人生の岐路
誰にでも「人生の岐路」というものがあるだろう。正直、「あの時、ああしていれば…今とは違った人生が…」と思った事がある。

私の場合、それは高校3年の冬休みだった。
東京の某有名私立音大の声楽科を目指していた。ピアノや楽典(音楽に関する勉強)はまるっきり自信がなかったが、歌が重視されていたので、大丈夫だろう、と思っていた。
その大学は冬季に受験生向けに講習があり、それを受けていれば有利、とも言われていた。
同じ高校出身でこの大学の声楽科に通っていた女の先輩のアパートに居候して、一週間講習を受けた。
すでに2年の時に一度この講習を受けており、気持ち的にも余裕があった。レッスンを受けた感触も、決して悪いものではなかった。
今回も、運良く第2希望の教授に付き、一度目のレッスンも無事に終わった。3人1組で、一週間で2回あるのだ。

ある日、午後から暇ができたので、1人で電車を乗り継いで遊びに行こうと、山手線に乗り原宿を目指していた。
特にラッシュの時間ではなかったが、やはり大分で生まれ育った私には、人混みが辛かった。
段々気分が悪くなってきて、立っているのも辛くなった。しかし、座るところはない。
さぁ、もう次で降りる、というとき。
目の前が真っ白になり、座り込んだ所に、電車のブレーキ。
その途端…吐きました…適度(?)に混んだ山手線の電車の中で。

幸い、人にかかってはいなかったものの、床にベチャッと…
私は「アッ、しまった」と思ったものの、どうすることもできず、這うようにしてホームに降りてしまったのだ。
……そして、私の吐いた物を乗せたまま、電車は走り去った…
あの時車中にいた方、本当に申し訳ございませんでしたッ!!!

ホームの階段あたりでうずくまっていた私を、多分一部始終見ていたであろう男性が、駅員さんのいる所まで連れて行ってくれた。
もう目は回るわ、気持ち悪いわ、半ば気を失っていた。先輩の連絡先を言い、迎えに来てもらい、やっとのことでアパートに。熱を測ると39度近くあった。
次の日、先輩の親戚のおばさんに、病院に連れていってもらった。「流感(インフルエンザ)です。」
…情けなかった。自己管理も実力のうちだ、とか自分を責めながら、熱が下がるのを待って大分に帰った。
そして、「私は都会では生きていけない、喘息もあるし…お金もないし…」と無理矢理自分を納得させた形で、東京の大学を受ける事を諦め、地元の短大に進んだ。

今思えば、どこかに甘えもあったのだろう、と思う。本当に、本気で行きたければ、そんな事くらいで諦めてはいけなかった。這いつくばってでも行くべきだった。
親元から離れる事の恐さ、面倒くささ。
のほほん、と過ごす事を選んだのだ。

もし、あの時あんなトラブルがなければ…まぁ受かっていればの話だが、今頃違った人生もあったかもしれない。
外国で暮していたかもしれない(希望的観測)。フィレンツェあたりで歌っていたかもしれない。ちなみに、私の先輩(男)はこの大学を卒業し、実際フィレンツェの歌劇場で歌っている。

旦那にも会えなかったし、この子供達にも会えなかった。
そして、今ここでしょーもない日記も書いてはいない。
10年前、あの電車に乗らなければ、私のゲロ(失礼)を踏まないですんだ人もいただろう。

どちらが幸せだったのか、今となってはわからない。他にも人生の岐路は何度かあった。1歩の違いで死にかけた事もあった。

今こうして生きて、こういう生活をしている、そのことが幾つもの偶然からのことであり、奇跡である。

パソコンに向かいながら、今足をポリポリかいているのも、さっき網戸を開けっ放しにしなければ蚊が入らず、刺されずにすんだのだ。

後悔はしていない。
でも、「あの時別の道に進んだ」自分を、こっそり見てみたいものだ。

そのうち、そんな機械ができるかもしれない。
誰か発明してほしいなぁ。シミュレーションでもいいから。
でも、やめといたほうがいいかな…?
むっちゃ後悔したりして……。