子どもの空間:/2 生きてるんだ 母を変えた少年の自殺
もみじを2枚、道で拾った。燃えるような葉を母(44)から受け取り、少女(13)は何も言わず手のひらに乗せた。

 「きれいだね。生きているからそう思えるんだよ」。母は校門で車を止め、娘を降ろした。もう授業が始まっている。

 少女は保育園の時、手の跡がつくほど先生にぶたれた。それから心を閉ざし、学校で気持ちをうまく表現できない。

 同じ中学1年のクラスに仲良しの堀本弘士君(12)がいた。自分と13日違いで生まれた同級生。「塾も行ってないのに英語を一番知っとるんじゃ。足も速いし」と少女は母に自慢した。家に遊びに来ると、母に頭を下げ敬語であいさつする。「うちのがいじめられとったら、守ってあげてね」。母は祈るように弘士君に言った。

 だが、いじめのターゲットになっていたのは弘士君の方だった。

 <いつも空から家族を見守っています>

 遺書を残したのは昨年夏。各地で相次ぐいじめ自殺の始まりだった。

 瀬戸内海に浮かぶ人口約8000人の大三島(おおみしま)(愛媛県今治市)。弘士君の死後、学校は「犯人探し」はしないと決めた。それを願い出たのは祖父でもある。「誰がいたぶっとったという話になったら、その子らもわしらも、ここでは暮らしていけん」

 8年前にしまなみ海道で本州と結ばれてから、生活は便利になったが、外の空気が入って来るわけではない。

 弘士君は毎年のお年玉をコツコツためた20万円を持っていた。自殺の数カ月前から週末になると弟とバスに乗った。行き先は広島のデパートの遊園地。弟を好きなだけ遊ばせ、貯金を使い果たし、この世を去った。

 少女の母親は18歳の時、船で島を出た。大阪の養護施設で6年間、子どもらと過ごした。親に泣きつかれて島に戻った後、文通を続けていた教え子が拒食症で亡くなった。「なんで言ってくれなかったんじゃろか」

 でもそのころはまだ、子どもが自ら命を削ることなど、遠い都会での出来事のように思えた。

 弘士君の死は、母のまなざしを変えた。娘が言葉をうまく出せないことをずっと悩んできたが、今では「何にこだわってきたのか」と思う。今日も明日も我が子を抱きしめられるというのに。

 弘士君の母が家に来ると、少女は隠れる。「私を見たら弘士君を思い出して、また悲しくなっちゃうんじゃないかと思って」。今も少女は弘士君の夢を見る。いつものように笑っている。

 「自殺のことはもう忘れたい」と島民は口々に言う。少年が最後の場所に選んだ通学路の電柱は100日の法要を終えた後、周辺住民の要望で撤去された。

 「私が島で一番好きな風景が広がる高台に連れてってあげるけん」。少女の母はそう言って私を車に乗せた。

 白い橋で結ばれた隣の島がすぐ近くに見える。眼下の畑でみかんが冬の日を浴びている。「きれいでしょ? こんなちっぽけなところに生きているんだと思うけど」【鈴木梢】=つづく

 ◇05年中に608人 35人が遺書残し

 警察庁の統計によると、05年中に自殺した少年は608人。前年より19人多い。このうち学校に関することで悩み、遺書を残したのは35人。ほとんどは遺書を残さず命を絶っている。日本いのちの電話連盟によると、同年に相談の電話をかけた未成年者は1716人にのぼる。誰にも打ち明けられずに悩みを抱え込んでいる子どもたちは多い。

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毎日新聞 2007年1月3日 東京朝刊