2004年03月の記事


不登校をダメとは思わないで
先日、私が書いたコラムに対して、一人の母様からお便りを頂きありがとうございま
した。そのお便りを読んで、コラムの中で私の言葉が足りなかったと感じ、改めてコ
ラムで取り上げる事にした。

娘のいじめの発端は、保育園時代の転入だった。人見知りをしない娘の態度が、「転
入生のくせに生意気だ」と一部の子の勘に障ってしまったのだ。その後、保育園⇒学
童保育と続く閉鎖的な環境の中で、娘はいじめにあい続けた。学童でのいじめは徐々
に学校のクラスの中にも広がった。私は、学校の先生と学童保育の指導員の方に相談
をしたが、どちらにも「娘が元気に学校に通って来ているので深刻ないじめにあって
いるとは思えない」という回答しかもらえず、何も解決しなかった。

しかし、確かにいじめはあった。それを教えてくれたのが、今不登校になっている子
のお母さんだった。私が相談したことで、それとなく娘さんに聞いてくれたのだ。学
年が上がっても一向に止まないいじめに、娘に向って私は「そんなに辛いなら学校へ
行かなくてもいいよ」と言った事もあった。負けず嫌いな性格の娘は、いじめから逃
げ出したくなかったのか、学校へ通い続けた。

次第にいじめっこ達は休日にも娘を誘い出していじめるようになった。再度学校側に
相談しても、「気にしすぎだ」とか、「娘さんは元気に通っていて問題はない」とい
う回答ばかり。仕方なく私は、学校やいじめてくる子の親に掛け合うのを止め、別な
道を模索する事にした。学校は休みたくないという娘に、「それならいじめに負けな
いように強くならなきゃだめだよ」と話し、休日に親子で一緒に参加できる習い事を
始める事で、学校とは全く違う人間関係の中に身を置くようにしたのだ。

しかしこれは、元々人見知りをせず負けず嫌いな性格を持った娘だから取り得た方法
で、いじめに対処する方法としては、イレギュラーケースだと思う。「もっと学校に
掛け合うべきだと」という声もあり私にも不安があった。そこで、前述のお母さんに
再度相談すると「娘さんにあってるとあなたが思ったんだから、やってみる価値はあ
ると思うよ」とそのお母さんが私の背中を押してくれたのだ。

>「娘さんは、強くなってくれて今も頑張って登校しているのだから、偉いよね。
>貴方の選択が正しかったのよ」と言った。
その言葉は、その時のことを受けて出た言葉だ。彼女は彼女で、娘さんにあった方法
を見つけたいと思っているのだ。

>これもすべての「いじめ」が原因の不登校の子供にあてはまるかどうか疑問です。
いじめが原因で不登校になってしまったのだとしても、子どもがそれぞれの胸に抱え
ているものは一人一人全く別の物だと私は思う。我家の娘の事は、単なる一つのケー
スにすぎない。つまり、不登校の子すべてに一つのケースを当てはめて考える事の方
が、無理があるのではないだろうか?

>不登校はダメな事でしょうか?
>必死で自分を守る手段として不登校になる子も居るのではないでしょうか?
子ども達の一番近くにいて一番の理解者であるはずの親が「ダメなことでしょう
か?」言うことは、不登校はダメなことだと認めてしまっていることにならないだろ
うか?私自身前述の通り、不登校がダメな事だとは全く思っていない。現に、私がコ
ラムで取り上げた子も、自分の中にある恐怖心から身を守るために不登校になったの
だと思う。それでも娘は、毎日のようにいじめてくる実在の人物達と戦い、彼女は見
えない敵と戦い続けているのだと思う。「不登校にさせるなんて親が甘やかしすぎて
るんだ」と言う人がいるのも事実だが、世間でなんと言うかではなく、不登校という
形で子ども達が戦っている事に対して、もっと親が自信を持って受入れ、理解を示す
べきだと思う。そのことが、やがて世間の理解を生むことにも繋がると思う。娘も、
いつ学校に行けなくなるかは分からない。その時は、私は胸を張って娘を受入れてや
りたいと思う。私は、不登校の子に対しての理解をもっと社会に広く得たいと思い、
あのコラムを書いた。

最後に。娘が不登校の彼女に手紙を書こうと思ったのは、いじめにあって孤独だった
自分の事を、「理解してくれた親友の存在」が救ってくれただからだという。自分が
その不登校の子に対して同じ立場になれるかどうかは分からないが、少しでも力にな
りたいという気持ちからだ。不登校になった彼女からまだ返事は来ていない。しかし
娘は、いつか彼女からの返事が来ることを信じて、手紙を書き続けている。
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犬のおまわりさん募集
この一週間のニュースで、連日子どもの連れ去り事件の報道がなされている。13日だ
けでも、群馬の小1女児殺害事件をはじめ、町田の小2女児連れ去り未遂事件。そし
て、2月に小学生の女児連れ去り事件で逮捕された福岡の交番警官が、別の女児連れ
去りの容疑者として再逮捕された事件も流れた。少し前には、子どもを狙った通り魔
事件も多発していた。

このような、登下校時の子ども達に対する凶悪事件の増加に対して、何らかの対策を
立てようと、NPO法人「日本社会福祉愛犬協会」が4月からの新学期にあわせて、
通学路をパトロールする愛犬家を募集している。飼い犬と共に社会貢献活動を続けて
いる同協会では、子ども達の通学路を、飼い犬と共にパトロールしようという今回の
活動を「犬のおまわりさん」と名づけた。目印として、水色と白色の専用バンダナを
着用し、朝夕の登下校時に飼い犬の散歩をしながら通学路を廻り、子ども達に挨拶を
するなどして、声を掛けるというもので、散歩の時間などには強制はない。

13日付け読売新聞の生活欄の記事によると、犬の散歩中に登下校途中の子どもを見守
る活動は、東京都世田谷区のほか、愛知県や大阪府などでも実施され広がりを見せ始
めているらしい。同協会の中徹さんは「全国レベルで一斉に実施し、情報を共有化で
きれば、犯罪の抑止効果が高まる」と期待している。

もう30年近く前になるが、私が小学生の頃は。地域の人同志が顔見知りも多く、登下
校の最中も、「おはよう」とか「いってらっしゃい」「お帰り」などの挨拶を交わす
ことも多かった。逆に、ランドセルを背負ったまま公園で道草を食っていたりする
と、通りかかった近所のおばさんなどに「早く帰りなさい」などとお小言をもらうこ
ともあった。つまり、地域でいろいろな人の目で子ども達を見守っていたといえるだ
ろう。しかし、最近は地域で個人レベルでの交流も少なくなり、マンションやアパー
トなどでは、同じ階にどんな人が住んでいるのかも良く知らないことも多い。

今回の活動がキッカケになり、子どもがいる家庭だけではなく、もっと多くの目で子
ども達の安全を見守っていく事が出来るようになれれば良いと思う。「犬のおまわり
さん」の活動に参加してもよいとお考えの愛犬家の方々が、一人でも多くご協力願え
ればとも思う。参加申込は、全国5ヶ所にある同協会のブロック毎に受付けている。
目印となるバンダナは1枚300円で、原則として10枚以上からの販売になる。同協会で
は、活動の実効性の観点から、自治体や近所同志での共同購入を呼びかけている。
(問い合せ先:NPO法人「日本社会福祉愛犬協会」03-3847-5297)

この活動は、基本的には愛犬家の方々の好意により実行できるものだ。できれば自治
体などで目印のバンダナをまとめて購入して、実際に活動に望んでくださる方々には
無償で配布して欲しいと私は思う。また、こうした活動が広がっていくことで、子ど
も達だけでなく、皆が日々を安全に過ごすことができるようにれば、とも思う。
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ある不登校児の抱えるトラウマ
娘の通う中学校には、不登校と呼ばれる学校へ来る事ができない子が数人いる。その
中の一人の子は、小学校に入学した当初から私が良く知っている子だった。その子の
お母さんと先日話しをした。そして、彼女の不登校の原因にあるトラウマがある事が
分かった。そのトラウマとは、小学校時代の「いじめ」であった。

彼女は、小学校時代から友達も多く「いじめ」にあっていた訳ではなかった。実は、
我家の娘が小学校時代に「いじめ」にあっていたのだ。はじめは些細なことが原因だ
ったのだが、そのうち「いじめ」は一人歩きし始め、波紋が広がっていった。親とし
ていろいろと策を講じてみたが、すぐには解決には至らなかった。結局私は、学校や
「いじめ」をしてくる親に対しての働きかけによっての解決ではなく、娘を「いじ
め」に負けない強い人間にして行く事で解決する道を選んだ。そしてまず、親の目か
らみて、「いじめ」の対象になりそうな娘の癖や行動を直させる努力をした。それか
ら、娘に学校とは全く環境で人間関係を築くようにした。つまり、地元の友達が全く
いない所での習い事をさせたのだ。

小学校の低学年で、自分自身を否定されるようなことも経験した娘は、辛かったと思
う。しかし、私は娘の精神面を全面的にフォローしていく事に徹する事しかできなか
った。結果的に、娘は学校とは全く違う人間関係の中で、娘なりに自分を高め少しづ
つ自信をつけ、精神的にも強くなってくれた。その事によって、学校での「いじめ」
に対しても、前向きに考えられるようになり、親友と呼べる子も増えたことで、今で
も多少は継続しているらしい「いじめ」行為も、気にせず学生生活をそれなりに楽し
く過ごしている。

それとは逆に不登校になってしまった彼女は、中学に入ってから周りの目が気になる
ようになり、時期的に部活での挫折が重なってしまったこともあり、2学期から学校
へ通う事ができなくなってしまった。はじめは、彼女のお母さんにも全く訳がわから
なかったらしいのだが、少しづつ彼女に話しを聞き出し、不登校になった原因を把握
したらしい。彼女曰く「小学校時代の自分は本当の自分じゃなかった。いじめられる
のが恐くて、そうされないように振舞って来ただけ。でも、それにも疲れたし、自分
に自信もないから周りの目が恐くて仕方がない」。

彼女は学校や学童保育などで、娘や他の数人の子がいじめられているのをまぢかで見
て来た。自分から率先していじめるような事はなかったが、雰囲気によってはいじめ
に荷担するような行動を取らざるを得なかったようだ。また、荷担しなくても、いじ
められている子に手を差し伸べるだけの勇気もなかった。そして、そんな事の繰り返
しが彼女の心の中に「いじめに対する恐怖心」を深く刻んでしまったらしい。今も彼
女は、保健室への登校を試みてはいる。しかし、彼女を襲う恐怖心を取り去る事がで
きず、一進一退の日々を送っているのだという。

実は私は、娘が小学校の時、彼女のお母さんに、娘がいじめられている件で相談をし
た事があった。彼女のお母さんは、私が娘にやろうとしていることに対して、「出き
る事をやってみたら。うちの子にも協力するように言っておくから」と言ってくれ
た。彼女のお母さんはその時のことを思い出したらしく、「娘さんは、強くなってく
れて今も頑張って登校しているのだから、偉いよね。貴方の選択が正しかったのよ」
と言った。いじめという心無い行為が、子ども達の心の中に落とした影は、大人が思
うよりも色濃く暗いもので、それが思いがけない形でトラウマになってしまう事もあ
るのだ。

彼女の不登校の原因を聞いた娘は、彼女に手紙を書く事にしたらしい。返事は期待し
ていないと娘は言う。「ただ、彼女がちょっとでも学校に行こうかなって思ってくれ
たら嬉しいから」そう言って笑った娘の笑顔が、彼女の笑顔につながる事を私も心か
ら願うのだった。
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リアルとリアリティの違い―オリーブニュース―
我家の子ども達は、レーシングカートというモータースポーツを、かれこれ6年近く
やっている。あまりメジャーなスポーツではないので、ご存知無い方も多いかもしれ
ないが、カート出身のF1ドライバーが多いことなどから、TVでタレントの方が兆
戦する様子を放送していたりして、ご覧になったことがあるかもしれない。

そのカートを題材にしたマンガが、最近出されている。作者は、それなりにカートの
ことを良く調べていて、なかなかリアリティをもって描かれている。環境もなにも整
っていない小学生が、たまたまカートに出会いスゴイ才能を発揮し、チャンピオンに
なっていくという、いわゆる「スポ根マンガ」だ。

しかし、6年もカートをやってきた子ども達の感想は、「なに?これ!」だった。確
かにカートやエンジンなどが細部まで描かれているのだが、問題はストーリーなの
だ。いくら、マンガは作り話だから、といっても、才能さえあればどんどん上にいか
れるというような描きかたをされていることに、反発を感じたらしい。

「いくらお話だからって、出来過ぎだよこんなの」子ども達は二人ともそう言って黙
り込んでしまった。6年間、ずっと子ども達の苦労を見てきた私から見ても、「こん
なことあるはずがない」。と思えるようなストーリー展開だ。しかし、これがカート
のことをなにも知らない人が読んだ場合は、「リアリティのあるお話」は、そのまま
「リアル」に受けとめられてしまう。現に子ども達の友達が、そのマンガを読んで、
「結果が出ないのはお前に才能がないからじゃないか」、というようなことを言った
という。あまりに臨場感のあるマンガであるだけに、リアリティをリアルそのものだ
と勘違いさせてしまうのだろう。

レーシングカートという、現実のスポーツの中で、6年もの間、悩んだり迷ったりし
ながら、頑張って来た子ども達にとっては、自分の技術や才能を信じて頑張る事で、
レースという現実を乗り越え、自分自身を一歩づつ高める努力をして来たのだ。多分
これは、他のスポーツでも同じだと思う。そこに、いかにお話だとしても、才能だけ
で全てをクリアできてしまうようなことを描かれてしまったことで、今までの自分が
頑張って来たことを否定されてしまったような気がしたらしい。

私は、その事を聞いてハッとした。もしかしたら、このような勘違いは他の場面でも
多く起こっていることかもしれないのだ。リアリティを追求した、ドラマやマンガと
いった「作り話」に対して、頭では、「フィクション」だと分かっていても、あたか
も現実がそうであるかのような錯覚を起こし、そのうちそれを事実だと認識してしま
うようになる。社会一般に情報が少ないものに対しては、往々にして起こることだと
思う。またこれは、マスコミなどの過度な報道に対しても、私達は、同じような錯覚
を起こしてしまっているのかもしれないと思った。

たかが、子どものマンガのことで目くじらを立ててと思われる方もいるかもしれな
い。しかし、マンガが与える情報や印象で、夢を見る人がいるのと同時に、傷つく人
もいるのだ。つまり、現実はそんなに甘くないという事である。リアリティを追求し
ているなら、そんな「甘くない」部分もきちんと描いて欲しいと思うのは、私が単な
る親ばかだからだろうか。しかし、偏った印象を与えてしまっていることは確かであ
り、私はそこになにか「危うさ」のような物を感じた。
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