幸せとは?文学の章より
NHK100分de名著「幸せ」について考えよう の文学の章のアウトラインのスケッチをしてみましょう(*´▽`*)

井原西鶴の『好色一代男』と『好色一代女』を選び、語りの種にしています。
基本的に小説というのは、一人の男または女の一生を描くもの。
しかし、幸福の秘術を得ることは難しい。
小説には、生き方のマニュアルはなくとも、具体的な人生のモデルがある。

物語が書かれるには四つの理由があると著者は考えています。
英雄になりたい。
復讐したい。
モテたい。
現実からの逃避

西鶴の著作が これに当てはまる。
「幸せ」と聞いたときに誰しもが思い浮かべるのが「金持ちになりたい」という欲求ですが、著作に出てくる世之介の苦行にも似た金の使い方は、私たちに幸福の再定義を迫ります。
彼は たはふれし女、三千七百四十二人、徹底した愚行追求者
一方 『好色一代女』では プライドを通す生き方 心は濁りぬべきや と悟った生き方

先の二つの物語は 江戸時代の封建制の元で、考えられるあらゆる愛の形態を描いています。幸福を最も実感できる営みである恋愛の可能性を徹底的に追求した結果、出来上がった物語は、幸福について回る哀しみや無常や諦念にまで筆が届いています。
二人ともある悟りに到達するのですが、それでも懲りるということがありません。
その執念深さがあれば、最後にはどんな目にあっても、幸福だとは言えないでしょうか?

著者は 結論として 幸せとは、断念ののちの悟りであると。

詳細は、ブログの日記補完帳で触れていきますので、そちらもお読みくださいね。(*´▽`*)