2004年02月の記事
2004 02/25 10:25
Category : 日記
我家の近くの公園には、「はとおじさん」と呼ばれる人物がいる。名前のとおり「は
とおじさん」は、毎日、夕方近くになると鳩に餌をやりにくる年配の男性のことであ
る。そのため、その公園の周りには、常時鳩が2〜30羽いる。公園に隣接するお宅
の屋根は、鳩のフンで真っ白くなってしまい、公園の遊具のあちらこちらにも、鳩の
フンがついている。
しかし、それだけでは済まない。鳩はおじさんが公園にやってくる時間まで、公園の
前の電線に群れをなして止まっている。公園の間口は10m足らず。その短い距離の電
線に、2〜30羽の鳩が止まっているのだ。電線の下には、歩道があるのだが、その
歩道は、公園の前だけフンで真っ白になってしまっている。つまり、鳩がそこに止ま
っている時間は、フンが雨のように降って来る。時間は丁度小学生が下校したり、近
所の主婦が買い物に出掛ける時間帯にあたる。我家の子ども達も含めて、そこで鳩の
フンの襲撃にあった子ども達は少なくない。
そのため、その時間になると。下校途中の小学生も、近所の主婦達もみな、公園の前
だけ車道を歩くことになる。その公園は、ローカル線の駅からすぐのところにあるの
で、夕方近くになると、人だけではなく車の交通量も多くなる。そのために、歩道に
もガードレールが着けてある。しかし、ガードレールのついたきちんとした歩道があ
りながら、車道を通らざるをえないのだ。
ある時、その歩道を通って公園から表に出ようとした子供が、歩道を走りぬけて、車
道に飛び出した。そこへ丁度車がとおりかかり、もう少しで事故になりそうな場面に
遭遇した。たまたま、その子が知り合いの子だったので、飛び出したら危険だからだ
めだよ、と話しをすると。「だって、ここいつフンが落ちてくるか解らないんだも
ん」と言い返された。その子には、厳重に注意をしたが、そのこの気持ちも理解でき
る。
その公園は、我家からすると隣りの学区にあたるので、保護者の方々が何か対策をし
ていらっしゃるのか分からないが。はとおじさんはかなりまえから餌をやりつづけて
いることを考えると、今のところ大きな事故が起きていないので、特に対策はしてい
ないのかもしれない。しかし、このはとおじさんのようなケースは、きっと全国のい
ろいろな場所で起きている問題だと思う。対象は、鳩であったり猫であったりするか
もしれない。
鳩やのら猫に餌をやるという事は、半分は放し飼いにしているのと同じ事である。い
かに、好意で餌をやっているだけだといっても、飼い主としての責任を果たせないの
だとしたら、即刻餌やり行為は止めるべきではないだろうか。ましてや、今。鳥イン
フルエンザの問題が浮上している。生きた鶏やそのフンなどに触れたことで人に感染
するのではないか、と言われている。
まだ、なぜ日本で発症したのかなどの、感染経路が特定できていないが、一説では渡
り鳥などが媒介したのではないかともいわれている。だとしたら、鳩のフンでも媒介
になるかもしれないのだ。幼稚園などでは、ペットとして飼われていた鳥を処分する
ところも出てきている。飼っていたものをいきなり処分するというのも、飼い主とし
て無責任だと思うが、餌だけを与える行為にも、飼い主としての自覚と責任を持つべ
きだと私は思う。
とおじさん」は、毎日、夕方近くになると鳩に餌をやりにくる年配の男性のことであ
る。そのため、その公園の周りには、常時鳩が2〜30羽いる。公園に隣接するお宅
の屋根は、鳩のフンで真っ白くなってしまい、公園の遊具のあちらこちらにも、鳩の
フンがついている。
しかし、それだけでは済まない。鳩はおじさんが公園にやってくる時間まで、公園の
前の電線に群れをなして止まっている。公園の間口は10m足らず。その短い距離の電
線に、2〜30羽の鳩が止まっているのだ。電線の下には、歩道があるのだが、その
歩道は、公園の前だけフンで真っ白になってしまっている。つまり、鳩がそこに止ま
っている時間は、フンが雨のように降って来る。時間は丁度小学生が下校したり、近
所の主婦が買い物に出掛ける時間帯にあたる。我家の子ども達も含めて、そこで鳩の
フンの襲撃にあった子ども達は少なくない。
そのため、その時間になると。下校途中の小学生も、近所の主婦達もみな、公園の前
だけ車道を歩くことになる。その公園は、ローカル線の駅からすぐのところにあるの
で、夕方近くになると、人だけではなく車の交通量も多くなる。そのために、歩道に
もガードレールが着けてある。しかし、ガードレールのついたきちんとした歩道があ
りながら、車道を通らざるをえないのだ。
ある時、その歩道を通って公園から表に出ようとした子供が、歩道を走りぬけて、車
道に飛び出した。そこへ丁度車がとおりかかり、もう少しで事故になりそうな場面に
遭遇した。たまたま、その子が知り合いの子だったので、飛び出したら危険だからだ
めだよ、と話しをすると。「だって、ここいつフンが落ちてくるか解らないんだも
ん」と言い返された。その子には、厳重に注意をしたが、そのこの気持ちも理解でき
る。
その公園は、我家からすると隣りの学区にあたるので、保護者の方々が何か対策をし
ていらっしゃるのか分からないが。はとおじさんはかなりまえから餌をやりつづけて
いることを考えると、今のところ大きな事故が起きていないので、特に対策はしてい
ないのかもしれない。しかし、このはとおじさんのようなケースは、きっと全国のい
ろいろな場所で起きている問題だと思う。対象は、鳩であったり猫であったりするか
もしれない。
鳩やのら猫に餌をやるという事は、半分は放し飼いにしているのと同じ事である。い
かに、好意で餌をやっているだけだといっても、飼い主としての責任を果たせないの
だとしたら、即刻餌やり行為は止めるべきではないだろうか。ましてや、今。鳥イン
フルエンザの問題が浮上している。生きた鶏やそのフンなどに触れたことで人に感染
するのではないか、と言われている。
まだ、なぜ日本で発症したのかなどの、感染経路が特定できていないが、一説では渡
り鳥などが媒介したのではないかともいわれている。だとしたら、鳩のフンでも媒介
になるかもしれないのだ。幼稚園などでは、ペットとして飼われていた鳥を処分する
ところも出てきている。飼っていたものをいきなり処分するというのも、飼い主とし
て無責任だと思うが、餌だけを与える行為にも、飼い主としての自覚と責任を持つべ
きだと私は思う。
2004 02/24 15:35
Category : 日記
ここのところ、色々な仕事が一度に来て、バタバタとした日を送っていた。
初めてやる仕事ばかりだった事や、急に忙しくなった事で、寝る暇も無い程忙しく。不安もいっぱいだったけど、どうにか一つづつ終わらせた。昨年から続いていた、ガイドブックの原稿も、最終校正を終え無事昨日納める事ができた。一生懸命やったせいか、どの仕事もそれなりに成果を納め、クライアントにも誉めてもらえ、ホッとした。
そして、今日。なにも仕事が無い日を迎えた。昨日から息子が高熱を出してしまったので、丁度良かったのだが…。
ここ数週間。分刻みで、家事と仕事をこなしていて、その間に娘のレースが2回もあって。一日でいいから、ゆっくりしたいと思っていたけど。いざそうなると、なんか落ち付かない。
このまま仕事が来なくなったらどうしよう?なんて事まで頭をよぎる…。
私は、忙しい忙しいと愚痴を言っている位の方が合っているのかもしれない。根っからの、貧乏性なんだろう。
初めてやる仕事ばかりだった事や、急に忙しくなった事で、寝る暇も無い程忙しく。不安もいっぱいだったけど、どうにか一つづつ終わらせた。昨年から続いていた、ガイドブックの原稿も、最終校正を終え無事昨日納める事ができた。一生懸命やったせいか、どの仕事もそれなりに成果を納め、クライアントにも誉めてもらえ、ホッとした。
そして、今日。なにも仕事が無い日を迎えた。昨日から息子が高熱を出してしまったので、丁度良かったのだが…。
ここ数週間。分刻みで、家事と仕事をこなしていて、その間に娘のレースが2回もあって。一日でいいから、ゆっくりしたいと思っていたけど。いざそうなると、なんか落ち付かない。
このまま仕事が来なくなったらどうしよう?なんて事まで頭をよぎる…。
私は、忙しい忙しいと愚痴を言っている位の方が合っているのかもしれない。根っからの、貧乏性なんだろう。
2004 02/18 10:01
Category : 日記
コラボレーションという言葉を最近良く耳にする。コラボレーションとは、「共同作
業」とか「共同製作」という意味である。特に最近では、普通に考えたらあまり一緒
に作業をすることはないと思われる人達、いわば異色な顔ぶれでの共同作業の場合に
良く使われているようだ。
私が良く買い物に行くスーパーでは、昼間は主婦パートさんがレジを担当し、夕方か
らは地元の高校の女子高生のアルバイトにバトンタッチする。休日は、その両方の人
達が交代で担当している。年中無休のそのスーパーは、パートに入ると土日のいずれ
かを出勤しなければならないせいか、パートさんの殆どが、50代以上の子どもを独立
させたくらいの年令の人達である。片や高校生の方は、茶髪でお化粧やピアスをして
る子も珍しくない、いわゆる「近頃の女子高生」といった感じである。
毎年、春の新入学のシーズンになると、新高校一年生だと思われる女の子達が、パー
トの方に教えてもらいながらレジの補助をしている光景が見られるようになる。夕食
の買い物客でごった返しているレジで、テキパキとした中高年の主婦パートさんと、
ぎこちない手つきの高校生のアルバイトの女の子がペアを組んでいる。教えるパート
さん達は、女子高生達が何か失敗しても、大らかに受けとめて余裕を持って指導して
いる様は、微笑ましい光景である。
そして、そろそろ学年末を迎えようという今頃の季節になると。高校生達は、すっか
り仕事に慣れ、余裕すら感じるようになる。時折、クレジットカードなどでのレジ決
済の方法がわからなくなったパートさんが、女子高生に教えてもらっていることもあ
る。「仕事」と言うこともあるのだろうが、教えてもらっているパートさん達は、
「年を取ると、物忘れが酷くて駄目ね。助かったわ、ありがとう」と、高校生に向っ
て丁寧にお礼を言っていた。
また、交替の時間になってもお客さんが途切れず帰れないでいるアルバイトの子のと
ころに、パートさんが飛んで来て、「後はいいから、早く帰っていいよ。おつかれ様
でした」という場面にも何度も出くわした。お互いが、お互いのことを良く理解し、
また気遣い、支えあっているのが良く分かる。
多分、普通に生活をしていたら、まともに口をきくことも無いだろうと思われる、2
つの世代の人達が、同じスーパーのレジでとても上手くコラボレーションしている。
中高年の主婦と、女子高生といえば、“オバタリアン”と呼ばれたり、“コギャル”
と呼ばれたりして。「非常識な行動が目立つ」などとワイドショーなどで非難をされ
ていることが多い。へたをすると、世間の殆どの中高年主婦や女子高生が、皆そんな
人達ばかりかのような錯覚に陥ってしまう。
しかし、そこのスーパーでこの2つの世代の人達を見る限りでは、そんなことはほん
の一握りの人達のことで、マスコミがおもしろおかしく騒ぎ立てているだけなのだろ
うと思える。そして、こうやって世代を超えて一緒に仕事をすることが出来る人達
が、まだ沢山いるのだから。日本と言う国もそんなに捨てたもんでもないな、とも私
は思う。
業」とか「共同製作」という意味である。特に最近では、普通に考えたらあまり一緒
に作業をすることはないと思われる人達、いわば異色な顔ぶれでの共同作業の場合に
良く使われているようだ。
私が良く買い物に行くスーパーでは、昼間は主婦パートさんがレジを担当し、夕方か
らは地元の高校の女子高生のアルバイトにバトンタッチする。休日は、その両方の人
達が交代で担当している。年中無休のそのスーパーは、パートに入ると土日のいずれ
かを出勤しなければならないせいか、パートさんの殆どが、50代以上の子どもを独立
させたくらいの年令の人達である。片や高校生の方は、茶髪でお化粧やピアスをして
る子も珍しくない、いわゆる「近頃の女子高生」といった感じである。
毎年、春の新入学のシーズンになると、新高校一年生だと思われる女の子達が、パー
トの方に教えてもらいながらレジの補助をしている光景が見られるようになる。夕食
の買い物客でごった返しているレジで、テキパキとした中高年の主婦パートさんと、
ぎこちない手つきの高校生のアルバイトの女の子がペアを組んでいる。教えるパート
さん達は、女子高生達が何か失敗しても、大らかに受けとめて余裕を持って指導して
いる様は、微笑ましい光景である。
そして、そろそろ学年末を迎えようという今頃の季節になると。高校生達は、すっか
り仕事に慣れ、余裕すら感じるようになる。時折、クレジットカードなどでのレジ決
済の方法がわからなくなったパートさんが、女子高生に教えてもらっていることもあ
る。「仕事」と言うこともあるのだろうが、教えてもらっているパートさん達は、
「年を取ると、物忘れが酷くて駄目ね。助かったわ、ありがとう」と、高校生に向っ
て丁寧にお礼を言っていた。
また、交替の時間になってもお客さんが途切れず帰れないでいるアルバイトの子のと
ころに、パートさんが飛んで来て、「後はいいから、早く帰っていいよ。おつかれ様
でした」という場面にも何度も出くわした。お互いが、お互いのことを良く理解し、
また気遣い、支えあっているのが良く分かる。
多分、普通に生活をしていたら、まともに口をきくことも無いだろうと思われる、2
つの世代の人達が、同じスーパーのレジでとても上手くコラボレーションしている。
中高年の主婦と、女子高生といえば、“オバタリアン”と呼ばれたり、“コギャル”
と呼ばれたりして。「非常識な行動が目立つ」などとワイドショーなどで非難をされ
ていることが多い。へたをすると、世間の殆どの中高年主婦や女子高生が、皆そんな
人達ばかりかのような錯覚に陥ってしまう。
しかし、そこのスーパーでこの2つの世代の人達を見る限りでは、そんなことはほん
の一握りの人達のことで、マスコミがおもしろおかしく騒ぎ立てているだけなのだろ
うと思える。そして、こうやって世代を超えて一緒に仕事をすることが出来る人達
が、まだ沢山いるのだから。日本と言う国もそんなに捨てたもんでもないな、とも私
は思う。
2004 02/18 08:43
Category : 日記
今、「13歳のハローワーク」(著者:村上 龍 挿し絵:はまの ゆか/幻冬社)と
いう本が売れているのをご存知だろうか。これは、1976年に『限りなく透明に近いブ
ルー』で第75回芥川賞を受賞した村上龍氏が、13歳という外国ではベビーシッター
のアルバイトなどをはじめて大人の入口に立ったと認識される年令以上の人達へ向け
て書いた、職業紹介の本である。この本が今、あらゆる年代人達に読まれている。
本の帯には、「いい学校を出て、いい会社に入れば安心」という時代は終わりまし
た。好きで好きでしょうがないことを職業として考えてみませんか?」と書いてあ
る。先日テレビのインタビューで、村上氏自身も「終身雇用制の崩れた今だから、い
ろんな職業を紹介してみようと思った」と答えていた。しかし、子どもを持つ親達の
大半は、いまだに「良い学校=良い会社=安定して裕福な暮らし」という図式から離
れられずにいる。その証拠に有名私立中学の受験には、未だに多くの子ども達が殺到
している。
しかし反面では、ゆとり教育の弊害により子ども達の学力低下も問題になっている。
本来は、一つ一つの事にゆとりを持って勉強できるようになるように、完全週5日制
になりと学習内容も3割削減が実施されたはずであった。しかし、それが子ども達の
学力低下に繋がってしまったのだ。このことが、年頃の子どもを持つ親たちに、ゆと
り教育に不信感を抱かさせる事になった。
2月1日の読売新聞の地方版にも興味深い記事が載っていた。それは、横浜にある横
浜中華学院(横浜市中区山下町 江再郷校長)に、日本人の入学希望者が急増してい
るという記事だった。記事には「急速な経済発展が続き、日本企業の進出が進む中国
を意識し、中国語教育などを特色とする同学院で学ばせたいという親が増え、2005年
4月の新入生からは入学試験制度の導入を予定している」―2004年2月1日 読売新
聞 地域面より―とある。同学院は、孫文が華僑子弟のために1874年に設立した「中
西学校」を前身とし、全国にある華僑学校の中では最も古い歴史を誇ると言う。
幼稚園から日本の高校に当たる学年までの学校がある。そのうち日本人の入学希望が
多いのが、幼稚園と小学部。小学部では約100人の児童のうち3割近く、幼稚園では
約60人の園児内の半数を超える子ども達が日本人児童だという。ここでは週8時限が
中国語の授業で、日本語(週4―5時限)の倍近く用意されている。江校長は、「日
本のゆとり教育への反発も急増の一員ではないか」と述べている。
こうして見ると、独自の教育方法で授業を進めていく都心の私立の学校と、地方の学
校や公立学校とに通う生徒の格差は広がっていくばかりになる。政府がいかに「ゆと
り教育」を唱えようと、その内容親が不信感を抱いたり、上記のような「良い学校に
行けば」という図式から離れられなければ、辛い受験勉強をさせても良い学校に行か
せようという親心に変化が訪れるはずもない。結果としてゆとり教育は子ども達の未
来に何ももたらさない事になる。
表面的なことばかりではなく、今の子ども達に一番必要なことは何なのか。子ども達
が大人になった時に本当に子ども達のためになる教育とは何なのか。それをきちんと
見直した上で、ゆとり教育の見直しもして欲しいと思う。
いう本が売れているのをご存知だろうか。これは、1976年に『限りなく透明に近いブ
ルー』で第75回芥川賞を受賞した村上龍氏が、13歳という外国ではベビーシッター
のアルバイトなどをはじめて大人の入口に立ったと認識される年令以上の人達へ向け
て書いた、職業紹介の本である。この本が今、あらゆる年代人達に読まれている。
本の帯には、「いい学校を出て、いい会社に入れば安心」という時代は終わりまし
た。好きで好きでしょうがないことを職業として考えてみませんか?」と書いてあ
る。先日テレビのインタビューで、村上氏自身も「終身雇用制の崩れた今だから、い
ろんな職業を紹介してみようと思った」と答えていた。しかし、子どもを持つ親達の
大半は、いまだに「良い学校=良い会社=安定して裕福な暮らし」という図式から離
れられずにいる。その証拠に有名私立中学の受験には、未だに多くの子ども達が殺到
している。
しかし反面では、ゆとり教育の弊害により子ども達の学力低下も問題になっている。
本来は、一つ一つの事にゆとりを持って勉強できるようになるように、完全週5日制
になりと学習内容も3割削減が実施されたはずであった。しかし、それが子ども達の
学力低下に繋がってしまったのだ。このことが、年頃の子どもを持つ親たちに、ゆと
り教育に不信感を抱かさせる事になった。
2月1日の読売新聞の地方版にも興味深い記事が載っていた。それは、横浜にある横
浜中華学院(横浜市中区山下町 江再郷校長)に、日本人の入学希望者が急増してい
るという記事だった。記事には「急速な経済発展が続き、日本企業の進出が進む中国
を意識し、中国語教育などを特色とする同学院で学ばせたいという親が増え、2005年
4月の新入生からは入学試験制度の導入を予定している」―2004年2月1日 読売新
聞 地域面より―とある。同学院は、孫文が華僑子弟のために1874年に設立した「中
西学校」を前身とし、全国にある華僑学校の中では最も古い歴史を誇ると言う。
幼稚園から日本の高校に当たる学年までの学校がある。そのうち日本人の入学希望が
多いのが、幼稚園と小学部。小学部では約100人の児童のうち3割近く、幼稚園では
約60人の園児内の半数を超える子ども達が日本人児童だという。ここでは週8時限が
中国語の授業で、日本語(週4―5時限)の倍近く用意されている。江校長は、「日
本のゆとり教育への反発も急増の一員ではないか」と述べている。
こうして見ると、独自の教育方法で授業を進めていく都心の私立の学校と、地方の学
校や公立学校とに通う生徒の格差は広がっていくばかりになる。政府がいかに「ゆと
り教育」を唱えようと、その内容親が不信感を抱いたり、上記のような「良い学校に
行けば」という図式から離れられなければ、辛い受験勉強をさせても良い学校に行か
せようという親心に変化が訪れるはずもない。結果としてゆとり教育は子ども達の未
来に何ももたらさない事になる。
表面的なことばかりではなく、今の子ども達に一番必要なことは何なのか。子ども達
が大人になった時に本当に子ども達のためになる教育とは何なのか。それをきちんと
見直した上で、ゆとり教育の見直しもして欲しいと思う。
2004 02/04 11:26
Category : 日記
早いもので、今年ももう節分を迎えてしまった。節分の行事といえば、豆まきであ
る。我家にも数年前まで節分に鬼が来ていた。当時娘が通っていた学童ホールのOG・
OBの保護者の方が、鬼になって廻ってくれていたのだ。
始まりは、もう10年前くらいのことらしい。その当時学童ホールに通っていた子供
達の家を、その学童ホールに子どもを通わせている保護者の中の有志で、鬼役になり
廻り始めたのだ。その後、自分たちの子供達が学童ホールを卒室しても鬼は廻ってい
た。もう鬼達にとっては、節分に子ども達の元を襲撃することが年中行事と化してい
たのだ。
そのうち鬼も衣装に凝り始め年々派手になっていった。自前のかなり派手な鬼の格好
で街中の学童ホールに通う子供達の家を廻っていたため、途中で交番のおまわりさん
に呼びとめられたことも何度もあったという。
しかし、そのうち鬼の子供達が成長し、行く先々でまるでマシンガンのような勢いの
豆攻撃に遭うようになり、当たった豆の痛さに鬼が泣くこともしばしば起こるように
なった。あるご家庭に行った時には。玄関を開けた途端、玄関先で待ち構える子ども
達の大きさとその気迫に恐怖を感じた鬼が、慌ててドアを閉めて逃げ出したこともあ
り、一時はもう止めようかと思ったという。
鬼達にとっては年中行事と化しているのに、肝心の廻る先が無くなって来てしまった
のだった。そこで、自分の子供達の後輩にあたる、今学童ホールに通っている子ども
達の元にターゲットを変える事にした。そうして鬼達はまた、自分たちを恐いながら
も心待ちにしてくれる、新たな子ども達のことを襲撃しに行く事になった。我家の子
供達が学童ホールに入室したのは、丁度そんなころだった。あるお父さんから、「も
し良かったら、節分に鬼が廻っているんだけど、お宅もどう?」と声を掛けられた。
当時我家の娘が小学校1年生。息子は保育園だったので、喜んで鬼にきてもらった。
玄関から大きな掛け声と共に乱入してくる鬼達に向かって、子供達はちょっとビクビ
クしながらも、一生懸命豆を投げる。すると鬼達はその子ども達の勢いに降参し、最
後には降参した証拠に一緒に写真を撮って仲直りする。というストーリである。
当時保育園に通っていた息子は鬼が来るまでは元気が良く。口に一杯豆をほおばりな
がら、「オレが鬼をやっつけてやるんだ!」などと言っていたにも係わらず、鬼が来
た途端に、泣きながら押入れに逃げ込んでしまい。最後にいくら鬼が「降参したか
ら、一緒に写真を撮ろう」と声を掛けても出てこなかった。
それから数年が経ち、学区内に大きなマンションが数棟建った。すると、鬼は引っ張
りだこになり、各家庭には廻り切れなくなってしまった。そこで、マンションの集会
室を借りて合同豆まき会が開かれるようになった。
今年も鬼は、自前の派手な衣装で交番のおまわりさんにうさんくさい顔をされながら
も、意気揚揚とマンションの集会室の子供達にやっつけられにやってくる。
る。我家にも数年前まで節分に鬼が来ていた。当時娘が通っていた学童ホールのOG・
OBの保護者の方が、鬼になって廻ってくれていたのだ。
始まりは、もう10年前くらいのことらしい。その当時学童ホールに通っていた子供
達の家を、その学童ホールに子どもを通わせている保護者の中の有志で、鬼役になり
廻り始めたのだ。その後、自分たちの子供達が学童ホールを卒室しても鬼は廻ってい
た。もう鬼達にとっては、節分に子ども達の元を襲撃することが年中行事と化してい
たのだ。
そのうち鬼も衣装に凝り始め年々派手になっていった。自前のかなり派手な鬼の格好
で街中の学童ホールに通う子供達の家を廻っていたため、途中で交番のおまわりさん
に呼びとめられたことも何度もあったという。
しかし、そのうち鬼の子供達が成長し、行く先々でまるでマシンガンのような勢いの
豆攻撃に遭うようになり、当たった豆の痛さに鬼が泣くこともしばしば起こるように
なった。あるご家庭に行った時には。玄関を開けた途端、玄関先で待ち構える子ども
達の大きさとその気迫に恐怖を感じた鬼が、慌ててドアを閉めて逃げ出したこともあ
り、一時はもう止めようかと思ったという。
鬼達にとっては年中行事と化しているのに、肝心の廻る先が無くなって来てしまった
のだった。そこで、自分の子供達の後輩にあたる、今学童ホールに通っている子ども
達の元にターゲットを変える事にした。そうして鬼達はまた、自分たちを恐いながら
も心待ちにしてくれる、新たな子ども達のことを襲撃しに行く事になった。我家の子
供達が学童ホールに入室したのは、丁度そんなころだった。あるお父さんから、「も
し良かったら、節分に鬼が廻っているんだけど、お宅もどう?」と声を掛けられた。
当時我家の娘が小学校1年生。息子は保育園だったので、喜んで鬼にきてもらった。
玄関から大きな掛け声と共に乱入してくる鬼達に向かって、子供達はちょっとビクビ
クしながらも、一生懸命豆を投げる。すると鬼達はその子ども達の勢いに降参し、最
後には降参した証拠に一緒に写真を撮って仲直りする。というストーリである。
当時保育園に通っていた息子は鬼が来るまでは元気が良く。口に一杯豆をほおばりな
がら、「オレが鬼をやっつけてやるんだ!」などと言っていたにも係わらず、鬼が来
た途端に、泣きながら押入れに逃げ込んでしまい。最後にいくら鬼が「降参したか
ら、一緒に写真を撮ろう」と声を掛けても出てこなかった。
それから数年が経ち、学区内に大きなマンションが数棟建った。すると、鬼は引っ張
りだこになり、各家庭には廻り切れなくなってしまった。そこで、マンションの集会
室を借りて合同豆まき会が開かれるようになった。
今年も鬼は、自前の派手な衣装で交番のおまわりさんにうさんくさい顔をされながら
も、意気揚揚とマンションの集会室の子供達にやっつけられにやってくる。