少子化時代のこどもと社会:「子ども達の目に映るもの」
これは先日のこと、中1の娘と小5の息子と一緒に買い物に出掛けた。思ったよりも
時間が掛かってしまい、丁度夕方のラッシュ時と帰宅の時間が重なってしまい、始発
駅から乗車したにもかかわらず、電車はすでに寿司詰め状態だった。雨が降っていた
ために車内の湿度は高く、むれ臭い雨の匂いと汗の匂いが車内には立ち込めて、不快
指数100%といった感じだった。

もう少しで発車のベルが鳴るという時、近くで赤ちゃんがグズル声が聞こえ始めた。
大人でも、思わず眉をひそめたくなるような状況なので、赤ちゃんがグズルのも無理
は無いだろうと私は思ったが、周りの乗客達の眉間のしわはますます深くなり、中に
は赤ちゃんがどこにいるのかと周りを伺う人や、大きな咳払いをする人もいた。する
と、隣りにいた子ども達が私にこんなことを聞いてきた。

「ママ、どうして赤ちゃん泣いているんだろうね?」「もう夕方だから、お腹空いた
のかな?それとも、眠いのに、こんなに暑いしジメジメしているから、寝られなくて
グズっているのかもね?」それを聞いた子ども達は、「そうだね、可愛そうだね〜」
そういって視線を落とした。子ども達の視線の先を見ると、隣りに立っている人の間
から、座席にいる赤ちゃんの姿が見えた。

お母さんは、周りを気にして一生懸命赤ちゃんをあやしている。しかし、狭い膝の上
で窮屈な思いをしているせいか、赤ちゃんが泣き止む様子は無かった。どこからか、
「こんな時間に赤ん坊を連れて歩かなくても」という声も聞こえた。子ども達は、そ
の声をしたほうを振り向いて、グッと睨んでいた。子ども達は、その心無い声に腹が
立ったのだろう。発車のベルが鳴り止むころ、数人の乗客が駆け込んで来たために、
私達親子は、グズル赤ちゃんの目の前の位置までグッと押し込まれた。電車が走り出
して程なく、いきなり赤ちゃんがグズルのを止めた。「あれ?」と思って見てみる
と、子ども達が、二人掛りで赤ちゃんのことをあやしていた。

声を出さずに、そっと顔を隠したり、ニッコリ笑ったりしては赤ちゃんの顔をかわり
がわり覗き込んでいる。二人で順番に覗きこまれるのが面白かったのだろう、赤ちゃ
んのご機嫌はすっかり直り、息子に向って手を伸ばしたりしては笑っていた。降車駅
になり、子ども達が赤ちゃんにバイバイをすると、お母さんが「ありがとうございま
した」と丁寧にお礼を言ってくれた。

駅からの帰り道、子ども達が私に車内での出来事を振りかえってこんなことを言っ
た。「あの赤ちゃんのお母さん(赤ちゃんがグズって)スゴク困っていたのに、、周
りの人達は迷惑な顔をするだけで、誰も助けてあげようとしなかったのが腹が立った
んだ。赤ちゃんが泣くのは仕方が無いことだし、お母さんが悪いわけでもないのに」
そして、その後「昔、ママも同じように大変だったんでしょ?」と続けた。

そう言えば、私も子ども達が小さい頃同じような思いをしたことがあった。子ども達
にせがまれるまま、小さい頃の話しをしていた時に、私がそんな話しもしたのだろ
う、それを覚えていた子ども達には、あのグズっている赤ちゃんのことも困っている
お母さんのことも放って置けなかったのだ。

我家では、子ども達に、自分達が育って来る過程での様々な事柄を話して聞かせるこ
とが良くある。多少私の愚痴も混ざってはいるのだが、子ども達なりにその話しを聞
いて思うところがあったのだろう、それが今回の行動に繋がったのだと思う。すべて
の人が同じ行動をとることが良いと思うわけではないが、今の社会にはどこか優しさ
が欠けているような気がする、それを子ども達が感じたことも確かだと思う。子ども
は母親の影響だけを受けて育つのではない。今の社会の有り方も、子ども達の行動に
深く関わってくるのだということを、大人の人達にも自覚してもらいたいと思う。