドキア-
ギョレメの街の光景第一弾。
矢張り我々が宿泊したホテルの村から比べると街らしい雰囲気に見える。
学校の校庭らしき所から、熱気球が次々と揚がろうとしている。
この光景を見て、しまったこれに乗れば良かったと気付いたのだが後の祭り。
きっと上空から見るカッパドキアの光景はさぞかし迫力の有るものであったろうと歯軋りをした。
手前の電線が気になるが、これ以降の写真には、電線は現れないから、しばしご猶予の程を。
「妖精の村�E」
at 2007 06/20 05:43 編集
> -カッパドキア-
トンネルの向こうに見えるギョレメの街の光景。
しばらく行くと村を区切るトンネルが有った。
どうやら此処の先がギョレメの街の始まりらしい。
光景もがらりと変わり、山間に民家がびっしりと密集しているのだ。
モスクなどもあちこちに散見出来る。
我々のホテルがあるのは村、トンネルの先に見えるのは街と言った感じであった。
街の先には奇岩群や、前に紹介したローズバレーの岩山が聳えていた。
「妖精の村�D」
at 2007 06/19 06:54 編集
> -カッパドキア-
これは人が住んでいる家。
とは言ってもかなり古い佇まいで、余り住み心地が良いとは思えない感じである。
高所なので何処の家も暖房は有るが、エアコンなどの気の効いたものはないし、暑くは無いのだろう。
これから出て来る山間の街にはかなり豪華な家も有るが、この辺は山村の貧しい家が多いようである。
住めば都と言うが、この辺に住む人々は一体何をして生計を立てているのだろうかと、気になったものである。
それにしても朝の7時頃だと言うのに、人影は全く見られず、一度トラックが走り去っただけであった。
此処では一日の時間が、ゆっくりと流れているようであった。
「民族舞踊�A」
at 2007 06/18 08:53 編集
> -カッパドキア-
夜見に行った民族舞踊第二弾。
前回、花嫁候補が次々に男性達が差し出すスカーフを受け取った男が花婿になると言う話をしたが、この場面は無事カップルが誕生して、結婚式の準備をしている様子である。
共に椅子に座っているのが、花嫁、花婿である。
花嫁は他の女性たちから、結婚式のドレスアップを施されており、花婿の方は髭などを剃られている。
実際に、花婿は石鹸を顔に塗られて、髭剃りナイフで髭を剃られているのには驚いた。
こうして誕生したカップルを祝福して、周りの連中が踊りの宴を繰り広げると言ったストーリーである。
単純なストーリーだが、これなら解説が無くても、誰にでもその内容が分かるから、民族舞踊と音楽が相俟って結構楽しめたものである。
「妖精の村�C」
at 2007 06/17 06:46 編集
> -カッパドキア-
この家は人が住んでいるのか居ないのか。
ガラス窓が有る所を見ると人が住んでいる気配は有るが、それにしても凄い様相を呈している。
岩穴式住居三階建てと言った感じだが、二階以外は廃墟のようである。
16世紀に此処で岩穴住居が発達した当時は、専らキリスト教徒が外部からの迫害を避けるために住み始めたとの事であったが、近年は快適さを追求してこのような低い岩も活用していたようである。
しかし地震の時の危険性も考え、徐々に安全な岩のみを使用可と国が定めつつあるようである。
出来る事なら、これらの家を壊さずに、保存して欲しいと思うのは、観光客の目から見た願望であろうか。
「妖精の村�B」
at 2007 06/16 09:13 編集
> -カッパドキア-
どうやらこの家は既に人が住んでいないような気配がする。
現在使用されている岩穴住居と既に廃家になっている家とが渾然一体となって存在しているのだ。
自然の岩を利用して家を建てる技術はこの地方独特の建築様式のような気がする。
何かプレートのようなものが貼り付けて有るが、これは一体何を意味するのであろうか。
トルコ語が分かれば、理解出来るのであるが、残念ながら判読は出来ない。
木の住宅に住む我々には、重い石を使用するこれらの住居が、如何にメンテナンスが大変かと、考えただけでもその苦労が予想されるのである。
「妖精の村�A」
at 2007 06/15 04:58 編集
> -カッパドキア-
自然と一体となった村の光景。
何と可愛らしい家並みであろう。
自然の岩を利用して家を建てる技術はこの地方独特の建築様式のような気がする。
まるで絵本に出てくる、おとぎの国に迷い込んだような感じだ。
朝早いから、まだ人影は見えないが、一体どんな人達が住んでいるのだろう。
ひょっこり妖精が顔を出しそうな雰囲気である。
しかしこんな村にも、近代化の波はひたひたと進んでいるようであり、車は此処に住む人には必需品となって来ているのだろう。
我々はずっと先の電波等の近くまで、散策を続けるのである。
「夏日」
at 2007 06/14 07:21 編集
> -自宅付近-
今年一番の暑さを記録した昨日の田園風景。
昨日の関東は入梅前の夏を思わせる暑い一日だった。
きょうも暑い一日だったが、どうやら明日から梅雨模様になるらしい。
仲間と打ち合わせて、何時も行くゴルフの練習場に行った。
短パンにポロシャツで、止めどなく流れる汗を拭いながらの練習の後、田圃の中を走らせていたら、ピンクの花が咲いていたので撮ってみた。
仲間と互いにスィングのチェックをするために、ビデオカメラを持っていたからだ。
数年前に同じ場所からこの花を撮って載せた事がある。
誰も手入れをする訳ではないのに、今年も綺麗な花を咲かせていた。
こうして元気一杯汗を掻き、青々と育つ稲と花の光景を、今年も見ることの出来た幸せを感じた一時であった。
「妖精の村�@」
at 2007 06/12 20:12 編集
> -カッパドキア-
ホテルの有る村の光景をご紹介。
早朝に起き出して、ホテルの裏の急斜面を登って村の道に出てみた。
今は使われなくなったような荷車が、道の脇に放置されている。
こんな村でも既に車が主流になったようである。
しかし道端にこのように放置されたままになっているのが、何ともこの光景にはマッチしているように思える。
どの家も岩を巧みに利用して、現在も人が住んでいるのである。
日本では見たことの無いこれらの光景は、早朝から散策を始めた我々に不思議な感動を与えてくれたものである。
まるで中世のヨーロッパの世界に、タイムスリップしたかのような光景であった。
「朝の気配」
at 2007 06/12 08:42 編集
> -カッパドキア-
洞窟ホテルの朝の光景。
外が明るくなりだした頃に起きだした。
昨晩の洞窟舞台での民族舞踊やベリーダンスの場面や音楽がまだ、耳目に残っている感じだった。
相棒と朝食までの時間、村を散策しようという事で服を着替えた。
外の光と部屋の明かりが何とも言えず良い感じで、テーブルに置いてあった蝋燭にも火を灯して撮ってみた。
壁に掛けてある鏡と、椅子が対になっていて、貝殻などが埋め込まれた、とても洒落た調度品だなと気に入ったものである。
「民族舞踊」
at 2007 06/11 06:29 編集
> -カッパドキア-
夕食後見に出掛けた民族舞踊の光景。
ホテルから車で10分位行った所にある、これも洞窟の中に有る舞台で踊られたトルコ独特の民族舞踊である。
劇場の玄関を入ると、長い廊下が有り、舞台入口の左右で、踊り子達が我々を迎える。
円形の舞台の周りは階段状の観客席になっており、着席すると料理が運ばれてくる。
やがて場内が真っ暗になり、ろうそくの光を持った踊り子達が、賑やかな演奏と共に登場する。
踊りはストーリーになっていて、男性群が一人の女性に次々とプロポーズするといった具合だ。
それぞれの男性が差し出すスカーフを女性が受け取れば結婚許諾。
他愛も無い話だが、踊りながらストーリーが展開されるので、結構面白い。
民族衣装と、トルコ独特の民族音楽が、異国情緒を醸していた。
「洞窟ホテル�R」
at 2007 06/10 05:16 編集
> -カッパドキア-
ホテルの右端から見る裏山の光景。
このキノコのような岩山が、我々が宿泊したホテルの一番右側である。
今は貯蔵庫か何かになっているようで、部屋としては使用されていなが、ホテルの廊下の突き当たりはこの岩穴に突き当たるのである。
此処は天然の冷蔵庫のようで、ひんやりとしており、食品などを保存するのに適しているようで、自然を最大限に利用していると言えるだろう。
翌朝はホテルの脇の急斜面を登って、前方に見える電波塔の近くまで、散策してみた。
そこからの景色は、今までと全く違った光景が広がっていて、新たな感動したものである。
明日からはまた、様々な村の光景を載せて見たいと思う。
「洞窟ホテル�Q」
at 2007 06/09 11:03 編集
> -カッパドキア-
ホテル前から見る村の光景。
昨日の岩の上に建てられた住宅から、少し左にずらした位置から望む村の佇まいである。
これがそれぞれ一戸建ての住宅だというから、日本の個別住宅とは大分様子が違う。
トルコでは昔の日本のように、今でも大家族制度が普通だから、一族がこうして大きな家に住んでいるのだ。
カッパドキア地方独特の石が豊富に産出されるので、こうした石造りの家が普通である。
此処には比較的富裕層の家が多いのだという。
遠くに見える岩山には、岩を繰り抜いて作られたと思われる教会のようなものが見える。
此処でも自然との共生が散見出来るようである。
「洞窟ホテル�P」
at 2007 06/08 09:55 編集
> -カッパドキア-
ホテル前の夕方の光景。
ホテルに着いて夕食までのひと時を、外に出て付近を散策した時の様子である。
ホテルの前は急な砂利道の坂になっており、良くこんな場所にホテルを作ったものだと感心する。
前に見える家は個人の住宅のようであるが、随分大きい家である。
それにしてもこんな岩の上に良く家を建てたものだと、これまた驚きである。
遥か彼方には一般住宅が建ち並んでおり、カッパドキアでも、近代化の波は押し寄せてきているのだなと思ったものである。
到着当日はホテルの周りを散策したに留まったが、翌朝はホテルの背後に聳える山の上まで足を伸ばしてみたものである。
「洞窟ホテル�O」
at 2007 06/07 09:18 編集
> -カッパドキア-
ホテルのテラスにぽつんと立っている街灯。
夕暮れが迫るこの光景の中で、アーク
灯の様なこの街灯は良く似合っていた。
一体夜になるとどんな明かりを灯すのだろうか。
妖精たちが集まって夜の舞踏会をするのに照明を提供するような、そんな物語を思い起こさせるような光景であった。
この明かりが、良く見掛ける蛍光灯であったら、きっとこの光景には合わないものだったろうし、被写体として関心を抱かなかったに違いない。
昔の古い映画で「街灯」と言う題の傑作が有ったのを思い起こさせるシーンであった。
「洞窟ホテル�N」
at 2007 06/06 06:11 編集
> -カッパドキア-
ホテルのテラスから見る村の光景。
村といっても此処から見る岩山の中には、ほとんど人間が住んでいる形跡は見られない。
はるか彼方に、カッパドキアを訪れた時に最初に載せた、オルタヒサールの岩窟村が見える。
こうして見ると、あの岩山の一角が、カッパドキアの中央で、一番高い村であることが良く分かる。
此処のホテルの位置が、どの辺であるのかを知る上で、あの洞窟村は良い目印になるのである。
「洞窟ホテル�M」
at 2007 06/05 09:24 編集
> -カッパドキア-
この岩もホテルから見える光景である。
ここは少し前まで人間が住んでいた形跡が有る。
良く見ると実に巧みに岩の原型を上手く利用しているようである。
屋根の庇の様になっている下に、ベランダのようなものを作ってみたり、中々手が込んでいる。
見た目は大地の上に岩が乗っているようだが、実際は氷山の一角のように、土の下には更に大きな岩盤が有るのだろう。
長い年月の間に、それらの岩の間に土砂が堆積して、このような岩屋のような形になったように思える。
まるで御伽噺に出てくる、妖精達の住む家のようではないか。
この家は三階建ての一軒家、上の方に見えるのは、差し詰めマンション群と言った所だろうか。
「洞窟ホテル�L」
at 2007 06/04 05:34 編集
> -カッパドキア-
部屋に据え付けられていたラジオのアップ。
何とも古色蒼然たる形のラジオだ。
果たして音が出るのかどうか、試してみれば良かったと、今にしてみれば思うのである。
せめて写真に撮っただけでも良しとしようか。
恐らくこの中身は、今でも真空管が使われているのではないかと想像出来る。
テレビも有ったがこれも見ずに終わってしまった。
矢張り、一泊だけの宿泊で、夜もベリーダンスを見に出掛けてしまっては、ゆっくりとこれらのものを鑑賞する暇が無かっようである。
「ギョレメの谷」
at 2007 06/03 08:36 編集
> -カッパドキア-
奇岩に彩られたギョレメの谷の光景。
同じ奇岩でも、アメリカのグランドキャニオンとはいささか趣を異にする光景だ。
あちらが太古の地球の原形を留めている荒々しい光景だとすれば、こちらの光景は海の波に削られたり、風化によって、滑らかに浸食された穏やかな光景と言えるだろう。
まだまだ地球上には見たことの無い姿が数多くある事に感動を覚える。
岩だけでなく、緑が多く点在する事もこの光景に安らぎを与えているのだろう。
妖精の煙突と呼ばれているこの岩山は、確かに妖精たちが住んでいるようにも思える光景だ。
「洞窟ホテル�K」
at 2007 06/02 09:04 編集
> -カッパドキア-
ホテルの窓側から見た部屋の様子。
この部屋には蛍光灯は無い。
全てがタングステン灯だから、写真に撮ると暖かいオレンジ色になる。
入口の外側の向かって右側にはちゃんとトイレと浴槽が付いている。
天井はとても高く、岩のごつごつした感じがそのまま残されている。
暖房は左側にあるスチーム暖房だけだが、朝晩はかなり外は寒くなるが、優しい暖かさで心地良い。
このスチームは洗濯した靴下などを乗せて置けば、翌朝までには乾くから便利で、ロンドン滞在時の事を思い出した。
このトルコ旅行の間、随分たくさんの様々なホテルに泊まったが、この洞窟ホテルでの宿泊が、一番安眠出来たように思う。
天井が高く薄暗いのと、エアコンを使用していないのが、その理由だろうか。
それとも嘗て人間は洞窟の中に住んでいた、本能的な名残なので有ったのだろうか。
「洞窟ホテル�J」
at 2007 06/01 09:19 編集
> -カッパドキア-
宿泊したホテルの右側の光景。
妖精達の煙突と呼ばれる奇岩を上手く利用して、ホテルにした様子が良く伺える。
ガラスの入っている部屋が我々の泊まった部屋である。
右側の方の岩がくり貫かれた所は、昔住居で利用されていたのかもしれない。
我々が部屋を探して廊下を彷徨っている時、暗い穴倉のような所に行き当たったのは、この岩の中の一つだったのかもしれない。
それにしても実に巧みに、これらの奇岩を利用して、ホテルを作ったものだと感心せざるを得ない。
自然を破壊して豪華なホテルを建てるのではなく、自然の良さを活かしながら、自然と共生する。
本来の住環境とは、そうしたものではないかと、この景観を見ながら感じたものである。
at 2007 06/30 09:07 編集
> -カッパドキア-
カッパドキアで宿泊した洞窟ホテルの部屋の光景。
洞窟の中と言っても、ホテルとしての必要最小限の備品と調度品は揃っている。
ただそれらのものが、古色蒼然とした年代を感じさせるものだから楽しいのだ。
アンティークな物が珍重される現代、これらの物がとても懐かしく感じられ、逆に価値が有るように思えるから可笑しなものである。
備品棚にしても手作り感覚で、トルコに居るのに、バリ島ウブドの工芸品を思い出してしまったものである。
「妖精の村�L」
at 2007 06/29 09:03 編集
> -カッパドキア-
道端に咲く菜の花越しに見るギョレメの街の光景。
まだ夜が明けたばかりなので、街灯が点いている家も有る。
キノコのようなとんがり岩と石造りの家が渾然一体となって作り出した不思議な街の様相である。
まるでアメリカのグランドキャニオンの中に、街を作ってしまったような景観の様に思えるのは私だけであろうか。
岩に囲まれた街なのに、不思議と温かさを感じるのは何故だろうか。
それはこの街が、最近出来たのではなく、何百年と言う長い歴史の中で、自然と共に存続し続けてきた経緯から来るものではないだろうか。
此処には自然の景観を巧みに活かした、人間の知恵が息衝いているようである。
「妖精の村�K」
at 2007 06/28 05:58 編集
> -カッパドキア-
今まで載せていた位置から90度左にカメラを振った光景。
あの小さな横穴住居の家からこの光景は何時も眺める事が出来る。
あの岩屋にすむ住人は毎日どんな気持でこの光景を眺めているのだろうか。
自分達の境遇を嘆いて暮らしているのか、それとも毎日こんな景観を眺めながら暮らせる事の幸せを感じているのか…
私は後者を取りたい、多少の不便さをカバーして余りある眺めだからだ。
まるで岩山だか、住居だか区別が付かないような光景である。
自然と共に暮らすとは、こういう事を言うのだろう。
「妖精の村�J」
at 2007 06/27 09:16 編集
> -カッパドキア-
ぽつんと大地の上に立つキノコのような岩。
更に上へと歩を進めていくとこんな不思議な光景に出会った。
まるで平らな土地に岩を何処からか持って来たような情景である。
自然の作り出す光景は、時として現実離れした姿を見せてくれるものだと感心した。
手前の道の右側には、白くペイントした家があり、煙突が有る所を見ると、今でも人が住んでいるようである。
この脇を通り過ぎた時、戦時中の防空壕を思い出してしまった。
此処に住むには、かなりの苦労を強いられるのではないだろうか。
電気や水はどうしているのだろうか。
この家の住人は、谷の方に広がる街の住宅街で、恵まれた環境の中でクラス人達を毎日眺めながら、どんな気持で生活しているのだろうかと、つい余計なことを考えてしまったものである。
「妖精の村�I」
at 2007 06/26 05:31 編集
> -カッパドキア-
ギョレメの谷の間に広がる街の光景。
ホテルから更に高い位置へと歩を進めた場所から見る、岩間からの街の情景である。
とんがり帽子のこれらの岩も、何らかの目的で、今も使われているようだ。
肥料にするための鳩の糞を集める鳩の小屋や収穫物を保管する貯蔵庫だったりするとの事であった。
此処の谷の住人は、一生この土地から離れずに生涯を終える人も多いと聞く。
この土地から出るチャンスが無いか、此処が自分達のユートピアだと思っているかのどちらかだろう。
トルコの首都アンカラからそんなに離れていない場所に位置しているから、開発の波に流されない事を祈るのみである。
「民族舞踊�C」
at 2007 06/25 08:58 編集
> -カッパドキア-
薄暗い照明の中で展開される民族舞踊の様子。
花婿選びの女性に、次々に候補の男性が現われて、見事差し出されたスカーフを受け取ってもらった男性が、歓喜のダンスを披露している。
女性はある男性が差し出したスカーフを受け取って、この男性と結婚すると皆に披露している。
一方スカーフを拒否された男性群も、見事に金星を射止めた男性に惜しげもない祝福の拍手を送っているといった、他愛もないストーリーだ。
この情景を表現するために、敢てストロボを使わずにスローシャッターで撮影し、ムードを出してみた。
「民族舞踊�B」
at 2007 06/23 20:58 編集
> -カッパドキア-
洞窟を改造した怪しげな劇場の入口。
ホテルから車で約10分、ギョレメの街の中にあるべリーダンスを見せる劇場へと向かった。
中世を思わせる結構堂々とした店構えのこの劇場の入口を入ると、広い石の廊下が有り、両脇には厨房や記念品を売る店、ダンサーの控え室などが有る。
正面の大きな岩の入口を潜ると、そこに円形の舞台が有り、周りをぐるりとドーム状に観客席が囲んでいる。
席に着くと様々な料理が運ばれてくるが、夕食の後なので、ほとんど手を付けずに終わってしまった。
このショーの鑑賞に参加したのは、我々とSさん家族の5人だけであったが、席はばらばらであった。
どんなショーが始まるのか、開演を今や遅しとわくわくしながら待っていたものである。
「妖精の村�H」
at 2007 06/23 08:54 編集
> -カッパドキア-
ギョレメの街の光景をズームアップしてみた。
街の実態が浮き彫りにされたような光景である。
昔の地下壕の上に建てられたような家が多く、この地下壕は何処に通じているのか興味深い。
まだ電気が思うように行き渡らないのか、太陽光利用の蓄熱パネルが、どの家の屋上にも数多く設置されている。
一方観光客を乗せる熱気球が多数離陸しつつあり、外貨獲得のための観光産業も積極的であるようだ。
住民のほとんどが、敬虔なイスラム教信者であるこの街には、モスクは欠かせない存在だ。
この写真を見ていると、現在のギョレメの街の実態が、炙り出されて来るような感が有る。
「妖精の村�G」
at 2007 06/22 04:47 編集
> -カッパドキア-
ギョレメの街の光景第一弾。
矢張り我々が宿泊したホテルの村から比べると街らしい雰囲気に見える。
学校の校庭らしき所から、熱気球が次々と揚がろうとしている。
この光景を見て、しまったこれに乗れば良かったと気付いたのだが後の祭り。
きっと上空から見るカッパドキアの光景はさぞかし迫力の有るものであったろうと歯軋りをした。
手前の電線が気になるが、これ以降の写真には、電線は現れないから、しばしご猶予の程を。
「妖精の村�E」
at 2007 06/20 05:43 編集
> -カッパドキア-
トンネルの向こうに見えるギョレメの街の光景。
しばらく行くと村を区切るトンネルが有った。
どうやら此処の先がギョレメの街の始まりらしい。
光景もがらりと変わり、山間に民家がびっしりと密集しているのだ。
モスクなどもあちこちに散見出来る。
我々のホテルがあるのは村、トンネルの先に見えるのは街と言った感じであった。
街の先には奇岩群や、前に紹介したローズバレーの岩山が聳えていた。
「妖精の村�D」
at 2007 06/19 06:54 編集
> -カッパドキア-
これは人が住んでいる家。
とは言ってもかなり古い佇まいで、余り住み心地が良いとは思えない感じである。
高所なので何処の家も暖房は有るが、エアコンなどの気の効いたものはないし、暑くは無いのだろう。
これから出て来る山間の街にはかなり豪華な家も有るが、この辺は山村の貧しい家が多いようである。
住めば都と言うが、この辺に住む人々は一体何をして生計を立てているのだろうかと、気になったものである。
それにしても朝の7時頃だと言うのに、人影は全く見られず、一度トラックが走り去っただけであった。
此処では一日の時間が、ゆっくりと流れているようであった。
「民族舞踊�A」
at 2007 06/18 08:53 編集
> -カッパドキア-
夜見に行った民族舞踊第二弾。
前回、花嫁候補が次々に男性達が差し出すスカーフを受け取った男が花婿になると言う話をしたが、この場面は無事カップルが誕生して、結婚式の準備をしている様子である。
共に椅子に座っているのが、花嫁、花婿である。
花嫁は他の女性たちから、結婚式のドレスアップを施されており、花婿の方は髭などを剃られている。
実際に、花婿は石鹸を顔に塗られて、髭剃りナイフで髭を剃られているのには驚いた。
こうして誕生したカップルを祝福して、周りの連中が踊りの宴を繰り広げると言ったストーリーである。
単純なストーリーだが、これなら解説が無くても、誰にでもその内容が分かるから、民族舞踊と音楽が相俟って結構楽しめたものである。
「妖精の村�C」
at 2007 06/17 06:46 編集
> -カッパドキア-
この家は人が住んでいるのか居ないのか。
ガラス窓が有る所を見ると人が住んでいる気配は有るが、それにしても凄い様相を呈している。
岩穴式住居三階建てと言った感じだが、二階以外は廃墟のようである。
16世紀に此処で岩穴住居が発達した当時は、専らキリスト教徒が外部からの迫害を避けるために住み始めたとの事であったが、近年は快適さを追求してこのような低い岩も活用していたようである。
しかし地震の時の危険性も考え、徐々に安全な岩のみを使用可と国が定めつつあるようである。
出来る事なら、これらの家を壊さずに、保存して欲しいと思うのは、観光客の目から見た願望であろうか。
「妖精の村�B」
at 2007 06/16 09:13 編集
> -カッパドキア-
どうやらこの家は既に人が住んでいないような気配がする。
現在使用されている岩穴住居と既に廃家になっている家とが渾然一体となって存在しているのだ。
自然の岩を利用して家を建てる技術はこの地方独特の建築様式のような気がする。
何かプレートのようなものが貼り付けて有るが、これは一体何を意味するのであろうか。
トルコ語が分かれば、理解出来るのであるが、残念ながら判読は出来ない。
木の住宅に住む我々には、重い石を使用するこれらの住居が、如何にメンテナンスが大変かと、考えただけでもその苦労が予想されるのである。
「妖精の村�A」
at 2007 06/15 04:58 編集
> -カッパドキア-
自然と一体となった村の光景。
何と可愛らしい家並みであろう。
自然の岩を利用して家を建てる技術はこの地方独特の建築様式のような気がする。
まるで絵本に出てくる、おとぎの国に迷い込んだような感じだ。
朝早いから、まだ人影は見えないが、一体どんな人達が住んでいるのだろう。
ひょっこり妖精が顔を出しそうな雰囲気である。
しかしこんな村にも、近代化の波はひたひたと進んでいるようであり、車は此処に住む人には必需品となって来ているのだろう。
我々はずっと先の電波等の近くまで、散策を続けるのである。
「夏日」
at 2007 06/14 07:21 編集
> -自宅付近-
今年一番の暑さを記録した昨日の田園風景。
昨日の関東は入梅前の夏を思わせる暑い一日だった。
きょうも暑い一日だったが、どうやら明日から梅雨模様になるらしい。
仲間と打ち合わせて、何時も行くゴルフの練習場に行った。
短パンにポロシャツで、止めどなく流れる汗を拭いながらの練習の後、田圃の中を走らせていたら、ピンクの花が咲いていたので撮ってみた。
仲間と互いにスィングのチェックをするために、ビデオカメラを持っていたからだ。
数年前に同じ場所からこの花を撮って載せた事がある。
誰も手入れをする訳ではないのに、今年も綺麗な花を咲かせていた。
こうして元気一杯汗を掻き、青々と育つ稲と花の光景を、今年も見ることの出来た幸せを感じた一時であった。
「妖精の村�@」
at 2007 06/12 20:12 編集
> -カッパドキア-
ホテルの有る村の光景をご紹介。
早朝に起き出して、ホテルの裏の急斜面を登って村の道に出てみた。
今は使われなくなったような荷車が、道の脇に放置されている。
こんな村でも既に車が主流になったようである。
しかし道端にこのように放置されたままになっているのが、何ともこの光景にはマッチしているように思える。
どの家も岩を巧みに利用して、現在も人が住んでいるのである。
日本では見たことの無いこれらの光景は、早朝から散策を始めた我々に不思議な感動を与えてくれたものである。
まるで中世のヨーロッパの世界に、タイムスリップしたかのような光景であった。
「朝の気配」
at 2007 06/12 08:42 編集
> -カッパドキア-
洞窟ホテルの朝の光景。
外が明るくなりだした頃に起きだした。
昨晩の洞窟舞台での民族舞踊やベリーダンスの場面や音楽がまだ、耳目に残っている感じだった。
相棒と朝食までの時間、村を散策しようという事で服を着替えた。
外の光と部屋の明かりが何とも言えず良い感じで、テーブルに置いてあった蝋燭にも火を灯して撮ってみた。
壁に掛けてある鏡と、椅子が対になっていて、貝殻などが埋め込まれた、とても洒落た調度品だなと気に入ったものである。
「民族舞踊」
at 2007 06/11 06:29 編集
> -カッパドキア-
夕食後見に出掛けた民族舞踊の光景。
ホテルから車で10分位行った所にある、これも洞窟の中に有る舞台で踊られたトルコ独特の民族舞踊である。
劇場の玄関を入ると、長い廊下が有り、舞台入口の左右で、踊り子達が我々を迎える。
円形の舞台の周りは階段状の観客席になっており、着席すると料理が運ばれてくる。
やがて場内が真っ暗になり、ろうそくの光を持った踊り子達が、賑やかな演奏と共に登場する。
踊りはストーリーになっていて、男性群が一人の女性に次々とプロポーズするといった具合だ。
それぞれの男性が差し出すスカーフを女性が受け取れば結婚許諾。
他愛も無い話だが、踊りながらストーリーが展開されるので、結構面白い。
民族衣装と、トルコ独特の民族音楽が、異国情緒を醸していた。
「洞窟ホテル�R」
at 2007 06/10 05:16 編集
> -カッパドキア-
ホテルの右端から見る裏山の光景。
このキノコのような岩山が、我々が宿泊したホテルの一番右側である。
今は貯蔵庫か何かになっているようで、部屋としては使用されていなが、ホテルの廊下の突き当たりはこの岩穴に突き当たるのである。
此処は天然の冷蔵庫のようで、ひんやりとしており、食品などを保存するのに適しているようで、自然を最大限に利用していると言えるだろう。
翌朝はホテルの脇の急斜面を登って、前方に見える電波塔の近くまで、散策してみた。
そこからの景色は、今までと全く違った光景が広がっていて、新たな感動したものである。
明日からはまた、様々な村の光景を載せて見たいと思う。
「洞窟ホテル�Q」
at 2007 06/09 11:03 編集
> -カッパドキア-
ホテル前から見る村の光景。
昨日の岩の上に建てられた住宅から、少し左にずらした位置から望む村の佇まいである。
これがそれぞれ一戸建ての住宅だというから、日本の個別住宅とは大分様子が違う。
トルコでは昔の日本のように、今でも大家族制度が普通だから、一族がこうして大きな家に住んでいるのだ。
カッパドキア地方独特の石が豊富に産出されるので、こうした石造りの家が普通である。
此処には比較的富裕層の家が多いのだという。
遠くに見える岩山には、岩を繰り抜いて作られたと思われる教会のようなものが見える。
此処でも自然との共生が散見出来るようである。
「洞窟ホテル�P」
at 2007 06/08 09:55 編集
> -カッパドキア-
ホテル前の夕方の光景。
ホテルに着いて夕食までのひと時を、外に出て付近を散策した時の様子である。
ホテルの前は急な砂利道の坂になっており、良くこんな場所にホテルを作ったものだと感心する。
前に見える家は個人の住宅のようであるが、随分大きい家である。
それにしてもこんな岩の上に良く家を建てたものだと、これまた驚きである。
遥か彼方には一般住宅が建ち並んでおり、カッパドキアでも、近代化の波は押し寄せてきているのだなと思ったものである。
到着当日はホテルの周りを散策したに留まったが、翌朝はホテルの背後に聳える山の上まで足を伸ばしてみたものである。
「洞窟ホテル�O」
at 2007 06/07 09:18 編集
> -カッパドキア-
ホテルのテラスにぽつんと立っている街灯。
夕暮れが迫るこの光景の中で、アーク
灯の様なこの街灯は良く似合っていた。
一体夜になるとどんな明かりを灯すのだろうか。
妖精たちが集まって夜の舞踏会をするのに照明を提供するような、そんな物語を思い起こさせるような光景であった。
この明かりが、良く見掛ける蛍光灯であったら、きっとこの光景には合わないものだったろうし、被写体として関心を抱かなかったに違いない。
昔の古い映画で「街灯」と言う題の傑作が有ったのを思い起こさせるシーンであった。
「洞窟ホテル�N」
at 2007 06/06 06:11 編集
> -カッパドキア-
ホテルのテラスから見る村の光景。
村といっても此処から見る岩山の中には、ほとんど人間が住んでいる形跡は見られない。
はるか彼方に、カッパドキアを訪れた時に最初に載せた、オルタヒサールの岩窟村が見える。
こうして見ると、あの岩山の一角が、カッパドキアの中央で、一番高い村であることが良く分かる。
此処のホテルの位置が、どの辺であるのかを知る上で、あの洞窟村は良い目印になるのである。
「洞窟ホテル�M」
at 2007 06/05 09:24 編集
> -カッパドキア-
この岩もホテルから見える光景である。
ここは少し前まで人間が住んでいた形跡が有る。
良く見ると実に巧みに岩の原型を上手く利用しているようである。
屋根の庇の様になっている下に、ベランダのようなものを作ってみたり、中々手が込んでいる。
見た目は大地の上に岩が乗っているようだが、実際は氷山の一角のように、土の下には更に大きな岩盤が有るのだろう。
長い年月の間に、それらの岩の間に土砂が堆積して、このような岩屋のような形になったように思える。
まるで御伽噺に出てくる、妖精達の住む家のようではないか。
この家は三階建ての一軒家、上の方に見えるのは、差し詰めマンション群と言った所だろうか。
「洞窟ホテル�L」
at 2007 06/04 05:34 編集
> -カッパドキア-
部屋に据え付けられていたラジオのアップ。
何とも古色蒼然たる形のラジオだ。
果たして音が出るのかどうか、試してみれば良かったと、今にしてみれば思うのである。
せめて写真に撮っただけでも良しとしようか。
恐らくこの中身は、今でも真空管が使われているのではないかと想像出来る。
テレビも有ったがこれも見ずに終わってしまった。
矢張り、一泊だけの宿泊で、夜もベリーダンスを見に出掛けてしまっては、ゆっくりとこれらのものを鑑賞する暇が無かっようである。
「ギョレメの谷」
at 2007 06/03 08:36 編集
> -カッパドキア-
奇岩に彩られたギョレメの谷の光景。
同じ奇岩でも、アメリカのグランドキャニオンとはいささか趣を異にする光景だ。
あちらが太古の地球の原形を留めている荒々しい光景だとすれば、こちらの光景は海の波に削られたり、風化によって、滑らかに浸食された穏やかな光景と言えるだろう。
まだまだ地球上には見たことの無い姿が数多くある事に感動を覚える。
岩だけでなく、緑が多く点在する事もこの光景に安らぎを与えているのだろう。
妖精の煙突と呼ばれているこの岩山は、確かに妖精たちが住んでいるようにも思える光景だ。
「洞窟ホテル�K」
at 2007 06/02 09:04 編集
> -カッパドキア-
ホテルの窓側から見た部屋の様子。
この部屋には蛍光灯は無い。
全てがタングステン灯だから、写真に撮ると暖かいオレンジ色になる。
入口の外側の向かって右側にはちゃんとトイレと浴槽が付いている。
天井はとても高く、岩のごつごつした感じがそのまま残されている。
暖房は左側にあるスチーム暖房だけだが、朝晩はかなり外は寒くなるが、優しい暖かさで心地良い。
このスチームは洗濯した靴下などを乗せて置けば、翌朝までには乾くから便利で、ロンドン滞在時の事を思い出した。
このトルコ旅行の間、随分たくさんの様々なホテルに泊まったが、この洞窟ホテルでの宿泊が、一番安眠出来たように思う。
天井が高く薄暗いのと、エアコンを使用していないのが、その理由だろうか。
それとも嘗て人間は洞窟の中に住んでいた、本能的な名残なので有ったのだろうか。
「洞窟ホテル�J」
at 2007 06/01 09:19 編集
> -カッパドキア-
宿泊したホテルの右側の光景。
妖精達の煙突と呼ばれる奇岩を上手く利用して、ホテルにした様子が良く伺える。
ガラスの入っている部屋が我々の泊まった部屋である。
右側の方の岩がくり貫かれた所は、昔住居で利用されていたのかもしれない。
我々が部屋を探して廊下を彷徨っている時、暗い穴倉のような所に行き当たったのは、この岩の中の一つだったのかもしれない。
それにしても実に巧みに、これらの奇岩を利用して、ホテルを作ったものだと感心せざるを得ない。
自然を破壊して豪華なホテルを建てるのではなく、自然の良さを活かしながら、自然と共生する。
本来の住環境とは、そうしたものではないかと、この景観を見ながら感じたものである。