2003年11月の記事
2003 11/25 14:49
Category : 日記
私は今、年甲斐もなく、子どもと一緒になってあるアニメに嵌っている。
そのアニメは「NARUTO」である。ご存知無い方もいらっしゃると思うので説明
すると。これは、今も週間ジャンプで連載が続いている少年マンガをアニメ化したも
のである。架空の国の忍者の里に生まれたナルト少年は、いろいろ困難を乗り越えて
一人前の忍者になって行くというストーリーだ。
ナルトは、身寄りがいない。しかも、昔その国で大暴れした九尾のキツネの魂を、産
まれたばかりの赤ん坊だった頃に、体の中に封印されてしまい、計り知れない力を体
内に宿したまま成長していく、そのため事情を知っている大人達からは、忌み嫌われ
て育つ事になる。ナルト自体はその事を知らず、孤独な幼児期を過ごしてしまう。し
かし、その忍者学校で優しく接してくれる恩師や仲間に出会い、少しづつ成長してい
きながら、忍者としてもそして人間としても強くなっていく。
なぜこんなにも、このマンガに嵌ってしまったのだろう?と自分なりに考えてると。
ストーリー展開やキャラクターの設定がしっかりしているので面白い事に加え、その
アニメーションに使われている音楽も魅力的だと気がついた。架空の国ではあるが、
忍者の話しという事からか、三味線や尺八、和太鼓などをロック調にアレンジしたも
のが使われている。そのせいか、バックに流れている音楽にも重厚感や渋さがあり、
場面の臨場感などが際立って感じられる気がする。
そしてなにより、そのナルトというキャラクターにとても魅力を感じるのだ。
忍者学校には、元々生まれながらに素質を持ったものや、名門の家系産まれその技を
持っている者などが沢山いる。そんな中で、器用でもなく、なにも持たないナルト
は、忍者になるための学校では落ちこぼれていた。それでも、自分の力だけで戦って
いくのだ。自分を信じ、自分の中に培ってきた力を信じながら。私は、そんなナルト
に今の子ども達にはなかなか見る事のできない、辛抱強さや底力を感じる。
少し前までは、日本人が一番得意としていたのが、この辛抱強さや底力であったはず
である。だからこそ、あの戦後の焼け野原の中から瞬く間に復興をとげ、こんな小さ
な国でありながら、経済大国と呼ばれるようになったのだろう。まあ、経済大国にな
った事に関しては、そのやり方や、その他の摩擦などを考えると、いい事であるとは
言い切れるものではない。しかし、その根底には、計り知れないパワーを感じざるを
得ない。
我家の子ども達も含めて言える事だが、今の子ども達にそれを要求する事はとても難
しい。一向に出口の見えない不景気の中にありながらも、まだ日本は豊かな国であ
る。その豊かさが、子ども達から、いや大人達からも、底力やそれを身につけるため
のすべを奪い取ってしまったのだろうか?ナルトのように、自分の信じる道へまっし
ぐらに進む事のできる底力を、子ども達につけさせたい。そう願いながら、子ども達
と一緒にナルトを応援している。
そのアニメは「NARUTO」である。ご存知無い方もいらっしゃると思うので説明
すると。これは、今も週間ジャンプで連載が続いている少年マンガをアニメ化したも
のである。架空の国の忍者の里に生まれたナルト少年は、いろいろ困難を乗り越えて
一人前の忍者になって行くというストーリーだ。
ナルトは、身寄りがいない。しかも、昔その国で大暴れした九尾のキツネの魂を、産
まれたばかりの赤ん坊だった頃に、体の中に封印されてしまい、計り知れない力を体
内に宿したまま成長していく、そのため事情を知っている大人達からは、忌み嫌われ
て育つ事になる。ナルト自体はその事を知らず、孤独な幼児期を過ごしてしまう。し
かし、その忍者学校で優しく接してくれる恩師や仲間に出会い、少しづつ成長してい
きながら、忍者としてもそして人間としても強くなっていく。
なぜこんなにも、このマンガに嵌ってしまったのだろう?と自分なりに考えてると。
ストーリー展開やキャラクターの設定がしっかりしているので面白い事に加え、その
アニメーションに使われている音楽も魅力的だと気がついた。架空の国ではあるが、
忍者の話しという事からか、三味線や尺八、和太鼓などをロック調にアレンジしたも
のが使われている。そのせいか、バックに流れている音楽にも重厚感や渋さがあり、
場面の臨場感などが際立って感じられる気がする。
そしてなにより、そのナルトというキャラクターにとても魅力を感じるのだ。
忍者学校には、元々生まれながらに素質を持ったものや、名門の家系産まれその技を
持っている者などが沢山いる。そんな中で、器用でもなく、なにも持たないナルト
は、忍者になるための学校では落ちこぼれていた。それでも、自分の力だけで戦って
いくのだ。自分を信じ、自分の中に培ってきた力を信じながら。私は、そんなナルト
に今の子ども達にはなかなか見る事のできない、辛抱強さや底力を感じる。
少し前までは、日本人が一番得意としていたのが、この辛抱強さや底力であったはず
である。だからこそ、あの戦後の焼け野原の中から瞬く間に復興をとげ、こんな小さ
な国でありながら、経済大国と呼ばれるようになったのだろう。まあ、経済大国にな
った事に関しては、そのやり方や、その他の摩擦などを考えると、いい事であるとは
言い切れるものではない。しかし、その根底には、計り知れないパワーを感じざるを
得ない。
我家の子ども達も含めて言える事だが、今の子ども達にそれを要求する事はとても難
しい。一向に出口の見えない不景気の中にありながらも、まだ日本は豊かな国であ
る。その豊かさが、子ども達から、いや大人達からも、底力やそれを身につけるため
のすべを奪い取ってしまったのだろうか?ナルトのように、自分の信じる道へまっし
ぐらに進む事のできる底力を、子ども達につけさせたい。そう願いながら、子ども達
と一緒にナルトを応援している。
2003 11/25 14:46
Category : 日記
先日、中学1年の娘と話しをしていて驚いた。娘の中学にも不登校の子が3人もいると
言うのだ。中には小学校時代から、私も良く知っている子の名前まであった。
「不登校になってしまった原因はなんなの?」と娘に聞いてみたが、クラスが違う事
もあり、娘も詳細は知らないらしかった。
今年8月、文科省が発表した学校基本調査速報によると、昨年度の「不登校」を理由
とする長期欠席者数(年間30日以上)は13万1211人(前年度比7511人減)と発表され
た。1975年以来27年間増加し続けた不登校者数は、はじめて減少した。全児童数に占
める割合も0・05ポイント減少の1・18%となった。文科省は減少に対し「熱心な取り
組みが数字として現れた」と評価する一方「依然として憂慮すべき状況」と話した。
減少傾向に向っているとは言うものの、依然とて13万人強もの不登校者がいる事を
知って、その数の多さに驚いたのは私だけではないのではないだろう。
娘とその話しをしながら、私はある少年のことを思い出していた。それは、今から約
5年ほど前のことだった。私がインターネットをはじめたばかりの頃で、あるコミュ
ニティサイトに登録していた。そのサイトでは、自分の日記を公開したり、同じ趣味
を持つ人達と一緒にグループを作り、そこで掲示板を使って意見を交換したり、チャ
ットと呼ばれる、インターネットの画面上で複数の人と話しができるシステムで会話
を楽しんだりしていた。
ある日、一人の青年がチャットで私に話しかけて来た。彼は自分のことを、大学生だ
と言っていた。同じ趣味を持っていたせいか、かなり年令差があるにも係わらずそれ
なりに会話ができていた。私が日記に、我家の子ども達との平凡だけどドタバタとし
て日常の育児の様子や、週末に外出した時のことなどを書いていた事もあり、その事
について話すことも良くあった。そんな日が続いていた時、彼が私にメールをくれ
た。実は彼は、大学生ではなく不登校の高校生だったのだ。
それからしばらくし、私と不登校少年のメールのやり取りやチャットでの会話が頻繁
に行なわれるようになった。彼は私に、カミングアウトしたつもりだったらしいのだ
が私があまり驚かなかった事。事情を知ってからも、そのまま普通に接していた事も
あったのか。少しづつ事情を話してくれた。
彼は、高校受験に失敗してしまった。取り敢えず第2志望の学校に通学する事になっ
たのだが、第1志望の学校に落ちたというショックと、入学した学校のレベルの低さ
に勉強をする気が起きなかったらしい。そのうち、楽勝だったはずの成績もガクンと
落ちてしまった。その事をキッカケに、街の人達が皆、自分が第1志望の学校に落ち
た事や、今通っている学校でも成績が悪いことなどを知っているような気がしてき
て、表に出るのが恐くなってしまったらしい。夏休みを境に、彼は学校に行かなくな
り、自室に引きこもる生活を送るようになってしまい、もう半年近く経つという事
だった。
私は彼の話しを、基本的になるべく受け入れて聞くようにしていた。彼は彼なりに、
悩み必死に闘っているのが見えたからだ。彼と話し初めて約半年経った頃の事だっ
た。彼から来たメールに「あなたの日記を読んでいるうちに、僕も表に出て見たくな
りました」と一言書いてあった。そして「話しを聞いてくれてありがとう」と言う言
葉で、そのメールは締めくくられていた。
それから、彼はそのサイトには顔を出さなくなり、私にもメールが届く事は2度と無
かった。彼なりに、自分で表に出るキッカケを見つけたのだろう。彼が胸を張って表
を歩いている事を私は今でも陰ながら願っている。そして、娘の学校や全国にいる不
登校になってしまった子ども達にも、なにかいいキッカケが訪れ、元の生活に戻って
元気に青春時代を送る事ができるように、心のそこから願いたいと思う。
言うのだ。中には小学校時代から、私も良く知っている子の名前まであった。
「不登校になってしまった原因はなんなの?」と娘に聞いてみたが、クラスが違う事
もあり、娘も詳細は知らないらしかった。
今年8月、文科省が発表した学校基本調査速報によると、昨年度の「不登校」を理由
とする長期欠席者数(年間30日以上)は13万1211人(前年度比7511人減)と発表され
た。1975年以来27年間増加し続けた不登校者数は、はじめて減少した。全児童数に占
める割合も0・05ポイント減少の1・18%となった。文科省は減少に対し「熱心な取り
組みが数字として現れた」と評価する一方「依然として憂慮すべき状況」と話した。
減少傾向に向っているとは言うものの、依然とて13万人強もの不登校者がいる事を
知って、その数の多さに驚いたのは私だけではないのではないだろう。
娘とその話しをしながら、私はある少年のことを思い出していた。それは、今から約
5年ほど前のことだった。私がインターネットをはじめたばかりの頃で、あるコミュ
ニティサイトに登録していた。そのサイトでは、自分の日記を公開したり、同じ趣味
を持つ人達と一緒にグループを作り、そこで掲示板を使って意見を交換したり、チャ
ットと呼ばれる、インターネットの画面上で複数の人と話しができるシステムで会話
を楽しんだりしていた。
ある日、一人の青年がチャットで私に話しかけて来た。彼は自分のことを、大学生だ
と言っていた。同じ趣味を持っていたせいか、かなり年令差があるにも係わらずそれ
なりに会話ができていた。私が日記に、我家の子ども達との平凡だけどドタバタとし
て日常の育児の様子や、週末に外出した時のことなどを書いていた事もあり、その事
について話すことも良くあった。そんな日が続いていた時、彼が私にメールをくれ
た。実は彼は、大学生ではなく不登校の高校生だったのだ。
それからしばらくし、私と不登校少年のメールのやり取りやチャットでの会話が頻繁
に行なわれるようになった。彼は私に、カミングアウトしたつもりだったらしいのだ
が私があまり驚かなかった事。事情を知ってからも、そのまま普通に接していた事も
あったのか。少しづつ事情を話してくれた。
彼は、高校受験に失敗してしまった。取り敢えず第2志望の学校に通学する事になっ
たのだが、第1志望の学校に落ちたというショックと、入学した学校のレベルの低さ
に勉強をする気が起きなかったらしい。そのうち、楽勝だったはずの成績もガクンと
落ちてしまった。その事をキッカケに、街の人達が皆、自分が第1志望の学校に落ち
た事や、今通っている学校でも成績が悪いことなどを知っているような気がしてき
て、表に出るのが恐くなってしまったらしい。夏休みを境に、彼は学校に行かなくな
り、自室に引きこもる生活を送るようになってしまい、もう半年近く経つという事
だった。
私は彼の話しを、基本的になるべく受け入れて聞くようにしていた。彼は彼なりに、
悩み必死に闘っているのが見えたからだ。彼と話し初めて約半年経った頃の事だっ
た。彼から来たメールに「あなたの日記を読んでいるうちに、僕も表に出て見たくな
りました」と一言書いてあった。そして「話しを聞いてくれてありがとう」と言う言
葉で、そのメールは締めくくられていた。
それから、彼はそのサイトには顔を出さなくなり、私にもメールが届く事は2度と無
かった。彼なりに、自分で表に出るキッカケを見つけたのだろう。彼が胸を張って表
を歩いている事を私は今でも陰ながら願っている。そして、娘の学校や全国にいる不
登校になってしまった子ども達にも、なにかいいキッカケが訪れ、元の生活に戻って
元気に青春時代を送る事ができるように、心のそこから願いたいと思う。
2003 11/25 14:45
Category : 日記
「秋の日はつるべ落し」とは良く言ったもので、ここのところ日が暮れるのが早くな
った。しかし、中学生の娘は相変わらず部活で帰りが6時を過ぎてしまい、すっかり
暗くなってから帰ってくる。中学生などを狙った通り魔事件などのニュースを良く耳
にすることもあり、親としては心配な日々を送っていた。
すると先日、いつもなら帰宅しているはずの時間を過ぎても、娘が帰って来なかった。
結局娘の帰宅時間は、30分近く遅くなった。理由を聞いてみると、学校の近くで不審
者が確認されたので、部活で残っていた女子生徒は集団で下校するように言われたの
だという。そのため、皆で順番にまわって一人づつ送りながら帰って来たらしい。我
家は学区の中でも一番遠いところに位置しているので、娘の順番は最後になってしまっ
たらしい。
そんな事が数日続いたのだが、娘の帰宅時間は遅くなるばかり。最初は、各方面毎に
集団で帰るように指示されたのだが、最後には校内に残っていた女子生徒全員で集団
で下校するように言われたので、学校を出る時間も回り道の距離も長くなり、帰宅時
間が前日にもまして遅くなってしまったのだという。やはり理由は「学校の近くで不
審者が確認されたため」なのだという。しかし、そのことについて学校側から保護者
へ説明などはなにも無かった。「不審者って?」と娘に聞いても、娘が実際に目撃し
たわけではなく、帰宅しようとしたら先生に止められて指示をされたので、それ以上
の詳しい事情はわからないと言うのだった。
それから数日後のことだった、息子の小学校から保護者宛てに手紙が届いた。
「児童の安全に関するお知らせとお願い」と題されたその手紙には、先週娘の帰宅時
間が遅くなった理由の詳細が書かれていた。どうやら、娘の中学の女子生徒が、校門
のあたりで不審者に声を掛けられたり、後をつけられたという事があったらしい、し
かもその後、その不審者が校門で生徒を待ち伏せするという事があり、警察に連絡を
して身柄を拘束してもらうという事態ことまで起きていたのだという。小学校ではこ
の事態を受け、校門を開放したままにしないなどの安全策を強化したので協力して欲
しいということと、子どもが一人で外出することを避けることや、帰宅時間を早めに
するなどの措置を、家庭でも実施して欲しいというお願いだった。
しかし、なぜこのような事件まがいのことが起きていながら、当事者である中学側か
らはなんの説明も無いのだろうか?もしそのようなことが起きているのなら、安全が
確認されるまでは、部活などでの居残りを禁止するなどの措置が取れなかったのだろ
うか?日が暮れてしまってから生徒だけで集団下校をさせても、最後の子は暗い中一
人で家に帰らなければならなくなる。もし、その最後の一人になった状態の時に事件
が起きてしまったらどう責任を取るつもりなのだろうか?
学校側に説明をして欲しいと申し入れをしたのだが、まだ返事はもらえていない。
わが身は自分で守れと子どもに教えるしかないのだろうか?今回の事だけに限らない
が、学校側の危機管理体制にはかなり問題があると思った。
った。しかし、中学生の娘は相変わらず部活で帰りが6時を過ぎてしまい、すっかり
暗くなってから帰ってくる。中学生などを狙った通り魔事件などのニュースを良く耳
にすることもあり、親としては心配な日々を送っていた。
すると先日、いつもなら帰宅しているはずの時間を過ぎても、娘が帰って来なかった。
結局娘の帰宅時間は、30分近く遅くなった。理由を聞いてみると、学校の近くで不審
者が確認されたので、部活で残っていた女子生徒は集団で下校するように言われたの
だという。そのため、皆で順番にまわって一人づつ送りながら帰って来たらしい。我
家は学区の中でも一番遠いところに位置しているので、娘の順番は最後になってしまっ
たらしい。
そんな事が数日続いたのだが、娘の帰宅時間は遅くなるばかり。最初は、各方面毎に
集団で帰るように指示されたのだが、最後には校内に残っていた女子生徒全員で集団
で下校するように言われたので、学校を出る時間も回り道の距離も長くなり、帰宅時
間が前日にもまして遅くなってしまったのだという。やはり理由は「学校の近くで不
審者が確認されたため」なのだという。しかし、そのことについて学校側から保護者
へ説明などはなにも無かった。「不審者って?」と娘に聞いても、娘が実際に目撃し
たわけではなく、帰宅しようとしたら先生に止められて指示をされたので、それ以上
の詳しい事情はわからないと言うのだった。
それから数日後のことだった、息子の小学校から保護者宛てに手紙が届いた。
「児童の安全に関するお知らせとお願い」と題されたその手紙には、先週娘の帰宅時
間が遅くなった理由の詳細が書かれていた。どうやら、娘の中学の女子生徒が、校門
のあたりで不審者に声を掛けられたり、後をつけられたという事があったらしい、し
かもその後、その不審者が校門で生徒を待ち伏せするという事があり、警察に連絡を
して身柄を拘束してもらうという事態ことまで起きていたのだという。小学校ではこ
の事態を受け、校門を開放したままにしないなどの安全策を強化したので協力して欲
しいということと、子どもが一人で外出することを避けることや、帰宅時間を早めに
するなどの措置を、家庭でも実施して欲しいというお願いだった。
しかし、なぜこのような事件まがいのことが起きていながら、当事者である中学側か
らはなんの説明も無いのだろうか?もしそのようなことが起きているのなら、安全が
確認されるまでは、部活などでの居残りを禁止するなどの措置が取れなかったのだろ
うか?日が暮れてしまってから生徒だけで集団下校をさせても、最後の子は暗い中一
人で家に帰らなければならなくなる。もし、その最後の一人になった状態の時に事件
が起きてしまったらどう責任を取るつもりなのだろうか?
学校側に説明をして欲しいと申し入れをしたのだが、まだ返事はもらえていない。
わが身は自分で守れと子どもに教えるしかないのだろうか?今回の事だけに限らない
が、学校側の危機管理体制にはかなり問題があると思った。
2003 11/17 11:47
Category : 日記
今、オレンジレンジの♪ビバ★ロック♪にはまっている。
毎日いろいろ、忙しかったり、上手くいかなかったり、落ち込むことも多いけど。
でも、アレを聴いてると元気が出てくるんだ!
♪世界中、ホラ!笑って、ほら!空見上げて、ほら!さ、立ちあがって、ほら!oh、yea−、yea−!!♪
よし、今日もがんばろっと!
毎日いろいろ、忙しかったり、上手くいかなかったり、落ち込むことも多いけど。
でも、アレを聴いてると元気が出てくるんだ!
♪世界中、ホラ!笑って、ほら!空見上げて、ほら!さ、立ちあがって、ほら!oh、yea−、yea−!!♪
よし、今日もがんばろっと!
2003 11/08 22:22
Category : 日記
明日(11/9)は、新東京サーキットで行なわれる、東日本ジュニアの最終戦に行ってきます。
娘がスーパージュニアクラスにエントリします。
本当は今日も練習の予定だったのですが、
主人の腰の調子がイマイチだったのと
娘の学校で今日創立50周年の式典があり、
練習に行くことができませんでした。
それでも娘は、今自分が持てる力のすべてを
出して、頑張って走りたいと言っているので、
自己ベストを目標に頑張って来たいと思います。
娘がスーパージュニアクラスにエントリします。
本当は今日も練習の予定だったのですが、
主人の腰の調子がイマイチだったのと
娘の学校で今日創立50周年の式典があり、
練習に行くことができませんでした。
それでも娘は、今自分が持てる力のすべてを
出して、頑張って走りたいと言っているので、
自己ベストを目標に頑張って来たいと思います。
2003 11/04 01:10
Category : 日記
昨日は、新東京サーキットに練習に行ってきた。
もうすぐ東日本ジュニアの最終戦を控えた新東京は、かなりの数のジュニアカーターが来ていた。
新東京では、12歳以下は初心者やレンタルカートと一緒の時間だけしか走ることができず、お昼休みの一時間半と、2時半からの30分しか走ることができない。そこで、一般走行の時間に娘を走らせ、ジュニア初心者時間に息子を走らせることにした。
すると、いつもはお昼の一時間半だけしか練習をしたがらない息子が、2時半からの練習も走りたいと言い出した。
しかし、ここのところパパの体調があまり良くないので、レースに出る予定の無い息子はお昼の時間だけの練習で我慢して欲しいとパパに言われ、取りあえずお昼の時間だけ練習することにした。
娘の方は、ふだん使っているものとは、全く違うタイヤとエンジンでのレースなので、前回の練習では、タイヤの空気圧や、キャブの調整が上手く行かず、なかなか思うように走れなかった。
今回、ようやくめぼしがついたせいか、少しずつタイムを上げて来た。しかし、周りの子達は、その辺の調整はもうとっくに終わっている。しかも今回のレースは最終戦なので、みんなかなり気合も入っていて、トップの子のタイムは、娘より一秒も早いのだ。
娘は、言い様のない焦りを感じながら走っているのが良く分かる。「始めて使ったタイヤとエンジンなんだしさ、やっと調整がついたんだからさ、焦らないでやろうよ」と声を掛けると。
「そんなにのんびりしてちゃダメだよ。レース目の前なんだよ?間に合わないよ」と涙目で私に食ってかかってくる始末だった。
そんな中、息子は相変わらず、かなりの台数のレンタルとコマー(10歳くらいまでの子が乗る小さなカート)に囲まれて、悪戦苦闘しながら走っていた。
息子も、ようやく大人用のカートに慣れてきて、少し手応えを感じ始めてきたらしい。
しかし、普段の数倍の台数がひしめき合う中を縫うようにして走っていて、なかなか自分のラインで走ることができない。
結局、前回の練習で出したタイムには一歩及ばず、本人は不本意なまま練習が終わってしまった。
午後、娘は少しづつタイムは更新するのだが、まだ0.3秒ほど目標とするタイムに届かない。
決してトップを狙っているわけではないのだが、自分で出したいと思うタイムが出ない自分に、苛立ちながら焦りながらも、ただ黙々と走っていた。
エンジンのクラス別に順番に走っていたので、あと残り2回というところでアクシデントが起こってしまった。
娘のカートを押しがけしようとした夫が、かるいぎっくり腰をやってしまったのだ。取り敢えず、ショップのお兄さん達に頼んで娘は走ることができたが、翌日のジュニア占有走行日の練習は無理になってしまった。
すると、なんとそれを一番残念がったのは、息子だった。
普段は練習が大嫌いな息子なのだが、ジュニア占有走行日は、朝から一日走ることが出きるので、楽しみにしていたのだと言う。
しかし、さすがの息子も薬を飲んで痛みをこらえながらやっと片づけをしているパパに向って「明日も走りに来たい」とは言えなかったのだ。
帰宅途中の車の中でいきなり「明日オレショップのお兄さんの手伝いをしにサーキットに行く」と言い出した。
少し前の事だが、同い年のチームメイトが一人だけでショップのお兄さんに同行して、大人の人達のレースの手伝いをしたことがあったので、自分もやれると言い出したのだ。
しかし、明日はジュニア占有日。メカなどはそれぞれのお宅のお父さんが担当するので、ショップの手伝いは殆ど必要ない。行っても邪魔になるだけだから、と何度も息子を説得したのだが、「お願いだから」と息子はひたすら頼みこんでくるばかりだった。
ショップのお兄さんの許可をもらい、一緒に夕飯を食べたチームメイトが明日の朝うちによって連れて行ってくれるという事で、息子の願いは聞き入れられた。
そして今朝、息子はきちんと自分で目を覚まし、お手伝いをする為の軍手なども自分で用意し、準備万端で出掛けて行った。
案の定、今日は殆ど手伝うような事も無く、息子はかなり暇な一日を送ったようだった。
息子のことをピックアップしてくれたチームメイトのお母さんの話だと、暇でつまらないかな?と思ったけど、自分からそれぞれの子の練習の順番を気にして呼びに行ったり。お父さん達がカートをいじるのを横で覗きこんだりしていたらという。「暇でつまらないんじゃない?」と聞いても「そんな事無いよ」と言って笑うだけだったという。
ただ、皆が走っているのを見ながら「オレも走りたい。走りたい」とずっと言っていたらしい。
息子は、帰宅するなり「今度は走りに行くよね?」と言って来た。そして、覚えたてのカートの部品について話してくれた。
娘が大人のレースに出るようになるまでは、我家はあまりショップの人達と一緒にサーキットに行った事が無かったのだ。だが、この一年余りのは、大人の人に混ざって娘が練習するために、ピットでお客さんのカートのメカニックをするショップのお兄さん達のことを見てきた。彼らは、元全日本の選手だったり、FJという小さなフォーミュラカーでレースをしていた経験を持つ人ばかりなので、みなドライビングテクニックもかなりのものだ。そんなお兄さん達の姿を、息子なりにカッコイイと思うようになり、自分なりにカートや走ることに対して興味や意欲が出てきたらしい。
息子は、「今度はもっとカートのことや工具のことを覚えて、また手伝いをさせてもらいに行くんだ!」と、目をキラキラさせながら私に言った。
11歳の息子が、なんだか少し大人になって帰って来たような、そんな気持ちになる出来事だった。
もうすぐ東日本ジュニアの最終戦を控えた新東京は、かなりの数のジュニアカーターが来ていた。
新東京では、12歳以下は初心者やレンタルカートと一緒の時間だけしか走ることができず、お昼休みの一時間半と、2時半からの30分しか走ることができない。そこで、一般走行の時間に娘を走らせ、ジュニア初心者時間に息子を走らせることにした。
すると、いつもはお昼の一時間半だけしか練習をしたがらない息子が、2時半からの練習も走りたいと言い出した。
しかし、ここのところパパの体調があまり良くないので、レースに出る予定の無い息子はお昼の時間だけの練習で我慢して欲しいとパパに言われ、取りあえずお昼の時間だけ練習することにした。
娘の方は、ふだん使っているものとは、全く違うタイヤとエンジンでのレースなので、前回の練習では、タイヤの空気圧や、キャブの調整が上手く行かず、なかなか思うように走れなかった。
今回、ようやくめぼしがついたせいか、少しずつタイムを上げて来た。しかし、周りの子達は、その辺の調整はもうとっくに終わっている。しかも今回のレースは最終戦なので、みんなかなり気合も入っていて、トップの子のタイムは、娘より一秒も早いのだ。
娘は、言い様のない焦りを感じながら走っているのが良く分かる。「始めて使ったタイヤとエンジンなんだしさ、やっと調整がついたんだからさ、焦らないでやろうよ」と声を掛けると。
「そんなにのんびりしてちゃダメだよ。レース目の前なんだよ?間に合わないよ」と涙目で私に食ってかかってくる始末だった。
そんな中、息子は相変わらず、かなりの台数のレンタルとコマー(10歳くらいまでの子が乗る小さなカート)に囲まれて、悪戦苦闘しながら走っていた。
息子も、ようやく大人用のカートに慣れてきて、少し手応えを感じ始めてきたらしい。
しかし、普段の数倍の台数がひしめき合う中を縫うようにして走っていて、なかなか自分のラインで走ることができない。
結局、前回の練習で出したタイムには一歩及ばず、本人は不本意なまま練習が終わってしまった。
午後、娘は少しづつタイムは更新するのだが、まだ0.3秒ほど目標とするタイムに届かない。
決してトップを狙っているわけではないのだが、自分で出したいと思うタイムが出ない自分に、苛立ちながら焦りながらも、ただ黙々と走っていた。
エンジンのクラス別に順番に走っていたので、あと残り2回というところでアクシデントが起こってしまった。
娘のカートを押しがけしようとした夫が、かるいぎっくり腰をやってしまったのだ。取り敢えず、ショップのお兄さん達に頼んで娘は走ることができたが、翌日のジュニア占有走行日の練習は無理になってしまった。
すると、なんとそれを一番残念がったのは、息子だった。
普段は練習が大嫌いな息子なのだが、ジュニア占有走行日は、朝から一日走ることが出きるので、楽しみにしていたのだと言う。
しかし、さすがの息子も薬を飲んで痛みをこらえながらやっと片づけをしているパパに向って「明日も走りに来たい」とは言えなかったのだ。
帰宅途中の車の中でいきなり「明日オレショップのお兄さんの手伝いをしにサーキットに行く」と言い出した。
少し前の事だが、同い年のチームメイトが一人だけでショップのお兄さんに同行して、大人の人達のレースの手伝いをしたことがあったので、自分もやれると言い出したのだ。
しかし、明日はジュニア占有日。メカなどはそれぞれのお宅のお父さんが担当するので、ショップの手伝いは殆ど必要ない。行っても邪魔になるだけだから、と何度も息子を説得したのだが、「お願いだから」と息子はひたすら頼みこんでくるばかりだった。
ショップのお兄さんの許可をもらい、一緒に夕飯を食べたチームメイトが明日の朝うちによって連れて行ってくれるという事で、息子の願いは聞き入れられた。
そして今朝、息子はきちんと自分で目を覚まし、お手伝いをする為の軍手なども自分で用意し、準備万端で出掛けて行った。
案の定、今日は殆ど手伝うような事も無く、息子はかなり暇な一日を送ったようだった。
息子のことをピックアップしてくれたチームメイトのお母さんの話だと、暇でつまらないかな?と思ったけど、自分からそれぞれの子の練習の順番を気にして呼びに行ったり。お父さん達がカートをいじるのを横で覗きこんだりしていたらという。「暇でつまらないんじゃない?」と聞いても「そんな事無いよ」と言って笑うだけだったという。
ただ、皆が走っているのを見ながら「オレも走りたい。走りたい」とずっと言っていたらしい。
息子は、帰宅するなり「今度は走りに行くよね?」と言って来た。そして、覚えたてのカートの部品について話してくれた。
娘が大人のレースに出るようになるまでは、我家はあまりショップの人達と一緒にサーキットに行った事が無かったのだ。だが、この一年余りのは、大人の人に混ざって娘が練習するために、ピットでお客さんのカートのメカニックをするショップのお兄さん達のことを見てきた。彼らは、元全日本の選手だったり、FJという小さなフォーミュラカーでレースをしていた経験を持つ人ばかりなので、みなドライビングテクニックもかなりのものだ。そんなお兄さん達の姿を、息子なりにカッコイイと思うようになり、自分なりにカートや走ることに対して興味や意欲が出てきたらしい。
息子は、「今度はもっとカートのことや工具のことを覚えて、また手伝いをさせてもらいに行くんだ!」と、目をキラキラさせながら私に言った。
11歳の息子が、なんだか少し大人になって帰って来たような、そんな気持ちになる出来事だった。