2004年08月の記事
2004 08/18 09:25
Category : 日記
美浜原発の事故の一報が入った時、私は慌ててエアコンのスイッチを切り、窓を開
けた。我が家が住んでいるのは関東地方なので、関西電力から電力を供給されている
わけではないのだが、とっさに電気を好きなように使っていることに罪悪感のような
ものを感じたのだ。
我が家のようにマンションに住んでいると、入り口がオートロックになっていると
ころが多いと思うが、電気がなければ家に入ることもできないのだ。特に最近多く
なっている高層マンションでは、オール電化といって、台所でもガスを一切使ってい
ないところも多い。家電製品の省電力化が進んではいるが、生活の全般を電気に頼っ
ている家庭は多いだろう。一般家庭へのエアコンの普及が多くなったこともあり、特
に夏場は、電力供給量が消費量に追いつかなくなるのではないか?という懸念があ
る。そのために、電力会社では、「でんき予報」を出して、予想される最大電力消費
量と電力需給力を知らせるということもしているのをご存知の方も多いと思う。
さて、事故後、美浜原発の事故についての報道を見ると、27年間も点検がされてい
なかったことなどが指摘され、「起こるべきして起きた事故であると」事故ではなく
人災ではないかという報道が多くされている。しかし、私はもっと根本的な部分で事
故は起きてしまったのではないかと思う。それは、点検をする際になぜ原発の運転を
停止していなかったということだ。普通、何かの機械を点検する際には、機械の運転
を停止して行うべきだと思う。しかし、原発や溶鉱炉のような、高温で稼動するもの
は、一度停止してしまうと、運転再開までにかなりの時間を要することになるので、
できるだけ停止したくなかったのだろう。しかも、今年は猛暑が続き、電力の消費量
がうなぎ昇りである中では、長い期間運転を停止するのは難しかったのかもしれな
い。
8月11日のasahi.comにも、そのことがふれてあった。
「原発11基を持つ関電は、発電量全体に占める原子力の割合が約56%(03年度
実績)と全電力の中で最も高い。美浜3号機を除いても約1割の供給余力があるが、
原発停止が広がれば、電力需要の多い夏場に供給不安を抱えることになる。その場
合、関電は、休止中の火力発電所の再開やほかの電力会社から緊急に融通してもらう
ことなどで、供給力確保に動くと見られるだが、それはコスト上昇にはね返る。関電
は原発の稼働率が1%下がると、火力発電の代替などでコストが年間37億円上昇す
るとしている。原発が1基停止すると1日当たり約1億円のコスト増ともいわれ、事
故の影響が長引くほど収益を圧迫することになりそうだ。」
一般的に考えて、もし今回の事故が起きなかったとしても、たかが10mmの鉄板の
向こうに140度にもなる高温の蒸気が走っているような場所に、人間が出入りするこ
とは、尋常ではない。しかし、asahi.comによると、「関西電力美浜原発3号機で蒸
気噴出事故があったタービン建屋は、行政関係者らを対象にした見学コースに組み込
まれており、今年4月から事故が起きるまでに34回、計約300人が訪れていた。
以前は子供会や自治会、教職員ら一般の見学者も立ち入ることができたが、01年9
月の米同時多発テロ以降、保安上の理由から取りやめにした。」(8/11)という。
これらのことを考えてみても、安全ということに対しての感覚がどこか麻痺してい
たのではないか?と感じられて仕方が無い。また定期点検中に、原発を停止すること
で、他に電力供給を求めなければならず、そのことで多大なコストがかかるのだとし
たら、なぜ電力需要が高まる夏場に点検を行うのだろうか?14日からの点検予定だっ
たということから推測すると、多分工場がお盆休みに入り、少しでも電力需要が下が
る時期に点検を実施しようとしたのかもしれない。しかし、それならば、全体的な電
力消費量があまり高くなく、しかも工場の多くが休みになる、ゴールデンウイークの
時期に行うなどの方法を検討できたはずである。
今回の事故で、貴重な資源だけではなく、尊い人命の犠牲という危うい土台の上
に、私たちの快適な生活が載っているのだということを、改めて思い知らされた。電
力を供給する側も、消費する側も、もう一度身の回りのことを見直すことが必要なの
ではないかと感じた。
けた。我が家が住んでいるのは関東地方なので、関西電力から電力を供給されている
わけではないのだが、とっさに電気を好きなように使っていることに罪悪感のような
ものを感じたのだ。
我が家のようにマンションに住んでいると、入り口がオートロックになっていると
ころが多いと思うが、電気がなければ家に入ることもできないのだ。特に最近多く
なっている高層マンションでは、オール電化といって、台所でもガスを一切使ってい
ないところも多い。家電製品の省電力化が進んではいるが、生活の全般を電気に頼っ
ている家庭は多いだろう。一般家庭へのエアコンの普及が多くなったこともあり、特
に夏場は、電力供給量が消費量に追いつかなくなるのではないか?という懸念があ
る。そのために、電力会社では、「でんき予報」を出して、予想される最大電力消費
量と電力需給力を知らせるということもしているのをご存知の方も多いと思う。
さて、事故後、美浜原発の事故についての報道を見ると、27年間も点検がされてい
なかったことなどが指摘され、「起こるべきして起きた事故であると」事故ではなく
人災ではないかという報道が多くされている。しかし、私はもっと根本的な部分で事
故は起きてしまったのではないかと思う。それは、点検をする際になぜ原発の運転を
停止していなかったということだ。普通、何かの機械を点検する際には、機械の運転
を停止して行うべきだと思う。しかし、原発や溶鉱炉のような、高温で稼動するもの
は、一度停止してしまうと、運転再開までにかなりの時間を要することになるので、
できるだけ停止したくなかったのだろう。しかも、今年は猛暑が続き、電力の消費量
がうなぎ昇りである中では、長い期間運転を停止するのは難しかったのかもしれな
い。
8月11日のasahi.comにも、そのことがふれてあった。
「原発11基を持つ関電は、発電量全体に占める原子力の割合が約56%(03年度
実績)と全電力の中で最も高い。美浜3号機を除いても約1割の供給余力があるが、
原発停止が広がれば、電力需要の多い夏場に供給不安を抱えることになる。その場
合、関電は、休止中の火力発電所の再開やほかの電力会社から緊急に融通してもらう
ことなどで、供給力確保に動くと見られるだが、それはコスト上昇にはね返る。関電
は原発の稼働率が1%下がると、火力発電の代替などでコストが年間37億円上昇す
るとしている。原発が1基停止すると1日当たり約1億円のコスト増ともいわれ、事
故の影響が長引くほど収益を圧迫することになりそうだ。」
一般的に考えて、もし今回の事故が起きなかったとしても、たかが10mmの鉄板の
向こうに140度にもなる高温の蒸気が走っているような場所に、人間が出入りするこ
とは、尋常ではない。しかし、asahi.comによると、「関西電力美浜原発3号機で蒸
気噴出事故があったタービン建屋は、行政関係者らを対象にした見学コースに組み込
まれており、今年4月から事故が起きるまでに34回、計約300人が訪れていた。
以前は子供会や自治会、教職員ら一般の見学者も立ち入ることができたが、01年9
月の米同時多発テロ以降、保安上の理由から取りやめにした。」(8/11)という。
これらのことを考えてみても、安全ということに対しての感覚がどこか麻痺してい
たのではないか?と感じられて仕方が無い。また定期点検中に、原発を停止すること
で、他に電力供給を求めなければならず、そのことで多大なコストがかかるのだとし
たら、なぜ電力需要が高まる夏場に点検を行うのだろうか?14日からの点検予定だっ
たということから推測すると、多分工場がお盆休みに入り、少しでも電力需要が下が
る時期に点検を実施しようとしたのかもしれない。しかし、それならば、全体的な電
力消費量があまり高くなく、しかも工場の多くが休みになる、ゴールデンウイークの
時期に行うなどの方法を検討できたはずである。
今回の事故で、貴重な資源だけではなく、尊い人命の犠牲という危うい土台の上
に、私たちの快適な生活が載っているのだということを、改めて思い知らされた。電
力を供給する側も、消費する側も、もう一度身の回りのことを見直すことが必要なの
ではないかと感じた。
2004 08/11 09:38
Category : 日記
今年も終戦の日が近づいてきて、テレビでは戦争を描いたドラマなどが放送されて
いる。先日も、沖縄戦を題材にしたドラマを家族で観ていた。
私の両親は二人とも昭和一桁の生まれで、父は15歳の時に自ら少年飛行兵へ志願し
たので、私は耳にタコができるほど、戦争の悲惨さや当時の苦労などを聞かされてい
る。しかし、その両親も他界してしまった今、子供たちに実感を持って戦争の悲惨さ
などを伝えるには、テレビのドラマのほうがいいのかもしれない。ドラマを見ていた
息子は、戦争があったという事実を、ドラマの描写と私が父や母から聞いた話しを一
緒に聞きながら実感したようだった。
そのドラマを見て数日後のこと、今回中国で行われたサッカーのアジアカップで、
日本チームやサポーターに向けてのブーイング騒動が起こった。しかし息子にとって
は、なぜそんなにブーイングを受けるのかが理解できないらしく、私に「なんであん
なことしてくるの?」と聞いてきた。
私の住んでいる街は、ローカル線の駅に程近い商店街を中心に住宅地が広がってい
るいわゆる下町である。最近は、肌の色の違う人たちをよく目にするようになった。
当然、子供たちが通う学校も、普通の公立の学校とは思えないほど、色々な肌の色を
した子供たちが通っているのだ。つまり息子にとっては、アメリカ人の子も中国人の
子も、仲良く楽しく遊べる友達であって、決して憎みあうような存在ではないのだ。
息子なりに過去に戦争があったことは理解しているようだが、それはもう過去のこと
で、今はもう国交も回復しているのだから、今の自分達には関係が無いことだと思っ
ているのだと思う。
私は子供たちに、過去の戦争であったことを、私が知っている限りの事実を話して
聞かせた。私が知っていることが、過去に起こったことのすべては無いかもしれない
が、事実は事実として、子供たち単なる授業としての歴史ではなく、もっと実感を持
って認識をしておく必要があると思ったからだ。話を聞き終わった息子は、理解でき
たのかできなかったか?ただ神妙な顔をして、「ふ〜ん」と言っただけだった。
今回中国で起きたブーイング騒動は、日本と中国のそれぞれの国の過去の歴史に対
しての教育の差が出たのだ思う。戦争が過去のものとして風化しつつある日本の現状
をよしとするつもりは無いが、今回の中国のブーイング騒動のように、そのことだけ
にとらわれて、すべてを判断し行動を起こしてしまうのも考えものである。今回の事
件は、子供たちへの過去の事実の伝え方、教育の仕方の難しさを浮き彫りにした事件
であるとともに、私たちに、戦争は決して風化させてはいけない事実であるのだとい
うことを、改めて認識させることにもなったと思う。
スポーツや芸術には国境がないとよく言われるが。今回ブーイング騒ぎを起こして
しまった、中国人たちにが、今回の事件を冷静に振り返ってもらい、4年後北京で開
かれるオリンピックは、安全にかつ友好的な雰囲気の中で開催されることを、心から
願っている。
いる。先日も、沖縄戦を題材にしたドラマを家族で観ていた。
私の両親は二人とも昭和一桁の生まれで、父は15歳の時に自ら少年飛行兵へ志願し
たので、私は耳にタコができるほど、戦争の悲惨さや当時の苦労などを聞かされてい
る。しかし、その両親も他界してしまった今、子供たちに実感を持って戦争の悲惨さ
などを伝えるには、テレビのドラマのほうがいいのかもしれない。ドラマを見ていた
息子は、戦争があったという事実を、ドラマの描写と私が父や母から聞いた話しを一
緒に聞きながら実感したようだった。
そのドラマを見て数日後のこと、今回中国で行われたサッカーのアジアカップで、
日本チームやサポーターに向けてのブーイング騒動が起こった。しかし息子にとって
は、なぜそんなにブーイングを受けるのかが理解できないらしく、私に「なんであん
なことしてくるの?」と聞いてきた。
私の住んでいる街は、ローカル線の駅に程近い商店街を中心に住宅地が広がってい
るいわゆる下町である。最近は、肌の色の違う人たちをよく目にするようになった。
当然、子供たちが通う学校も、普通の公立の学校とは思えないほど、色々な肌の色を
した子供たちが通っているのだ。つまり息子にとっては、アメリカ人の子も中国人の
子も、仲良く楽しく遊べる友達であって、決して憎みあうような存在ではないのだ。
息子なりに過去に戦争があったことは理解しているようだが、それはもう過去のこと
で、今はもう国交も回復しているのだから、今の自分達には関係が無いことだと思っ
ているのだと思う。
私は子供たちに、過去の戦争であったことを、私が知っている限りの事実を話して
聞かせた。私が知っていることが、過去に起こったことのすべては無いかもしれない
が、事実は事実として、子供たち単なる授業としての歴史ではなく、もっと実感を持
って認識をしておく必要があると思ったからだ。話を聞き終わった息子は、理解でき
たのかできなかったか?ただ神妙な顔をして、「ふ〜ん」と言っただけだった。
今回中国で起きたブーイング騒動は、日本と中国のそれぞれの国の過去の歴史に対
しての教育の差が出たのだ思う。戦争が過去のものとして風化しつつある日本の現状
をよしとするつもりは無いが、今回の中国のブーイング騒動のように、そのことだけ
にとらわれて、すべてを判断し行動を起こしてしまうのも考えものである。今回の事
件は、子供たちへの過去の事実の伝え方、教育の仕方の難しさを浮き彫りにした事件
であるとともに、私たちに、戦争は決して風化させてはいけない事実であるのだとい
うことを、改めて認識させることにもなったと思う。
スポーツや芸術には国境がないとよく言われるが。今回ブーイング騒ぎを起こして
しまった、中国人たちにが、今回の事件を冷静に振り返ってもらい、4年後北京で開
かれるオリンピックは、安全にかつ友好的な雰囲気の中で開催されることを、心から
願っている。
2004 08/03 20:43
Category : 日記
今、私の住んでいる街では夏祭りが行われている。もともとは、戦の神様だという比較的大きな神社には、私も幼い頃お宮参りや七五三で参拝した。ここのお祭りの目玉は、重さ1tもあるという、孔雀(男神輿)と玉(女神輿)である。
3日間行われるお祭りでは、はじめは近隣の町内会のお神輿が30基近く町を延々と練り歩く。首都圏のJRの駅前を、そんな数のお神輿が練り歩くのだ。そして、炎天下にもかかわらず、皆そのお神輿の後にぞろぞろとついて回るのだから、交通規制も大変だ。
そして3日目には、孔雀と玉神輿が、それぞれ、平行して走る道を通り、最後に合流して神社へ帰る。そのために、何日も前から大神輿が通るルートには張り紙がされ、街中が駐車禁止になるのはずなのだが・・・。必ず約束を守らないやつはいるものだ。しかし、約束を守らないやつには、神の天罰が下る。いつもは商いの町で、駐車違反などざらなのだが、この日ばかりは勝手が違う。お神輿は神様なのだ。1tもある神様が、街のありとあらゆる裏路地まで練り歩くのだ。
子供の頃のことだが、狭い裏路地に、我が物顔で停まっていた見るからに高級そうな外車の上を、お神輿がズカズカと通って行き、車は見るも無残にボコボコになってしまった。
しかし誰もが、「神様が通ったんだから仕方が無い」と平気な顔をしていたのをみて、子供心に「神様ってすごいんだな〜」と漠然と感動したした覚えがある。
どこの町内会のお神輿も、戦前から受け継がれて来た物で、大きくて立派だった。私はどうにかもぐりこんで担がせてもらおうとしたが、戦の神様のお祭りなので、毎年神輿が荒れるので、「女に担げるもんか!」とか、「俺と腕相撲をして勝ったら触らせてやってもいい」なっどと言われて、門前払いばかりだった。ただ、学生時代に一度だけ、腰を悪くした親父の代わりに、ほんの数m担がせてもらったことがある。そのときは、ようやく一人前に認めてもらえたような気がして、涙が出るほどうれしかった覚えがある。しかし、その後結婚して、しばらくそんな夏の喧騒からも遠ざかってしまっていた。
ところが先日、そのお祭りが行われる神社のすぐ近くに職場がある夫が、急に「子供達を連れて祭りに行かないか?」と言い出した。
お祭りは、土日に関係なく毎年日にちが決まっている。夫が行こうといった日は平日だった。あまり人ごみが得意でない夫が、仕事の帰りに一緒に駅前で合流して、お祭りに行こうと言い出したのだ。結婚して15年になるが、こんなこと初めてのことだった。早速、子供たちと、たまたま夏休みを取っていたという弟の家にも連絡をし、姪っ子も連れてお祭りに繰り出した。
神社の沿道から立ち並んだ夜店は、裸電球が煌々とつき、威勢の声で呼び込みをしている。子供たちはその声につられて立ち止まってしまう。「だめよ、お祭りに来たんだから、まずはお参りをしなくては!」と私が急かすと、お好み焼きやイカ焼きの匂いに後ろ髪を引かれながら、子供たちはしぶしぶ歩き出す。
境内に入ると、夜店はぎっしりと軒を連ね、迷路のようになっている。ものすごい人ごみで、歩く事も立ち止まっている事もできない感じで、子供たちは少し戸惑っているようだった。しかし、下町育ちの私にはこの人いきれがとても懐かしかった。
人ごみに消えていく背中が一瞬、亡くなった父に見えた。「お祭りが好きだった父も、もしかしたら来ているのかもしれないな」ふとそんなことが頭をよぎった。
3日間行われるお祭りでは、はじめは近隣の町内会のお神輿が30基近く町を延々と練り歩く。首都圏のJRの駅前を、そんな数のお神輿が練り歩くのだ。そして、炎天下にもかかわらず、皆そのお神輿の後にぞろぞろとついて回るのだから、交通規制も大変だ。
そして3日目には、孔雀と玉神輿が、それぞれ、平行して走る道を通り、最後に合流して神社へ帰る。そのために、何日も前から大神輿が通るルートには張り紙がされ、街中が駐車禁止になるのはずなのだが・・・。必ず約束を守らないやつはいるものだ。しかし、約束を守らないやつには、神の天罰が下る。いつもは商いの町で、駐車違反などざらなのだが、この日ばかりは勝手が違う。お神輿は神様なのだ。1tもある神様が、街のありとあらゆる裏路地まで練り歩くのだ。
子供の頃のことだが、狭い裏路地に、我が物顔で停まっていた見るからに高級そうな外車の上を、お神輿がズカズカと通って行き、車は見るも無残にボコボコになってしまった。
しかし誰もが、「神様が通ったんだから仕方が無い」と平気な顔をしていたのをみて、子供心に「神様ってすごいんだな〜」と漠然と感動したした覚えがある。
どこの町内会のお神輿も、戦前から受け継がれて来た物で、大きくて立派だった。私はどうにかもぐりこんで担がせてもらおうとしたが、戦の神様のお祭りなので、毎年神輿が荒れるので、「女に担げるもんか!」とか、「俺と腕相撲をして勝ったら触らせてやってもいい」なっどと言われて、門前払いばかりだった。ただ、学生時代に一度だけ、腰を悪くした親父の代わりに、ほんの数m担がせてもらったことがある。そのときは、ようやく一人前に認めてもらえたような気がして、涙が出るほどうれしかった覚えがある。しかし、その後結婚して、しばらくそんな夏の喧騒からも遠ざかってしまっていた。
ところが先日、そのお祭りが行われる神社のすぐ近くに職場がある夫が、急に「子供達を連れて祭りに行かないか?」と言い出した。
お祭りは、土日に関係なく毎年日にちが決まっている。夫が行こうといった日は平日だった。あまり人ごみが得意でない夫が、仕事の帰りに一緒に駅前で合流して、お祭りに行こうと言い出したのだ。結婚して15年になるが、こんなこと初めてのことだった。早速、子供たちと、たまたま夏休みを取っていたという弟の家にも連絡をし、姪っ子も連れてお祭りに繰り出した。
神社の沿道から立ち並んだ夜店は、裸電球が煌々とつき、威勢の声で呼び込みをしている。子供たちはその声につられて立ち止まってしまう。「だめよ、お祭りに来たんだから、まずはお参りをしなくては!」と私が急かすと、お好み焼きやイカ焼きの匂いに後ろ髪を引かれながら、子供たちはしぶしぶ歩き出す。
境内に入ると、夜店はぎっしりと軒を連ね、迷路のようになっている。ものすごい人ごみで、歩く事も立ち止まっている事もできない感じで、子供たちは少し戸惑っているようだった。しかし、下町育ちの私にはこの人いきれがとても懐かしかった。
人ごみに消えていく背中が一瞬、亡くなった父に見えた。「お祭りが好きだった父も、もしかしたら来ているのかもしれないな」ふとそんなことが頭をよぎった。