2010年08月の記事
2010 08/16 00:07
Category : ショッピング
今年は湿気が凄くて、カビが生えるので、除湿機と空気清浄機をネットで注文したのが、昨日と今日届きました。
十畳の音楽室の湿度が一晩掛って10%以上下がって、ようやく70%を下回りました。
それに、八畳までの空気清浄機も使ってみたら、空気が良くなりました!
うちは、猫も居るので、その匂いも消えるし、こんなに効き目が有るなんて!
玄関には電源が無いので、次は、コードレスのを買うつもり!!
十畳の音楽室の湿度が一晩掛って10%以上下がって、ようやく70%を下回りました。
それに、八畳までの空気清浄機も使ってみたら、空気が良くなりました!
うちは、猫も居るので、その匂いも消えるし、こんなに効き目が有るなんて!
玄関には電源が無いので、次は、コードレスのを買うつもり!!
2010 08/12 21:41
Category : 日記
今、NHKで戦争の話をしている。
自分の親や、祖父から戦争の話を聞いて育った人が少ない様だ。
私の父は大正七年生まれで、既に11歳の子供時に「山田風車」を発明して農村漁村の無灯家に頼まれて工事に歩いていた。
つまり戦前から風車をつけて歩いていたのに、太平洋戦争が始まったら、『赤紙』一枚で徴兵されてしまった。
赤紙の郵便代が一銭五厘(漢字が違ってるかな?!)で、兵隊一人の値段はこれだけで、軍馬は一頭五円だったそうで、馬の命の方が大きかったのだそうだ。
『お前らは一銭五厘だが、馬は五円もするのだ!』
と言う、失礼な上官も居たらしい。
父は北海道から戦争最後の時には九州に居たそうで、戦艦大和が総攻撃を受けた時には、それはそれは、物凄い音を聞いたと言っている。
大和に向かって米軍が空から総攻撃で爆弾を落とすし、大和は応戦して大砲を打ちまくった訳だから、聞いた事も無い、『轟音』だったと言っていた。
父は電気の専門家だから、もっぱら電信柱に上って工事する仕事をしていた様で、前線には行かなかったのだから安全だったかと思えば違った。
丁度、電信柱の上で作業中にアメリカの戦闘機グラマンのパイロットに狙い撃ちされ、耳の至近距離でパーン!と鳴ったそうだが、気が付いたら下の茂みに隠れていて、どうやって降りたのかが分からないそうだ。
父は、鉄棒で大車輪が出来たり、大倉山シャンツェからスキージャンプした事も有るし、40代の時によく私にとんぼ返りをやって見せてくれた様な俊敏な人だから、はっと思った瞬間に、地面に飛び降りたのではないか、と私は推測している。
アメリカのパイロットにしてみれば、撃ち落とした筈なのに、何処へ消えたのかと思ったらしく、暫く父の姿を探していたが、仕舞に諦めて飛び去ったそうだ。
駐屯地でもよくグラマンには追い回された様で、両脇に少年兵が二人、父の話(よく発明の話をした)
を楽しく聞いていたのに、突然グラマンが背後から機銃掃射を始め、戦闘機の機関銃には一定の間隔があって、たまたま父の両隣の少年兵二人に命中し、肉片が飛んだそうである。
飛んだ肉片は木に飛び散り、烏の餌に成ったそうだ。
戦時中でも、悪食の烏は、生き延びる様である。
ヨーロッパの子供達でも、赤ん坊の両親が射殺され、道ばたで手足をバタバタする赤ん坊に烏が近寄り
目の玉から突っついて食べたと本に書いてあった。
この『グラマン』とは誠ににっくき敵で、非戦闘員を面白がって襲撃したそうである。
日本人は『東京裁判』で戦争犯罪人として大勢が首吊りの刑で殺されたが、戦勝国の人間は、非道な真似をしても裁かれる事すらない。
九州では、小学校の校庭で遊ぶ子供達を機銃掃射で、面白半分に皆殺しにしたそうである。
玉が当たって、お腹に穴が開き、腸が外に飛び出して来たのを手で塞いで必死に走って逃げようとして絶命した子供達がいっぱい居たそうだ。
あまりの惨劇に、父は戦闘機を鷲掴みにして落としてやりたいと思ったそうだが、日本軍が打ち返せば基地の位置が敵にばれるので、どんなに非戦闘員が虐殺されようとも、撃ち落とす事は禁止されたそうだ。
ところが或る日、そのグラマンが一機落ちて来て、落下傘でパイロットが降りて来た所、先日子供達を虐殺された親達が皆、農耕道具、鍬や鋤等を手に持って、まずは着ている服ははぎ取って、
(衣服や革靴等は貴重品で勿体無いから)素っ裸にして
全員で殴り殺して、まあ、人体だったとは思えないくらいに、ぺっちゃんこに成っていたそうだ。
それを見た父は 『恨み骨髄』 を目で見た!!正にこう言う事か!
と言葉の意味が身に沁みて分かったそうである。
さて、本当はこれは一応『犯罪』なので、父は上官に何が有ったのかを報告しなければならなかったのだそうだが、そんな事をするとこの、子供を虐殺された親達が可哀相なので
『何も有りませんでした!』と報告したそうだ。
戦争は『勝てば官軍』で、勝ったらどんなに非道な事さえ正当化出来るし、負けたら全てが悪い事に成ってしまうので、戦争を始めたら、絶対に勝たなければ成らない。
『南京大虐殺』の数は分からないが、実際に虐殺は有ったそうだ。
父は、南京から帰って来た兵隊が、こっそり隠して持ち帰った『写真』を見せられて呆気に取られたと言う。
中国人女性を逆さまに吊り下げて、局部にはロウソクを突っ込んで有ったそうだ。
しかし、中国人の捕虜に成った日本兵には、耳から耳へ針金を通されて、焼いた鉄板の上をゴロゴロと転がされたそうで、中国人の残虐性だってとても肯定出来る様なものではない。
人間の鉄板焼きをするなんて、良くもこれだけ酷い事を思いつき、しかも実行するものだ!
つまり、戦争って言う状態は、敵も味方も完全に『集団ヒステリー』に陥って、常軌を逸する状態に成ってしまうのだから、絶対にやってはいけない。
それに、日本人は戦犯として死刑にされたが、列強(白人)は、その遥か昔からアジアやアフリカを武力で奴隷化してきたのに、誰も死刑にされてはいない。
東京裁判が正当だったとは決して言えないし、勿論、日本の戦争も肯定出来ない。
自分の親や、祖父から戦争の話を聞いて育った人が少ない様だ。
私の父は大正七年生まれで、既に11歳の子供時に「山田風車」を発明して農村漁村の無灯家に頼まれて工事に歩いていた。
つまり戦前から風車をつけて歩いていたのに、太平洋戦争が始まったら、『赤紙』一枚で徴兵されてしまった。
赤紙の郵便代が一銭五厘(漢字が違ってるかな?!)で、兵隊一人の値段はこれだけで、軍馬は一頭五円だったそうで、馬の命の方が大きかったのだそうだ。
『お前らは一銭五厘だが、馬は五円もするのだ!』
と言う、失礼な上官も居たらしい。
父は北海道から戦争最後の時には九州に居たそうで、戦艦大和が総攻撃を受けた時には、それはそれは、物凄い音を聞いたと言っている。
大和に向かって米軍が空から総攻撃で爆弾を落とすし、大和は応戦して大砲を打ちまくった訳だから、聞いた事も無い、『轟音』だったと言っていた。
父は電気の専門家だから、もっぱら電信柱に上って工事する仕事をしていた様で、前線には行かなかったのだから安全だったかと思えば違った。
丁度、電信柱の上で作業中にアメリカの戦闘機グラマンのパイロットに狙い撃ちされ、耳の至近距離でパーン!と鳴ったそうだが、気が付いたら下の茂みに隠れていて、どうやって降りたのかが分からないそうだ。
父は、鉄棒で大車輪が出来たり、大倉山シャンツェからスキージャンプした事も有るし、40代の時によく私にとんぼ返りをやって見せてくれた様な俊敏な人だから、はっと思った瞬間に、地面に飛び降りたのではないか、と私は推測している。
アメリカのパイロットにしてみれば、撃ち落とした筈なのに、何処へ消えたのかと思ったらしく、暫く父の姿を探していたが、仕舞に諦めて飛び去ったそうだ。
駐屯地でもよくグラマンには追い回された様で、両脇に少年兵が二人、父の話(よく発明の話をした)
を楽しく聞いていたのに、突然グラマンが背後から機銃掃射を始め、戦闘機の機関銃には一定の間隔があって、たまたま父の両隣の少年兵二人に命中し、肉片が飛んだそうである。
飛んだ肉片は木に飛び散り、烏の餌に成ったそうだ。
戦時中でも、悪食の烏は、生き延びる様である。
ヨーロッパの子供達でも、赤ん坊の両親が射殺され、道ばたで手足をバタバタする赤ん坊に烏が近寄り
目の玉から突っついて食べたと本に書いてあった。
この『グラマン』とは誠ににっくき敵で、非戦闘員を面白がって襲撃したそうである。
日本人は『東京裁判』で戦争犯罪人として大勢が首吊りの刑で殺されたが、戦勝国の人間は、非道な真似をしても裁かれる事すらない。
九州では、小学校の校庭で遊ぶ子供達を機銃掃射で、面白半分に皆殺しにしたそうである。
玉が当たって、お腹に穴が開き、腸が外に飛び出して来たのを手で塞いで必死に走って逃げようとして絶命した子供達がいっぱい居たそうだ。
あまりの惨劇に、父は戦闘機を鷲掴みにして落としてやりたいと思ったそうだが、日本軍が打ち返せば基地の位置が敵にばれるので、どんなに非戦闘員が虐殺されようとも、撃ち落とす事は禁止されたそうだ。
ところが或る日、そのグラマンが一機落ちて来て、落下傘でパイロットが降りて来た所、先日子供達を虐殺された親達が皆、農耕道具、鍬や鋤等を手に持って、まずは着ている服ははぎ取って、
(衣服や革靴等は貴重品で勿体無いから)素っ裸にして
全員で殴り殺して、まあ、人体だったとは思えないくらいに、ぺっちゃんこに成っていたそうだ。
それを見た父は 『恨み骨髄』 を目で見た!!正にこう言う事か!
と言葉の意味が身に沁みて分かったそうである。
さて、本当はこれは一応『犯罪』なので、父は上官に何が有ったのかを報告しなければならなかったのだそうだが、そんな事をするとこの、子供を虐殺された親達が可哀相なので
『何も有りませんでした!』と報告したそうだ。
戦争は『勝てば官軍』で、勝ったらどんなに非道な事さえ正当化出来るし、負けたら全てが悪い事に成ってしまうので、戦争を始めたら、絶対に勝たなければ成らない。
『南京大虐殺』の数は分からないが、実際に虐殺は有ったそうだ。
父は、南京から帰って来た兵隊が、こっそり隠して持ち帰った『写真』を見せられて呆気に取られたと言う。
中国人女性を逆さまに吊り下げて、局部にはロウソクを突っ込んで有ったそうだ。
しかし、中国人の捕虜に成った日本兵には、耳から耳へ針金を通されて、焼いた鉄板の上をゴロゴロと転がされたそうで、中国人の残虐性だってとても肯定出来る様なものではない。
人間の鉄板焼きをするなんて、良くもこれだけ酷い事を思いつき、しかも実行するものだ!
つまり、戦争って言う状態は、敵も味方も完全に『集団ヒステリー』に陥って、常軌を逸する状態に成ってしまうのだから、絶対にやってはいけない。
それに、日本人は戦犯として死刑にされたが、列強(白人)は、その遥か昔からアジアやアフリカを武力で奴隷化してきたのに、誰も死刑にされてはいない。
東京裁判が正当だったとは決して言えないし、勿論、日本の戦争も肯定出来ない。
2010 08/12 16:03
Category : 日記
今日は25度で、夕べからの雨も今は上がったので、涼しい。
それでも、湿度は85%も有るので、プリザーブドフラワーにカビが生えてしまう。(~_~;;
昨日、除湿機を注文したのが、早く来ないかな~‼
って、一日千秋の思いだわ!
それでも、湿度は85%も有るので、プリザーブドフラワーにカビが生えてしまう。(~_~;;
昨日、除湿機を注文したのが、早く来ないかな~‼
って、一日千秋の思いだわ!
2010 08/09 12:44
Category : PC
夕べ、" i pod touch " を立ち上げてみたら、無線LANが繋がらない!!
『サーバーが応答を停止しています。』
と言うメッセージが表示された。
若しかして、プロバイダーが変なのかと思って、PCを立ち上げて
有線で繋いだら何でも無かった!!
それでPCのネットワーク診断してみたら、『無線LAN』の調子がおかしいらしい。
それでももう一度PCの電波ジャック機能で、無線LANを試してみたら、今度は繋がった♪
それから " i pod touch " をもう一度試してみたら、今度は繋がった!!
無線LANのストライキだったのかな??
『サーバーが応答を停止しています。』
と言うメッセージが表示された。
若しかして、プロバイダーが変なのかと思って、PCを立ち上げて
有線で繋いだら何でも無かった!!
それでPCのネットワーク診断してみたら、『無線LAN』の調子がおかしいらしい。
それでももう一度PCの電波ジャック機能で、無線LANを試してみたら、今度は繋がった♪
それから " i pod touch " をもう一度試してみたら、今度は繋がった!!
無線LANのストライキだったのかな??
2010 08/02 21:35
Category : music
先週から始めた方は、二度目は更に
理解が深まり、今日は高いラまで出せて
又、びっくりして、とても嬉しがって
いました。
他の方で、もう五年も他の先生について
習ってるのに,1オクターブも出せない
人が、いっぺんに、2オクターブも出せ
て、感激して、今まで、お金と時間の無駄
をしていた事に気付いたそうです。
二人共、発声法については、何の説明も
無かった、との事でした。
それは、レッスンとは言えないでしょう‼
適当に歌いたい曲を歌うだけで、どう
すれば上手く歌えるかは、教えては
くれなかったのだそうです。
困ったもんだ…
理解が深まり、今日は高いラまで出せて
又、びっくりして、とても嬉しがって
いました。
他の方で、もう五年も他の先生について
習ってるのに,1オクターブも出せない
人が、いっぺんに、2オクターブも出せ
て、感激して、今まで、お金と時間の無駄
をしていた事に気付いたそうです。
二人共、発声法については、何の説明も
無かった、との事でした。
それは、レッスンとは言えないでしょう‼
適当に歌いたい曲を歌うだけで、どう
すれば上手く歌えるかは、教えては
くれなかったのだそうです。
困ったもんだ…