2014 08/15 22:47
Category : 日記
実家の近くには飛行場跡があります。
そこからも特攻に出撃していった人たちがいる。
宿泊施設がないので
その人たちは近隣の民家に下宿のような形で
出撃まで寝泊まりしておられた。
母の実家にも1人。
小学生だった母も毎日勉強をみてもらっていたそうです。
「あの人は特攻出ていったやろな。
もう生きとってないわなぁ」とよく話す。
故障した紫電改が鉄道に突っ込み列車が脱線して
たくさんの死者を出した事故もあった地域。
私が小学校の時、飛行場の周りは広い野原で
普通の民家はなかったけど
野原の中に小さな松林があり
その中にバラック小屋みたいなものが建ってて
友達の家に遊びに行ったら
その家だった。
庭ではニワトリが走り、不思議な場所で、行くと広さに
帰る方向が分からなくなる。
瓦礫こそ無かったけど
焼け野原からの復興する風景ってあんな感じだったのかな。
ふと、今どうなってるか行ってみたくなった。
そこからも特攻に出撃していった人たちがいる。
宿泊施設がないので
その人たちは近隣の民家に下宿のような形で
出撃まで寝泊まりしておられた。
母の実家にも1人。
小学生だった母も毎日勉強をみてもらっていたそうです。
「あの人は特攻出ていったやろな。
もう生きとってないわなぁ」とよく話す。
故障した紫電改が鉄道に突っ込み列車が脱線して
たくさんの死者を出した事故もあった地域。
私が小学校の時、飛行場の周りは広い野原で
普通の民家はなかったけど
野原の中に小さな松林があり
その中にバラック小屋みたいなものが建ってて
友達の家に遊びに行ったら
その家だった。
庭ではニワトリが走り、不思議な場所で、行くと広さに
帰る方向が分からなくなる。
瓦礫こそ無かったけど
焼け野原からの復興する風景ってあんな感じだったのかな。
ふと、今どうなってるか行ってみたくなった。