終戦記念日
実家の近くには飛行場跡があります。

そこからも特攻に出撃していった人たちがいる。

宿泊施設がないので

その人たちは近隣の民家に下宿のような形で

出撃まで寝泊まりしておられた。

母の実家にも1人。

小学生だった母も毎日勉強をみてもらっていたそうです。

「あの人は特攻出ていったやろな。

もう生きとってないわなぁ」とよく話す。

故障した紫電改が鉄道に突っ込み列車が脱線して

たくさんの死者を出した事故もあった地域。


私が小学校の時、飛行場の周りは広い野原で

普通の民家はなかったけど

野原の中に小さな松林があり

その中にバラック小屋みたいなものが建ってて

友達の家に遊びに行ったら

その家だった。

庭ではニワトリが走り、不思議な場所で、行くと広さに

帰る方向が分からなくなる。

瓦礫こそ無かったけど

焼け野原からの復興する風景ってあんな感じだったのかな。

ふと、今どうなってるか行ってみたくなった。

編集 yuma : yamaさん 終戦記念日知らない人多いかも。テレビなどで言ってるから気付くけど何もなかったら私も忘れてそう。でも中国と戦争って・・・・まじめに言ってるなら馬鹿デショ
編集 yuma : えむさん だんだんそういう人が減っていく
編集 yuma : えむさん 空襲のあったところに住んでた人は地獄いっぱい見てるだろな。戦争の怖さ一番知ってる人達
編集 yuma : えむさん 今まで歴史とか見向きもしなかったのに、やたらと慰霊碑や記念碑が作られてる。ここ数年のうちに
編集 yuma : えむさん 大した歴史はないけどね。
編集 yuma : 詩伝さん 病院ってのは色々いわく付きですよね。小学校にも会談話ありました。日章旗や菊の紋ってのはまた怖い^^;防空壕の探検とかもやりましたが私の田舎では野菜の貯蔵してたりであまり怖い感じなかったです。使われてない今の方が怖いです。
編集 yama0008 : 昨夜のニュースで、15日は何の日の質問に100人中55人が分からなかったのはショックでした。どこと戦争したかに、中国と答えた若者が馬鹿に見えたのは私だけでょうか!!
編集 えむ : 地獄絵図だって言ってたのを覚えてるよ
編集 えむ : 身体に火の付いた人が何人も隅田川に飛び込むのを目撃したって
編集 えむ : 私の母方の伯母も三月の東京大空襲にあったらしい
編集 えむ : yumaさん地方、色んな意味で歴史のある所なんだ
編集  詩伝 : うちの中学も滑走路の隣の陸軍病院だった場所で、小学校の本館は連隊司令部だった建物でした。 まぁそういった場所に付き物の怪談話はいろいろとありましたが、裏山を悪ガキどもと掘り返した時に日章旗やら菊の紋やらが描かれた杯が出てきたときには少しビビりました。あそこは防空壕だったとか、あとで聞きました。