2004 03/24 10:08
Category : 日記
先日、私が書いたコラムに対して、一人の母様からお便りを頂きありがとうございま
した。そのお便りを読んで、コラムの中で私の言葉が足りなかったと感じ、改めてコ
ラムで取り上げる事にした。
娘のいじめの発端は、保育園時代の転入だった。人見知りをしない娘の態度が、「転
入生のくせに生意気だ」と一部の子の勘に障ってしまったのだ。その後、保育園⇒学
童保育と続く閉鎖的な環境の中で、娘はいじめにあい続けた。学童でのいじめは徐々
に学校のクラスの中にも広がった。私は、学校の先生と学童保育の指導員の方に相談
をしたが、どちらにも「娘が元気に学校に通って来ているので深刻ないじめにあって
いるとは思えない」という回答しかもらえず、何も解決しなかった。
しかし、確かにいじめはあった。それを教えてくれたのが、今不登校になっている子
のお母さんだった。私が相談したことで、それとなく娘さんに聞いてくれたのだ。学
年が上がっても一向に止まないいじめに、娘に向って私は「そんなに辛いなら学校へ
行かなくてもいいよ」と言った事もあった。負けず嫌いな性格の娘は、いじめから逃
げ出したくなかったのか、学校へ通い続けた。
次第にいじめっこ達は休日にも娘を誘い出していじめるようになった。再度学校側に
相談しても、「気にしすぎだ」とか、「娘さんは元気に通っていて問題はない」とい
う回答ばかり。仕方なく私は、学校やいじめてくる子の親に掛け合うのを止め、別な
道を模索する事にした。学校は休みたくないという娘に、「それならいじめに負けな
いように強くならなきゃだめだよ」と話し、休日に親子で一緒に参加できる習い事を
始める事で、学校とは全く違う人間関係の中に身を置くようにしたのだ。
しかしこれは、元々人見知りをせず負けず嫌いな性格を持った娘だから取り得た方法
で、いじめに対処する方法としては、イレギュラーケースだと思う。「もっと学校に
掛け合うべきだと」という声もあり私にも不安があった。そこで、前述のお母さんに
再度相談すると「娘さんにあってるとあなたが思ったんだから、やってみる価値はあ
ると思うよ」とそのお母さんが私の背中を押してくれたのだ。
>「娘さんは、強くなってくれて今も頑張って登校しているのだから、偉いよね。
>貴方の選択が正しかったのよ」と言った。
その言葉は、その時のことを受けて出た言葉だ。彼女は彼女で、娘さんにあった方法
を見つけたいと思っているのだ。
>これもすべての「いじめ」が原因の不登校の子供にあてはまるかどうか疑問です。
いじめが原因で不登校になってしまったのだとしても、子どもがそれぞれの胸に抱え
ているものは一人一人全く別の物だと私は思う。我家の娘の事は、単なる一つのケー
スにすぎない。つまり、不登校の子すべてに一つのケースを当てはめて考える事の方
が、無理があるのではないだろうか?
>不登校はダメな事でしょうか?
>必死で自分を守る手段として不登校になる子も居るのではないでしょうか?
子ども達の一番近くにいて一番の理解者であるはずの親が「ダメなことでしょう
か?」言うことは、不登校はダメなことだと認めてしまっていることにならないだろ
うか?私自身前述の通り、不登校がダメな事だとは全く思っていない。現に、私がコ
ラムで取り上げた子も、自分の中にある恐怖心から身を守るために不登校になったの
だと思う。それでも娘は、毎日のようにいじめてくる実在の人物達と戦い、彼女は見
えない敵と戦い続けているのだと思う。「不登校にさせるなんて親が甘やかしすぎて
るんだ」と言う人がいるのも事実だが、世間でなんと言うかではなく、不登校という
形で子ども達が戦っている事に対して、もっと親が自信を持って受入れ、理解を示す
べきだと思う。そのことが、やがて世間の理解を生むことにも繋がると思う。娘も、
いつ学校に行けなくなるかは分からない。その時は、私は胸を張って娘を受入れてや
りたいと思う。私は、不登校の子に対しての理解をもっと社会に広く得たいと思い、
あのコラムを書いた。
最後に。娘が不登校の彼女に手紙を書こうと思ったのは、いじめにあって孤独だった
自分の事を、「理解してくれた親友の存在」が救ってくれただからだという。自分が
その不登校の子に対して同じ立場になれるかどうかは分からないが、少しでも力にな
りたいという気持ちからだ。不登校になった彼女からまだ返事は来ていない。しかし
娘は、いつか彼女からの返事が来ることを信じて、手紙を書き続けている。
した。そのお便りを読んで、コラムの中で私の言葉が足りなかったと感じ、改めてコ
ラムで取り上げる事にした。
娘のいじめの発端は、保育園時代の転入だった。人見知りをしない娘の態度が、「転
入生のくせに生意気だ」と一部の子の勘に障ってしまったのだ。その後、保育園⇒学
童保育と続く閉鎖的な環境の中で、娘はいじめにあい続けた。学童でのいじめは徐々
に学校のクラスの中にも広がった。私は、学校の先生と学童保育の指導員の方に相談
をしたが、どちらにも「娘が元気に学校に通って来ているので深刻ないじめにあって
いるとは思えない」という回答しかもらえず、何も解決しなかった。
しかし、確かにいじめはあった。それを教えてくれたのが、今不登校になっている子
のお母さんだった。私が相談したことで、それとなく娘さんに聞いてくれたのだ。学
年が上がっても一向に止まないいじめに、娘に向って私は「そんなに辛いなら学校へ
行かなくてもいいよ」と言った事もあった。負けず嫌いな性格の娘は、いじめから逃
げ出したくなかったのか、学校へ通い続けた。
次第にいじめっこ達は休日にも娘を誘い出していじめるようになった。再度学校側に
相談しても、「気にしすぎだ」とか、「娘さんは元気に通っていて問題はない」とい
う回答ばかり。仕方なく私は、学校やいじめてくる子の親に掛け合うのを止め、別な
道を模索する事にした。学校は休みたくないという娘に、「それならいじめに負けな
いように強くならなきゃだめだよ」と話し、休日に親子で一緒に参加できる習い事を
始める事で、学校とは全く違う人間関係の中に身を置くようにしたのだ。
しかしこれは、元々人見知りをせず負けず嫌いな性格を持った娘だから取り得た方法
で、いじめに対処する方法としては、イレギュラーケースだと思う。「もっと学校に
掛け合うべきだと」という声もあり私にも不安があった。そこで、前述のお母さんに
再度相談すると「娘さんにあってるとあなたが思ったんだから、やってみる価値はあ
ると思うよ」とそのお母さんが私の背中を押してくれたのだ。
>「娘さんは、強くなってくれて今も頑張って登校しているのだから、偉いよね。
>貴方の選択が正しかったのよ」と言った。
その言葉は、その時のことを受けて出た言葉だ。彼女は彼女で、娘さんにあった方法
を見つけたいと思っているのだ。
>これもすべての「いじめ」が原因の不登校の子供にあてはまるかどうか疑問です。
いじめが原因で不登校になってしまったのだとしても、子どもがそれぞれの胸に抱え
ているものは一人一人全く別の物だと私は思う。我家の娘の事は、単なる一つのケー
スにすぎない。つまり、不登校の子すべてに一つのケースを当てはめて考える事の方
が、無理があるのではないだろうか?
>不登校はダメな事でしょうか?
>必死で自分を守る手段として不登校になる子も居るのではないでしょうか?
子ども達の一番近くにいて一番の理解者であるはずの親が「ダメなことでしょう
か?」言うことは、不登校はダメなことだと認めてしまっていることにならないだろ
うか?私自身前述の通り、不登校がダメな事だとは全く思っていない。現に、私がコ
ラムで取り上げた子も、自分の中にある恐怖心から身を守るために不登校になったの
だと思う。それでも娘は、毎日のようにいじめてくる実在の人物達と戦い、彼女は見
えない敵と戦い続けているのだと思う。「不登校にさせるなんて親が甘やかしすぎて
るんだ」と言う人がいるのも事実だが、世間でなんと言うかではなく、不登校という
形で子ども達が戦っている事に対して、もっと親が自信を持って受入れ、理解を示す
べきだと思う。そのことが、やがて世間の理解を生むことにも繋がると思う。娘も、
いつ学校に行けなくなるかは分からない。その時は、私は胸を張って娘を受入れてや
りたいと思う。私は、不登校の子に対しての理解をもっと社会に広く得たいと思い、
あのコラムを書いた。
最後に。娘が不登校の彼女に手紙を書こうと思ったのは、いじめにあって孤独だった
自分の事を、「理解してくれた親友の存在」が救ってくれただからだという。自分が
その不登校の子に対して同じ立場になれるかどうかは分からないが、少しでも力にな
りたいという気持ちからだ。不登校になった彼女からまだ返事は来ていない。しかし
娘は、いつか彼女からの返事が来ることを信じて、手紙を書き続けている。