2010 03/11 08:17
Category : 日記
*
K-1でお馴染みの角田信朗(正道会館最高師範)の
“角田信朗のオフシャルブログ”を覗いていて
2009年11月18日の"池上遼一先生”に目が留まった。
読んでいて 角田君と始めて出会った頃のことを思い出し
懐かしくなった。
二十年ほど前、
彼は 私の関係していた某空手団体主催の全日本空手道選手権大会に
正道会館の代表として出場してきた。
彼は“浪速の根性ここにあり!”といった熱気ある闘い方で会場全体を興奮の渦で包み込んだ。
惜しくも優勝は逃したものの 準優勝という輝かしい賞に輝いた。
あのときの彼はかなり悔しがっていたが(笑)
見る人の心に強いインパクトと熱い感動を残してくれた。
私は角田信朗という選手に空手家としてだけでなく
彼のヒューマニティーに強い興味を覚え
会場で声をかけさせてもらった。
彼も 私が連載していた週刊誌の漫画を読んでいて
大いに意気投合し語り合い 気がつけば二十数年弱の
長い付き合いになっていた。
私の古い友人に池上遼一という漫画家がいて
角田君は彼の大フアン!ということで
池上遼一に引き合わせることになった。
中央線三鷹駅に集合したものの
佐竹雅昭くん(元k-1選手・正道会館)も同行したこともあって
二人は たちまちフアンの人たちに囲まれて
目と鼻の先にいた私と合流するのに時間がかかってしまった(笑)
空手家としての彼らの人気を改めて認識させられた。
三鷹駅からタクシーで練馬の池上氏の自宅まで・・
想像してみてください 大男二人が乗る車内を(笑)
池上氏と会えたことで 角田くんも佐竹くんも
大いに喜んでくれました^^
*「僕が出場した空手道大会の後援者の一人だった
漫画家の多田拓郎先生が
僕を池上遼一先生に引き合わせて下さった時は
感動したなぁ~」 角田信朗ブログより
後に正道会館主宰の空手オリンピックなどの大会を経て
K-1という格闘技が誕生するわけですが
角田くんに招待されてリングサイドで観戦したものです。
当時のリングサイドの常連には作家の夢枕獏さんや
ミュージシャンの角田ヒロさん内田由紀ちゃんなどがいいました。
私個人はリングサイドで観戦するより 選手の控え室にいて
選手と一緒にモニターで試合を見るのが好きでした
試合に臨む選手の精神状態に興味を覚えたのです。
(人間観察が好きなもので)笑
名古屋や大阪などでK-!の大会があるときはホテルまで用意してくれて
角田君にはほんとうに感謝です。
私の泊まるホテルの階はK-1選手や関係者で埋まっていて
夜、外人選手の部屋に遊びに行ったものです。
最初に出会った外人選手はオランダのピーター・アーツ
彼とは初対面で大阪の南に繰り出し楽しい夜となりました。
(試合後の選手はアルコール摂取はよくないのですが・・)笑
角田くんが紹介してくれたアンディ・フグとは特に親しくなり
焼肉や飲みに出かける仲となりました。
スイスに帰国後 しばらくして白血病の最初の兆候が見られ
日本に戻り診察を受けることになるのですが・・・
その後のことは お分かりいただけることと思います。
アンディが亡くなった後 あれほど好きだった格闘技から心が離れてしまいました。
K-1に中量級の試合が組まれるようになってきて
私の中で再び格闘技熱が戻って来ました。
あ、魔裟斗選手引退ですね とても残念ですが
これまでほんとうにご苦労様 数々の感動をありがとう!
角田君とは長い付き合いなので いろいろと思い出はありますが
気になるのはK-1から去っていった佐竹くん
彼は素敵な人物だった。
彼の見せるポーズで 全く違った印象で捕らえている人も
多いと思うけど
私の彼に対するイメージは“金太郎さん”人に親切で弱者に優しく・・
体にハンディを持っている人に対しては
理解をもって接することのできる心根の優しい男だと思う。
佐竹くんに会いに京都に行きたくなったな。
今日までいろんな格闘家や関係者といい関係を築いてこれたけど
角田くんとの出会いは実に大きかった
ほんとうにありがとう!
また暇を見て 見知らぬ街で飲み明かしたいものだ^^
相変わらず歌 上手いね!
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K-1でお馴染みの角田信朗(正道会館最高師範)の
“角田信朗のオフシャルブログ”を覗いていて
2009年11月18日の"池上遼一先生”に目が留まった。
読んでいて 角田君と始めて出会った頃のことを思い出し
懐かしくなった。
二十年ほど前、
彼は 私の関係していた某空手団体主催の全日本空手道選手権大会に
正道会館の代表として出場してきた。
彼は“浪速の根性ここにあり!”といった熱気ある闘い方で会場全体を興奮の渦で包み込んだ。
惜しくも優勝は逃したものの 準優勝という輝かしい賞に輝いた。
あのときの彼はかなり悔しがっていたが(笑)
見る人の心に強いインパクトと熱い感動を残してくれた。
私は角田信朗という選手に空手家としてだけでなく
彼のヒューマニティーに強い興味を覚え
会場で声をかけさせてもらった。
彼も 私が連載していた週刊誌の漫画を読んでいて
大いに意気投合し語り合い 気がつけば二十数年弱の
長い付き合いになっていた。
私の古い友人に池上遼一という漫画家がいて
角田君は彼の大フアン!ということで
池上遼一に引き合わせることになった。
中央線三鷹駅に集合したものの
佐竹雅昭くん(元k-1選手・正道会館)も同行したこともあって
二人は たちまちフアンの人たちに囲まれて
目と鼻の先にいた私と合流するのに時間がかかってしまった(笑)
空手家としての彼らの人気を改めて認識させられた。
三鷹駅からタクシーで練馬の池上氏の自宅まで・・
想像してみてください 大男二人が乗る車内を(笑)
池上氏と会えたことで 角田くんも佐竹くんも
大いに喜んでくれました^^
*「僕が出場した空手道大会の後援者の一人だった
漫画家の多田拓郎先生が
僕を池上遼一先生に引き合わせて下さった時は
感動したなぁ~」 角田信朗ブログより
後に正道会館主宰の空手オリンピックなどの大会を経て
K-1という格闘技が誕生するわけですが
角田くんに招待されてリングサイドで観戦したものです。
当時のリングサイドの常連には作家の夢枕獏さんや
ミュージシャンの角田ヒロさん内田由紀ちゃんなどがいいました。
私個人はリングサイドで観戦するより 選手の控え室にいて
選手と一緒にモニターで試合を見るのが好きでした
試合に臨む選手の精神状態に興味を覚えたのです。
(人間観察が好きなもので)笑
名古屋や大阪などでK-!の大会があるときはホテルまで用意してくれて
角田君にはほんとうに感謝です。
私の泊まるホテルの階はK-1選手や関係者で埋まっていて
夜、外人選手の部屋に遊びに行ったものです。
最初に出会った外人選手はオランダのピーター・アーツ
彼とは初対面で大阪の南に繰り出し楽しい夜となりました。
(試合後の選手はアルコール摂取はよくないのですが・・)笑
角田くんが紹介してくれたアンディ・フグとは特に親しくなり
焼肉や飲みに出かける仲となりました。
スイスに帰国後 しばらくして白血病の最初の兆候が見られ
日本に戻り診察を受けることになるのですが・・・
その後のことは お分かりいただけることと思います。
アンディが亡くなった後 あれほど好きだった格闘技から心が離れてしまいました。
K-1に中量級の試合が組まれるようになってきて
私の中で再び格闘技熱が戻って来ました。
あ、魔裟斗選手引退ですね とても残念ですが
これまでほんとうにご苦労様 数々の感動をありがとう!
角田君とは長い付き合いなので いろいろと思い出はありますが
気になるのはK-1から去っていった佐竹くん
彼は素敵な人物だった。
彼の見せるポーズで 全く違った印象で捕らえている人も
多いと思うけど
私の彼に対するイメージは“金太郎さん”人に親切で弱者に優しく・・
体にハンディを持っている人に対しては
理解をもって接することのできる心根の優しい男だと思う。
佐竹くんに会いに京都に行きたくなったな。
今日までいろんな格闘家や関係者といい関係を築いてこれたけど
角田くんとの出会いは実に大きかった
ほんとうにありがとう!
また暇を見て 見知らぬ街で飲み明かしたいものだ^^
相変わらず歌 上手いね!
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