少子化時代のこどもと社会:「リアルとバーチャル(オリーブニュースより)
今、子ども達を取り巻く環境には、リアルな部分がとても少ない。街中では、緑が少
なくなり、私が子どもの頃からしたら蝉の声もすくなり、トンボの姿を見かけること
も少なくなった。小さいころから、土に触る機会も少なく、触ろうとすると「汚いか
らダメ」と言われる。子ども同志のちょっとした小競り合いの中で、ぶったりぶたれ
たりという形でもコミュニケーションをとり、打たれた相手の痛さを知り、打った方
の心にも痛みを感じながら育ち、手加減や限度を覚えて行くはずなのだが。実際は、
構えただけでも親に止められ、「打ったら痛いからだめよ」とこれも想像の中だけで
説教をされる。つまり、あらゆる場面でリアルに接する機会を持たずに育って来てし
まうのだ。

これは5年位前の事、当時娘は小学2年生で息子はまだ保育園児だった。夕飯の買い
物の帰り道での事。押し合いをしてふざけあっていた子ども達は、だんだんエスカレ
ートし、車道の横に白線が引いてあるだけの歩道を歩いているにも関わらず、お互い
の体を突き飛ばし始めた。「車が来たら危ないから止めなさい」と何度注意をしても
また始める。仕方が無いので私は子ども達に「君達は今日は夕飯抜きね!」といっ
た。驚いた子ども達は「なんで?なんで?」と聞いてきた。「だって、危ないのを分
かってて、注意されてもまだやるっていうことは、命が要らないって事でしょ?要ら
ない命に御飯を食べさせても勿体無いから、御飯は食べなくていいから」と私。子ど
も達はすっかり大人しくなり、しばらく何かを考えているようだった。しばらくして
「やっぱ、命要るから夕飯食べたい〜。お腹すいたよ」と泣き出した。(少し言い過
ぎたかな?)とは思ったが、いくら頭で「命を大切にしろ」と言っても、実感が伴わ
ずにどうしたら良いのかを判断する事ができないでいたのだ。それからは、ふざける
ことがあっても、軽く注意するだけで、自分で行動を制御する事が出来るようになっ
た。

そしてこれは先日の事。私はある取材で横須賀に行くことになった。子どもを同行さ
せても良い場所だったので、夏休み中の小学5年の息子を連れ、友人親子にも声をか
けて一緒に行くことにした。取材を終えてから、三笠公園に立ち寄った。ここは、日
露戦争中に活躍した、軍艦三笠が修復されて保存されているので有名な公園なので、
三笠を観ることにしたのだ。初めて、本物の戦艦を見て、その大きさに圧倒されなが
ら、「うわ〜、カッコイイ!」と息子達は大騒ぎだった。

私が子どもの頃は、三笠はまだ水に浮いていたのだが、現在は陸に上げられ、被弾し
た跡は修復した壁に赤いペンキで印が付けられ、周りには、被弾した際に穴が空いて
しまった、6cm以上もあるような鉄板などが展示さていた。内部は資料館になって
いて、実際に使用したデッキや、ボロボロになった軍服などが展示されていた。普段
息子は、バーチャルな戦争ゲームなどで良く遊んでいた。しかし、実際の戦争の傷跡
を目の当たりにしていくうちに、次第に息子の表情が真剣に変わっていくのが分かっ
た。

三笠からの帰り道、私は息子に感想を聞いてみた。すると息子は、じっと前を見据え
ながら「戦争は恐いと思ったし、絶対嫌だ!って思ったよ。戦艦はカッコ良かったけ
ど、それだけじゃないんだよね、戦争は」そういってから私の方を見上げた。私が頷
くと、息子はまた前を見て、自分でも確認するように頷いていた。

もう60年近くも前の事になってしまった第2次世界大戦。私達は、それを経験した
自分の親達から話しを聞き、戦争の怖さを教えられた。しかし、実際には戦争を体験
していない私達が、子ども達にその恐さを伝えていくには、伝え聞いた体験談を話す
しかなく、リアルさに欠ける気がしていたのだが、今回の三笠見学は、そのギャップ
を一度に埋めてくれた気がした。もうすぐ、終戦記念日が来る。悲劇を再び起こさな
いためにも、夏休みの1日を使って戦争の恐ろしさを実感するのも良いのではないと
思う。