2008年06月の記事


「店先」
<<トルコ>>--イスタンブール--


今まで載せていたお兄さんやその妹さんが店を張る店先の光景。

流石に大昔から、香辛料の交易で成り立ってきた市場を髣髴とさせる店の状況だ。

所狭しと、様々な香辛料や菓子などが並べられている。

中東の国々の料理は香辛料をふんだんに使っている事は、その方面を旅した人なら誰でもご存知だろう。

ましてや嘗てはその交易先が、エジプトであった事から推測すれば、想像に難くない。
嘗てエジプトを旅した時、何処のスーク(市場)でも鼻に付く香辛料が山と積まれていた事を思い出した。

この山と積まれた香辛料などを、毎朝店を開店する前に用意するはさぞ大変な事だろうと、余計な事が気になったものである。
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「イスラムの女性」
<<トルコ>>--イスタンブール--


エジプシャン・バザールの売店のレジをする女性の姿。

今まで載せていたお兄さんの妹さんである。

たとえ売店の女性でも、イスラムの女性を撮るには許可が要る。
彼女は私が買った土産物のカラスミの代金を細かく崩すお釣を都合付けるべく、他の店に電話をしているのだ。

生憎トルコリラの小額紙幣が無く、大きな紙幣を出したら、お釣が無くて他の店に調達してもらったのだ。
イスラム女性独特のこのスカーフは、年を取ると黒一辺倒だが、若い女性はカラフルな物を身に纏う事を好むようである。

彫りの深い彼女にはちょっとシックなこのスカーフがとても良く似合っていた。

私が彼女に撮影許可を求めたら、仕事をしているポーズならOKとの事だったので、電話をしている自然な姿を撮った次第である。
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「記念撮影」
<<トルコ>>--イスタンブール--


エジプシャン・バザールの売店の中での、お兄さんとのツーショット。

この店で私はお土産用のカラスミを買った。

売り子のこのお兄さんは実に気さくで、6ヶ国語を話すことが出来るという。
「有難う」、「こんにちは」をそれぞれ教えてもらったが、その内の幾つかは既に忘れてしまった。

我々の真ん中に後ろから割って入ったのは、彼の父親だと言う。
家族でこの店をずっと代々やって来ているとの事であった。

奥でレジの係りをしているのは、彼の妹だという。
彼女も中々の美人なので、この次は彼女の写真を載せてみようと思う。

日本にはまだ行った事が無いが、日本は大好きなので、何時の日か行って見たいとは、本気なのか商売上のお世辞なのか分からないが、悪い気はしなかった。

こうして異国の庶民と接するのが、私は好きなのである。

それにしても、3000キロを越える長旅の疲れは有るにせよ、70才を間近に控えた年齢は顔に出るものだなと、つくづく写真を見ながら痛感する次第である。
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「エジプシャン・バザール④」
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エジプシャン・バザールのアーケードの中の光景。

アーケードを一歩中に入ると、そこには重厚な歴史を感じさせる光景が広がっていた。

15世紀の中頃に建てられたモスクを改造して市場にしただけあって、天井のアーチなども高く、異国情緒一杯の雰囲気を醸している。

昔は香辛料や海産物を交易した市場だけに、売られている商品も保存の効く食品類が圧倒的に多い。

私は中央に居る売り子のお兄さんとすっかり意気投合し、カラスミをお土産に値切って買った。
しかし此処のバザールはエジプトなどと違い、定価が表示されていて、余り値引きをしないのだ。

元々値段が日本と比べたら破格の値段なので、値引きをしなくても売れるのだろう。

地元の買い物客が多いのも、面倒な値引き交渉で時間を潰す事を好まないからかもしれない。
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「エジプシャン・バザール③」
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アーケード入口の光景。

持ち切れないほどのたくさんの買い物をした地元のおばさん達の姿が目に付いた。
一体ビニール袋の中には何が入っているのだろうか。

観光客のほとんどは、ロシアから来た人々である。
聞き慣れないロシア語で、店に呼び込む商店の売り子達の声が交差している。

此処は地元市民の台所を潤す食材や、様々な商品を売る市場として栄えているが、観光客も結構多い。

アーケードの中に一歩足を踏み入れると、左右に整然と店が並んでおり、様々な商店が店を連ねていて活気を呈している。

一体このアーケードは何処まで続いているのだろうか、入口から見た限りでは出口を見出す事は出来なかった。
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「エジプシャン・バザール②」
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エジプシャン・バザールのアーケード入口付近の光景。

1597年にモスクの一部を市場として開放したこのバザールは、交易品の香辛料などの販売で栄えた。

入口右側のプレートには、1597~1664年まで、香辛料の市場だったと記されている。
エジプシャンバザールと名が付いたのは、このモスクが主にエジプトとの交易品を売っていた事に由来するらしい。

今では市民の台所を潤す食材や、様々な商品を売る市場として栄えているが、観光客でも賑わう魅力的な場所である。

このアーケードの中に一歩足を踏み入れると、左右に整然と店が並んでおり、様々な商店が店を連ねていて活気を呈している。

しかし東南アジアの市場のように、雑然としているのではなく、実に綺麗で歴史を感じさせるアーケードなのである。
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「エジプシャン・バザール」
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夕餉の食材を買うのに、地元の人達で賑わうエジプシャン・バザールの光景。

1660年にモスクの一部を市場として開放したこのバザールは、交易品の香辛料などの販売で栄えた。

エジプシャンバザールと名が付いたのは、このモスクが主にエジプトとの交易品を売っていた事に由来するらしい。

今では市民の台所を潤す食材や、様々な商品を売る市場として栄えているが、観光客でも賑わう魅力的な場所である。

これはバザールの外側の光景だが、アーケードの中に一歩足を踏み入れると、左右に整然と店が並んでおり、様々な商店が店を連ねていて活気を呈している。

しかし東南アジアの市場のように、雑然としているのではなく、実に綺麗で歴史を感じさせるアーケードなのである。
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「モスクとバザール」
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ガラタ橋を渡った旧市街の目の前に有る、イェニ・ジャミィ・モスクとエジプシャン・バザールの夕景。

1567年にメフメット三世の母后が着手し、約100年を経て完成したこのモスクのイェニは「新しい」と言う意味が有るという。

このモスクの直ぐ右に有るエジプシャンバザールは、このモスクの一部を市場として改築し、貿易交渉の場としたのは1660年であり、歴史はかなり古い。

今では市民の台所を潤す食材や様々な商品を売る市場として栄えているが、観光客でも賑わう魅力的なばしょである。

この写真に限らず、市場で買い物をするのは、女性よりむしろ男性の方が多いような気がした。
夕餉の食材を買うのは男性の役目、女性は料理に徹するのであろうか。

私もこの市場で、様々なお土産を値切り交渉の結果、ゲットしたものである。
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