書初め
一般的には、1月2日を書初めの日としているが、この日を書初めの日とするように
なったのは、古来宮中において「吉書始の式」がこの日行われ、若水で墨をすり、芽
出たい名歌名文を書いたのが起源とされている。江戸時代の寺小屋では正月五日の講
義開きの日に縁起が良いとされている詩歌の詞を清書する習わしがあったという。そ
の風習を今の学校教育にも取り入れているのか、小学生の冬休みの宿題と言えば「書
初め」である。

新しい年の初めに、普段とは違う大きな半紙にその年の目標などを書くということ
は、毛筆の上達を願うだけではなく大きな意味があると思う。心を落ち付けて、大き
く白い紙の上に、真っ黒な墨の付いた筆を走らせて行くことは、自分と向きあうこと
の出来る瞬間でもあると思う。しかし、普段習字を習っていない我家の子ども達に
とっては、「単なる冬休みの宿題」でしかなく。煩わしく面倒臭いもの以外の何物で
もないようで、なかなか手をつけようとはしない。

年が明け、短い冬休みの終わりが近づいていた。私は、連日外に遊びに出掛ける息子
に向って「書初めの宿題はイツやるの」と小言を言った。すると息子が、「じゃあ、
今日の午後にやるから場所を作ってよ」と言い残して出掛けて行った。書初めをする
には、最低でも畳一帖分ぐらいのスペースを用意する必要がある。しかし、我家はマ
ンション暮らしで殆どが洋間なので、なかなかそのスペースを確保するのは難しかっ
た。子ども部屋は、子ども達の勉強机やベッドで一杯だし、私達の寝室もベッドが
あって、書初めをするどころの騒ぎではない。リビングには、畳2帖ほどの床を確保
出きるのだが、いくら周りに新聞紙を敷いたとしても、そこで墨を使って書初めをさ
せることに、私は抵抗があった。

もう少し広い床を確保できないかと思案してみた。しかし、リビングに置いてある、
ダイニングテーブルもソファーも簡単に動かすことが出来なかった。昨年まではどう
していたんだっけと思い返してみると、リビングにソファーが置いていなかったこと
に気がついた。たいした大きさのソファーではないのだが、あるのとないのでは、差
が大きかった。しかし、現状ではこのリビングの狭いスペースに新聞紙を敷いて書か
せるしかなかった。仕方がなく私は、出来るだけ場所を確保できるようにと、動かす
ことの出来る家具を移動して、息子の書初め用の場所を作った。

昼食を食べに帰って来た息子は、私の顔を見るなり「家じゃ狭いから、書初めは友達
の家ですることになったから」と言った。話を聞いてみると、書初めをする為の場所
を確保するのに苦労していたのは我家だけではなかったらしい。いっしょに遊んでい
た仲間の子が「どうしよう」と言い出したのを聞いて、遊びに伺っていたお宅のお母
さんが「じゃあ家でいっしょにやれば」と言ってくれたのだという。たまたまそこの
お宅には広めの和室があり、2〜3人が書初めを出来るスペースがあったらしい。そ
この子も、一人でやってもつまらないからいっしょにやろうよと、息子も誘われたの
だ。早速私は、先方のお母さんに電話をして、手数をかけてしまうことに対しての礼
を述べた。

確かに和室であれば、普段は居間として使っている部屋でも、食卓を端に寄せ座布団
も重ねてしまえば部屋を広く使うことが出来る。もちろんベッドと違い、布団は朝に
なれば押入れにしまう。つまり、一つの部屋が食事をする部屋にも、寝室にもなるわ
けである。息子を送り出してから、いつもより少しだけ広くなったリビングの床に
座って、和室という先人達の知恵が詰まった部屋の偉大さを実感していた。