トルコ回遊録�B
「洞窟ホテル�I」
at 2007 05/31 06:25 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋から見る正面の風景。

岩山の形がまるで大きな屋根を乗せたような形状である。
屋根の下をくり貫けば、そのまま住居になりそうな感じである。

事実、数箇所に岩を削って住居として使っていた形跡が見られる。

手前の段になった畑では、今は農作物は作られていないのであろうか。

この辺はかなりの高所の台地状になった地域であるが緑は豊富である。

高所のせいか、空気もひんやりとして肌寒かったが、部屋の暖房はエアコンやストーブを使わない、スチーム暖房であり、健康に良さそうなものだった。



「洞窟ホテル�H」
at 2007 05/30 05:39 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋から見える風景。

ちょっと悪戯してウォーターカラー風に撮ってみた。

ホテルの玄関の上が、テラスになっており、食堂に行くには一旦このテラスに出てからでないと行けないのだ。

畑の先には岩山がずっと連なっている。
今まで載せてきた妖精の煙突とはちょっと異なり、ずっと繋がった岩山である。

手前の畑にある農作物は一体何なのであろうか。
此処のホテルはかなりの高所に有り、バスが喘ぎながら昇って来た印象が有る。

高所のせいか、空気もひんやりとして肌寒かったが、部屋の暖房はエアコンやストーブを使わない、スチーム暖房であり、健康に良さそうなものだった。



「洞窟ホテル�G」
at 2007 05/29 07:14 編集

> -カッパドキア-


ホテル内での夕食のメインディシュ。

この洞窟内で食べたディナーは、バイキングでなく、コース料理だった。

客室数も少なく、お客もあまり居ないから、バイキングのように色々な料理を用意する事は出来ないのだろう。

未だにこの料理が何であったかは不明だが、トルコ料理であることに間違いない。

様々なものが土鍋風のものに煮込んであり、とろりとした味が美味しかった。
赤ワインとの相性がとても良い味であったのが今でも思い出される。



「洞窟ホテル�F」
at 2007 05/28 06:47 編集

> -カッパドキア-


ホテル食堂の入口。

今まで載せていた、ホテル内の食堂入口の光景である。

食堂に行くには、ホテルの部屋からいったん玄関屋上に有るテラスに出て、此処から入るのである。

此処のテラスはかなり広く、反対側からは180度村の周囲の光景を一望出来る。

入口から薄暗い食堂に入ると、様々なボトルワインなどが並べられており、趣のある調度品と共に、何とも言えないムードが漂っている。

しかし閉所恐怖症の人には、このレストランは向かないかもしれないなと話し合ったものである。



「洞窟ホテル�E」
at 2007 05/27 06:42 編集

> -カッパドキア-


ホテル食堂での夕食の光景。

此処のホテルに泊まったのは、我々2人以外は全て若いカップル3組だ。

驚いたのは周り中、粗い岩に囲まれていて、テーブルまで一枚の巨大な岩を平らに削ったもの。

まるでワイナリーの貯蔵庫で食事をしているみたいで、赤のハウスワインが美味しかった。

戦中戦後を体験した私には、さながら防空壕の中で食事をしているようで、若い皆にその体験談を話して聞かせたものである。

此処の食堂で食事を摂っていたのは、我々以外には欧米人のカップル一組だけであった。

洞窟住居に生活する人々の日常を髣髴しさせる体験ではあった。



「洞窟ホテル�D」
at 2007 05/26 06:08 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋の窓際に陣取って寛ぐ私。

部屋に着いて早速窓際に座り、外の景色や部屋の中をビデオや写真に収めて、寛いでいる所を相棒が撮ってくれた。

私が小型ピストルのように持っているのが、ビデオとデジカメ兼用のビデオカメラであるが、これ一つでビデオと写真が撮れるから便利になったものだ。

この写真は相棒の一眼レフデジカメ、ニコンのDシリーズで撮ってもらったものだが、矢張り暗い室内の自然光だとかなり無理が有るらしく、ノイズが激しい写真になってしまった。

昔のミシンの踏み台がサイドテーブルになっているのも、廃物利用で微笑ましい。



「洞窟ホテル�C」
at 2007 05/25 05:47 編集

> -カッパドキア-


ホテルの部屋の窓から見える光景である。

岩窟住居らしきものが見えるので、ズームアップして撮ってみた。
どうやら今は人が住んでいないようだが、梯子などが有り少し前までは住居として使用されていたような形跡が有る。

これは部屋からの眺めだが、更にこのホテルの裏側の斜面を少し登っていくと、ギョレメの谷が一望出来る所に出る。

それらの写真は日を追って掲載するが、ホテル前の眺めは比較的平凡なものであった。

しかし自然の岩山の地形をこうして巧みに利用して住居にするには、一軒家を建てるより、よほどの努力が必要だろうと思ったものである。



「洞窟ホテル�B」
at 2007 05/24 06:14 編集

> -カッパドキア-


宿泊したホテルの部屋の内部。

土蔵の錠枚のような大きなドアの鍵を回して部屋に入った途端、オー・ワンダフル!!と思わず声を上げた。

狭い螺旋状の洞窟内の石段を重い荷物を持って昇ってやっと部屋に辿り着いたのだ。

勝手に自分達で部屋を探してくれと言った具合で、ポーターなんて居る筈もなく、迷路のような通路を行くと、行き止まりが真っ暗な穴倉だったりしたのだ。

しかしこの部屋の雰囲気はとても気に入った。
窓からは不思議な奇岩群の光景が一望出来る。

蛍光灯でないタングステン光のオレンジ色の照明も落ち着きを感じさせ、調度品もクラシカルでムードたっぷりである。

こんな部屋に彼女と二人で泊まったら、さぞ素敵だろうと、他の若いカップルのツアーメンバーを羨ましく感じたものである。



「洞窟ホテル�A」
at 2007 05/23 05:01 編集

> -カッパドキア-


ホテルのフロントの様子。

アルズさんと添乗員が我々のチェックインの手続きをしてくれている。

此処だけは、妖精の煙突の岩と岩の間に玄関を作ったらしく、普通の建物のような感じがする。

しかしロビーなんていうようなものではなく、玄関を入るといきなりフロントのデスクが有る。

この鼻眼鏡の伯父さんだけがフロントマンらしく到着した時も翌朝も此処に居た。
だがその姿も常時居るのではなく、誰も居ない時が多く、勝手にホテル内に誰でも入れるから、ちょっと物騒ではある。

用が有る時はデスクの脇の手の平でチンと押すベルを叩くとおじさんが出てくるのだ。

我々の部屋に行くには、右手の岩を削った迷路みたいな石段を、キャリーケースを自分達で持って上がっていかなければならない。

何とも不便な話だが、それがまたホテルらしくなくて、相棒とぶつぶつ言いながら、自分達の部屋を探したのも楽しい思い出であった。



「洞窟ホテル�@」
at 2007 05/22 06:15 編集

> -カッパドキア-


我々がカッパドキアで宿泊した洞窟ホテルの外観。

我々の部屋は丸窓の嵌まった部屋である。
実に野性味溢れるホテルで、私にとっても勿論初めての体験であった。

自然の岩を巧みに利用してくり貫き、切り出した岩と上手く組み合わせて、ホテルが出来上がっているといった具合だ。

今思うと、ホテルの入口玄関の写真を撮らなかった事が残念である。
ビデオでは撮影したのだが、写真に撮る事を忘れてしまったようだ。

暫くはこの風変わりなホテルの中や、ホテル周辺の不思議な光景をご紹介したい。



「記念撮影」
at 2007 05/21 06:34 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷をバックに記念に一枚撮ってもらった。

不思議なのは私の居る場所である。
直ぐ後ろは何も無く、すとんと断崖絶壁で谷へと落ち込んでいるのだ。

アメリカのグランドキャニオンもそうであったが、落ちるのは個人の責任だと言わんばかりに、柵などの防護策は何も施していない。

人命重視の日本では考えられない事である。
しかし考え方で、これが自然本来の姿なのだから、人為的な美観を損なうものは無い方が良いとも言えるであろう。

それにしても、こんな状況の足場が崩れ落ちない事にも不思議さを感じたものである。

流石に際まで行って下を覗き込んだ時には、肝を潰したものである。



「奇岩の群れ�A」
at 2007 05/20 06:01 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷の光景第二段。

先日載せた奇岩群の景色を少し右にずらして眺めた光景である。
こんな谷の下にも道が有り、手入れが行き届いた跡が見受けられる。

手前の岩肌はなだらかで、まるで人間の肌のような感じがする。

こんな所を散策して下から上を眺めるのも別な光景が広がっているのだろうと思ったものである。

この奇岩の間を縫って行くと、左前方に広がる古い街の中に出られそうである。

この街の交番も奇岩をくり貫いた中にあるのだと、少し前のテレビでやっていた。

自然を活かして、自然と共存する世界は、如何にもロマンチックな匂いがする。



「アイスクリームを売る青年」
at 2007 05/19 09:22 編集

> -カッパドキア-


ギョレメの谷が一望出来る場所で、たった一人アイスクリームを売っている青年が居た。

青年と言うより、まだ少年のあどけなさが残る顔である。
観光客が近付くと、半分照れ臭そうに「アイスクリーム」と声を掛ける。

トルコ・アイスを食べた方はご存知だろうが、飴のように硬く伸びる。
しかし口に入れると普通のアイスクリームのように溶けるのだ。

この舌触りと味が癖になり、夏になるとトルコ・アイスを買ってきて食べる習慣が付いた。
直ぐに溶けないからベタベタせずに済むからである。

たった一人だけ、この大地に立ってアイスクリームを売る青年は、今でも此処に居るのだろうか。



「奇岩の群れ」
at 2007 05/18 05:27 編集

> -カッパドキア-


台地の上からギョレメの谷を一望した光景。

正しく自然の奇岩群と人家が一体となって織り成している眺めである。

我々はこれから、左手の小屋の見えるほうに移動し、別の角度から180度のこの光景を眺望することとなる。

この広大なパノラマは、一つとして同じ光景が無いほど、延々として続いているのだ。

何億年もの長い時を経て、自然が作り出した不思議な光景は、人間の寿命では計る事の出来ない時空であるが、人間もまた、太古の時代から種族を保持し生き長らえて来た事も事実であろう。

この光景は、自然と人間が作り出してきた、壮大なドラマを感じさせる光景なのである。



「トルコ石を売る男」
at 2007 05/17 05:57 編集

> -カッパドキア-


典型的なトルコ男性の風貌をした店員である。

日本語が話せない真面目そうなこの若者と、私は値段交渉をした。
海外の貴金属店では、良く価格を表示せずに、商品だけを展示している店が多い。

その点この店は、価格を明記しているので、安心して品物を探せた。
しかしそれにしても良い値段である。

ちょっと手頃だなと思うものは、トルコ石の色が良くなく、輸入物だという事が直ぐ分かる。

彼にはまだ価格決定権が無いらしく、私が法外な価格を提示すると、いちいち上司らしい男に相談に行く。

アルズサンも応援してくれて、無事商談が成立した時には、とても嬉しそうな顔で、カメラに応じてくれたものだが、これはまだ交渉の最中の真剣な顔である。



「トルコ石」
at 2007 05/16 05:16 編集

> -カッパドキア-


トルコ石の製造販売店のショウウィンド。

再びトルコシリーズに戻った。
様々な種類のトルコ石の見本である。

トルコ国内では、このカッパドキア地方で嘗ては豊富に産出されたようであるが、今ではごく少量しか採れなくなってしまったとのこと。

ほとんどがイランや中国からの輸入品になったというが、本物のトルコ石とは色が違う。
この濃いマリンブルーのネックレスが、本物のトルコ石なのである。

しかも良く見ると、石の中に金が混じっていて、値段も他の物より数段高い。

見る人が見ると、本物のトルコ石か、輸入品なのかが直ぐ分かるというから、少し気張って本物のを買ってしまった。

トルコの土産品の中では一番高く、一眼レフデジカメが買えるほどの価格であった。



「ゴルフプレー」
at 2007 05/15 05:57 編集

> -群馬-


打ち下ろしのロングホールでドライバーショットを打つ従弟の姿。

今日はこれから群馬県のホーム・コースまでゴルフに出掛ける。
前にこのコースに行ったのは、去年の夏であった。

我が家から、車で1.5時間掛かるので、日頃はつい家から15分で行ける近場の、もう一つのホーム・コースに行ってしまう。

しかしこちらは標高350メートルの高地に有るので、景観が良く気分転換には最高である。
嘗ての名ゴルファー、中村寅吉が設計したコースだけに、難しいのが難点だが。

今日は天気が良さそうだし、スコアーの悪さを、天候のせいに出来そうも無いようである。



「境内」
at 2007 05/14 04:28 編集

> -世田谷-


巨木の間を通して見る豪徳寺仏塔の光景。

雨に煙る境内は、全てのものを洗い流して、新緑の中に清々しく感じられた。
友は此処の墓地の彼の先祖代々の墓の中で、既に眠っている事だろう。

しかし、今流行の詩「千の風になって」ではないが、旅行好きだった彼は、得意の英語を駆使して、今頃は風になって世界中を旅しているに違いない。

丁度一年前であったが、私がトルコに行ってきた報告をした時、彼は死ぬ前にもう一度、パームスプリングスに行ってゴルフをしたいので、迷惑を掛けるかも知れないけど、連れて行ってくれと言っていた。

遂にそれも実現しないままで終わってしまったが、今頃は黄金色に輝く、岩山の間にある名門ゴルフコースで、思う存分プレーしている事であろう。



「山門脇の店」
at 2007 05/13 06:50 編集

> -世田谷-


豪徳寺山門脇に有る小さな店の佇まい。

地名にまでなっている豪徳寺の長い参道を歩いて山門に辿り着いた。

これだけ大きなお寺なのに、店はこの一軒だけなのが、却って古刹に相応しく奥ゆかしさを感じる。

此処は境内脇にたくさんの招き猫が置いてある事でも知られている。
徳川家の重臣井伊直弼の墓なども有る事で有名だ。

一昨年の正月には逝去した友に案内されて、境内を散策したのを懐かしく思い出した。

その彼が、今は代々続いた彼の先祖の墓の中の一員として、眠りについてしまった。

彼との付き合いは、35年の長きに亘ったのであった。




「東急世田谷線�A」
at 2007 05/12 05:41 編集

> -世田谷-


豪徳寺近くの宮坂駅付近の光景。

この駅で、上り下りの電車がすれ違うために、此処だけ複線になっていた。

駅を降りた踏切の直ぐ左に、○○家葬儀場と書かれた大きな看板が出ていたが、敢てそれが写らない様にカメラの位置を調整した。

逝去した友は、数年前の長者番付に名を連ねたほどの資産家だった。
しかし彼は、嘗て国鉄職員だった実父の資産を相続したための高額納税者であり、自分の努力でそうなったのではないと、極めて謙虚な態度で過ごしてきたのだ。

彼の口癖は、人間幾ら金が有っても、健康でなければ生きている価値が無いと、言い続けていたものである。

病魔に侵されて9年、やっと今苦痛から開放され、由緒有る此処豪徳寺の菩提寺に、安住の場所を得る事が出来たのであろう。

生前の公私を越えた厚誼を感謝すると共に、安らかな永眠を祈るのみである。



「東急世田谷線」
at 2007 05/11 08:34 編集

> -世田谷-


都電ではないが小さな電車の駅の光景。

この日友人の葬儀で豪徳寺まで出掛けた。

三軒茶屋から下高井戸まで走っているこの電車は、都電の荒川線同様、住宅地の軒下を走るような感じである。

終点まで行っても、運賃は均一の140円。
何と料金所は改札口に備えてあるのだ。

車掌は全て女性で、二つ有る乗車口の後部に居り、まるで昔のバスの車掌のような感じがして懐かしさを憶えた。

この日だけが雨で、友の涙雨のような感じがした。
前に彼の家を訪れたのは、新年会をするために招かれた一昨年の正月だった。

もうこの電車に乗ることも無いであろう。



「描く人」
at 2007 05/09 06:35 編集

> -新宿-


歩行者天国に腰を据えて何かを描いている若者の姿。

彼は一体此処で何をしているのだろうか。
最初見た時は、周囲のビルを眺めながら筆を運んでいるので、てっきり絵を描いているのかと思ったが、並べている用紙を見るとそうでは無いらしい。

周囲の雰囲気を鑑賞しながら、詩でも書いているのだろうか。
傍に近付いて作品を良く見なかったので、分からず仕舞いだった。

何かパフォーマンスでもしていれば一目瞭然だが、最近は得体の知れない若者も結構多い。
身なりや持ち物もちゃんとしているから、自分の主張を披露して共感する人に販売しているのだろうか。

世の中変わったものだと思いながら、通り過ぎたのだった。



「歩行者天国」
at 2007 05/08 10:30 編集

> -新宿-


車の無い道路は広々としていて気持ちが良い。

言わずと知れた、新宿通りの休日の光景である。
新宿駅東口に向かう午後の通りの真ん中を歩いてみた。

人々は皆思い思いに、ゴールデン・ウィーク終盤の初夏を思わせるこの休日を、楽しんでいるようだった。

初めて気付いたのだが、駐停車禁止になったこの通りも、ほとんど商店で埋め尽くされている事情からか、荷捌き用の車の停車スペースを認めたようである。

ほとんど駐車場の無い、この近辺では苦肉の策ということなのであろうか。

電線を地下に埋めることに成功したこの通りは、空が開放的になり、差し詰めニューヨーク・ブロードウェイのミニチュア版と言った所だろうか。



「待つ人々」
at 2007 05/07 05:30 編集

> -新宿-


新宿末広亭の前で開演を待って行列が出来ていた。

久々にこの裏通りを通った。
寄席が今でもこんなに人気が有るとは思わなかった。

この行列は大通りまで続いている。
私は10年前までは、行き付けのスナックがこの末広亭の傍に有り、良く会社帰りに仲間と行ったものである。

十年一昔と言うが、その店ももう看板が出ていなかった。
懇意にしていたそこのママも、孫が出来てもう店を畳んだのだろう。

懐かしさを憶えながら、この行列の脇を通り過ぎたのであった。



「チャランゴを弾く男」
at 2007 05/06 05:48 編集

> -新宿-


歩行者天国の街角でストリートパフォーマンスをする南米の男。

昨日は従兄の49日の法事で新宿に行った。
法要を終えて帰途の途中、街はゴーデンウィーク真っ只中、初夏の陽気の歩行者天国は人で溢れていた。

あちこちでこのような光景を見掛けた。
私は学生時代、中南米音楽のトリオを組んでいたので、このような光景を見ると通り過ぎる事が出来ない。

しばし彼の奏でる懐かしい曲の数々を楽しんでいた。
彼とデュオを組んでいるもう一人の男は、ケーナを吹いていた。

帰宅すると、友人の奥様から訃報が舞い込んだ。
長年海外気まま旅を楽しんだ友が、亡くなったと言う。
苦楽を共にした友人だけに、悲しみを禁じえない。
また通夜に出掛けなければならない。

今年のゴールデンウィークは、ゆっくり出来そうも無い。




「宝石店にて」
at 2007 05/05 05:56 編集

> -カッパドキア-


トルコ石の装飾品を専門に製造販売する店の光景。

私は家人からトルコに行ったらトルコ石の指輪を買ってきてくれと、事前に頼まれていたので、この店でかなりの時間を割いて値切り交渉をした。

彼は様々なトルコ石のネックレスを示して石の違いを説明していた。

嘗ては豊富に産出されていてたトルコ石も、今は本場トルコでも余り取れなくなり、イランや中国などからの輸入品が多いのだと言う。

しかし本物のトルコ石は色が全く違う。
濃いエメラルドグリーンの物が本場トルコのものであるが、目が飛び出るほど高い。

アルズサンにも協力してもらい、純金台の、本場トルコの石の中に金が混じっている指輪を値切り交渉の結果ゲットしたが、それでも預かった金額をはるかにオーバーしたものになってしまった。



「洞窟住居�K」
at 2007 05/04 05:48 編集

> -カッパドキア-


妖精の煙突と言われる奇岩をくり貫いた、住居の様子もこれで最後としたい。

これは長女のベットの様子である。
こうして家族4人分のベットが、部屋の片隅に据えられている。

石を削った床が平らではないから、ベットの足に添え木がしてあるのが、何とも愉快である。

少女のベットらしく、壁に掛けた絨毯のタペストリーや、枕元に置かれた人形などが微笑ましい。

この洞窟住居を訪れたのは、丁度一年前の今日であった。

月日の経過の早さに驚きを禁じえないが、こうして写真をアップしていると、この時の事がつい先日のように思えてくるから、不思議である。

新しく生まれた子供を加えて、此処の家族は今頃どうしているのだろうか。

妖精の煙突と言われる奇岩をくり貫いた、住居の様子もこれで最後としたい。

これは長女のベットの様子である。
こうして家族4人分のベットが、部屋の片隅に据えられている。

石を削った床が平らではないから、ベットの足に添え木がしてあるのが、何とも愉快である。

少女のベットらしく、壁に掛けた絨毯のタペストリーや、枕元に置かれた人形などが微笑ましい。

この洞窟住居を訪れたのは、丁度一年前の今日であった。

月日の経過の早さに驚きを禁じえないが、こうして写真をアップしていると、この時の事がつい先日のように思えてくるから、不思議である。

新しく生まれた子供を加えて、此処の家族は今頃どうしているのだろうか。



「洞窟住居�J」
at 2007 05/03 06:22 編集

> -カッパドキア-


ツアーメンバー一同が、岩穴の部屋に通された時の驚きの表情。

この部屋に入ったばかりの時に、ストロボを発光して部屋の中の様子を克明に撮影してみたものだ。

何となく天井が落ちてくるのではないかといった閉塞感が有るのだ。
果たしてこの岩穴住居は地震には強いのだろうか。

しかし地震国トルコで、この住居が大昔から存在していると言う事は、此処の岩盤はかなり強固なのであろう。

岩穴住居は沢山有るが、トルコ政府は崩落などの可能性がある危険な住居は、全て退去を命じたと言うから、この家はその中でも居住を許可された家であるから、大丈夫なのだろう。

しかしやがては、生活の利便性から、此処も無人になるのではないかと思うと、我々は貴重な体験をしたのではないだろうか。



「洞窟住居�I」
at 2007 05/02 07:12 編集

> -カッパドキア-


Sさんご家族の記念撮影をする相棒のカメラマンぶり。

このアングルだと、岩穴の中の住居の様子が良く分かるので載せて見た。

妖精達の煙突と呼ばれる、とんがり岩の一つをくり貫いた住居の中は、床が岩なので、厚い絨毯を引いてあっても
でこぼこしていて、慣れないとつまずきそうになる。
おまけに写真でもお分かりのように、天井が低いので、背の高い人は頭を岩にぶつけそうになる。

ストロボを発光せず自然光で撮ったので、実際の岩穴の中の明るさは蛍光灯は点いているが、この程度である。

明るい部屋の中での暮らしに慣れている我々には、いささかの閉塞感を感じるようだ。

閉所恐怖症の人にはちょっと住めないかもしれないが、此処の家族の部屋は、この一室だけである。

石炭や薪を炊くストーブは部屋の真ん中に有るが、エアコンなどは無いから、多分夏は岩屋の中はひんやりとして暑くないのだろうと思われた。

ちなみに我々が宿泊した洞窟ホテルもスチームヒーターは有ったがエアコンは無かった。



「妖精達の煙突�G」
at 2007 05/01 09:27 編集

> -カッパドキア-


新緑の中に聳える奇岩群と土産物屋のある光景。

此処を訪れた時から、早くも一年の歳月が経過した。
トルコも日本と同じように新緑が眩しい春の時期であった。

去年の今頃は、10日間の旅の真っ最中であったから、月日の経つのは早いものである。

今年のゴールデンウィークは、4日の従兄の49日の法要を中心に、来客、家の修理、ゴルフなどと、予定が詰まっており、ネットも儘ならない。

せめて暇を見て、一年前の複視を押して出発した、トルコ旅行の写真やビデオを見ながら、楽しかった旅の思い出を懐かしむとしようか。