◎★「足跡メッセージ」ーー父、入院-10/07/20火9:49 PM記
これからページの中断した事を、ここへ書き込むために文章を「1太郎」にまとめていたのですが、7/4(日曜)に父の老人ホームへ行っていたのですが、6/30(水)あたりより少し様子がおかしく、7/1(木)から連日「連れ合い」が、老人ホームにゆき、私は、やっと7/4(日)に一緒にゆける事に、そして前日の夜中に39度5分まで上がったとの事。

急性肺炎のようで、いったん熱が、だいぶ下がりましたが、私達が来た時は、38度5分。酸素濃度が普通は98前後が、この時は、80位、時として78にもなり、これは、非常に危ないと「老人ホーム」より、幸い「胃ろう」の交換手術でお世話になった総合病院へ行ける事に、しかし、息子が仕事に行く時に家のカギが見つからず、いつも息子は仕事の関係で帰りが遅いので、それまでには、こちらが帰って来ている事になるので、「カギ」は、探さないで早く行けと言う事になり、結局、どちらかが、家でカギを開けてやらないと息子が家に入れない事になり、仕方なく、「連れ合い」だけが、高齢の父が入る総合病院へ救急車で連れ添い。私は、後ろめたい気分で、家路へ。次の日、急いで、ほとんど寝ないで父の看病してくれた「連れ合い」がいる病院へ。

そして、3日間くらい交代で泊まり込みの24時間の看病。とうとう「連れ合い」は、声が、疲れのためか、ほとんど聞き取れないくらいの声しか出ず、声を出すのも、辛そうで、いつも、滅多に根を上げた事のない「連れ合い」が、「私、もうだめ、動けない」と。「えっ?うそだろう」と、本当にうろたえてしまった。

それから私が、今度は、お昼頃から帰ってくるのは夜12時半頃の生活が1週間始まり、途中、心配な2日間は病院に泊まりとなりました。「連れ合い」が何とか、病院に行き、抗生物質も含め8種類ほどの薬を飲み、途中、薬がなくなり、2回、医者に行き、何とか疲れもとれ、咳は、まだ完全ではなく、声も完全ではないが、あまり苦しそうでは、なくなり、ほっとしたが、今度は、私が声を出すのが、のどが詰まるように非常に苦しくなり、ほとんど同じ症状に。私も、同じ医者に行き、同じような薬を貰ってきて、ダウン状態に。

そして、16(金)に午後4時に心配だったので前日は泊まり込みして、その日に交代。「連れ合い」も懲りて、泊まらないで、夜10時半頃帰宅。そして、私は17(土)の昼頃、医者に行き、薬を飲み、ただ、ひたすら寝る頃に。18(日)19(月)20(火)と4日間、父の看病を任せ、ひたすら休養。お陰様で、可成り体調は戻ってきたのですが、横になっていたのが長すぎたのか、父の事で整体に2週間ほど行けなかったせいか、腰がへっぴり腰状態に。ギックリ腰の1歩手前まで行っています。

でも、早く「連れ合い」と変わらないと、また「連れ合い」が元に戻ってしまわないかと、心配で、今、必死に、足のローラーを使ったり、強力なバイブレータを使ったり、指圧棒を使ったり、頑張っています。
息子は、元気が出るようにと、「うなぎ」を買ってきてくれ、お昼にたっぷり食べさせて貰い、今、やっと、これを書く気となりました。

10/07/20火9:49 PM記

編集 mikiharb : 続きです、途中で勝手に投稿されちゃいました。
編集 mikiharb : 暑い毎日が続きますね。