2003 05/29 08:36
Category : 日記
最近の離婚率の増加を反映してか、我家の子ども達の周りでも苗字が変わる子ども達
が増えて来た。中には数回変わった子も居る。先日も、息子の友達の苗字が変わった。
しばらくしてから、息子たちがその友達の話をしていた、「○○の新しいお父さんっ
て、優しいけど“エロ”なんだってさ」「“エロ”ってなに?」と私は息子に聞き返
した。息子は「なんかね○○の幼稚園の年中になる弟が、そう言ってたんだ」と言っ
た。もう一度息子に話を聞いてみると、その子の新しいお父さんはゲーム機でもなん
でも買ってくれる優しいお父さんなのだが、“エロ”なんだそうだ。たぶん子ども達
の言う“エロ”とは、私達が子どもの頃に使っていた“エッチ”に相当するものらし
い。“エロ”という言葉の意味は、息子たちも余りよく分かってはいないようで突き
詰めて聞くと、「そう言ってたんだもん、オレにも良く分からないよ」とお茶を濁さ
れてしまった。
「なんでも買ってくれる=優しい」という子ども達の価値観に、危うさを感じてし
まった。しかし、それよりも私は“エロ”という言葉に反応してしまった。大人達の
どんな行動を示して“エロ”と称していているのかは、結局分からなかったが、新婚
さんなので、それなりに仲が良いのだろうと大体の想像は付く。新しいお父さんに優
しく(いろいろ買ってもらっている)されている分、はっきり「嫌」だとは言えなく
て、“エロ”という言葉を使ったのではないだろうか。その大人達の行動を子ども達
は、とても冷めた目で見つめているのだ。そう考えると、“エロ”という言葉を使わ
ざるを得なかった幼稚園児の心に差した影を見たような気がした。
しかしその子に差した心の影は、その子に接した周りの子ども達にも及んでいるので
はないかと思う。息子は友達の話を終える時に、「もしママが離婚したいと思った
ら、離婚はしてもいいけど、名前を急に変えるのは嫌だ」と私に言った。名前が代わ
ることで、当然人生も変えなくてはならなくなる。苗字が変わるという事は、結婚を
した女性なら経験する事であるが、自分から望んで苗字が代わったにも係わらず、今
までとは違う名前で呼ばれることに、最初は当惑したり、今までの自分とは違う人格
になってしまったような錯覚まで覚えることがある。大人達の都合で名前を変えざる
を得なかった子ども達は、突然今までの自分の人格を剥ぎ取られ、別の人格を貼りつ
けられてしまったような気持ちになのかもしれない。離婚をするには、それなりの事
情があるはずだ。子どもなりにその事情を受けとめる努力はするが、自分の人格まで
は奪わないで欲しい、そんな想いを抱えている仲間達を見てきて、息子なりにそう
思ったのだろう。
幼稚園児の小さな心の中に差した影に、親たちは気付いているのだろうか。物を与え
ることでしか、優しさや愛情を表現したり、伝えたり出来ないのだろうか。
現代を生きる子ども達の置かれている状況は、大人達が思うよりも厳しいものなのか
もしれない、その厳しさが大人達の行動を見つめる子ども達の視線の冷たさに現れて
いるように感じられた。
が増えて来た。中には数回変わった子も居る。先日も、息子の友達の苗字が変わった。
しばらくしてから、息子たちがその友達の話をしていた、「○○の新しいお父さんっ
て、優しいけど“エロ”なんだってさ」「“エロ”ってなに?」と私は息子に聞き返
した。息子は「なんかね○○の幼稚園の年中になる弟が、そう言ってたんだ」と言っ
た。もう一度息子に話を聞いてみると、その子の新しいお父さんはゲーム機でもなん
でも買ってくれる優しいお父さんなのだが、“エロ”なんだそうだ。たぶん子ども達
の言う“エロ”とは、私達が子どもの頃に使っていた“エッチ”に相当するものらし
い。“エロ”という言葉の意味は、息子たちも余りよく分かってはいないようで突き
詰めて聞くと、「そう言ってたんだもん、オレにも良く分からないよ」とお茶を濁さ
れてしまった。
「なんでも買ってくれる=優しい」という子ども達の価値観に、危うさを感じてし
まった。しかし、それよりも私は“エロ”という言葉に反応してしまった。大人達の
どんな行動を示して“エロ”と称していているのかは、結局分からなかったが、新婚
さんなので、それなりに仲が良いのだろうと大体の想像は付く。新しいお父さんに優
しく(いろいろ買ってもらっている)されている分、はっきり「嫌」だとは言えなく
て、“エロ”という言葉を使ったのではないだろうか。その大人達の行動を子ども達
は、とても冷めた目で見つめているのだ。そう考えると、“エロ”という言葉を使わ
ざるを得なかった幼稚園児の心に差した影を見たような気がした。
しかしその子に差した心の影は、その子に接した周りの子ども達にも及んでいるので
はないかと思う。息子は友達の話を終える時に、「もしママが離婚したいと思った
ら、離婚はしてもいいけど、名前を急に変えるのは嫌だ」と私に言った。名前が代わ
ることで、当然人生も変えなくてはならなくなる。苗字が変わるという事は、結婚を
した女性なら経験する事であるが、自分から望んで苗字が代わったにも係わらず、今
までとは違う名前で呼ばれることに、最初は当惑したり、今までの自分とは違う人格
になってしまったような錯覚まで覚えることがある。大人達の都合で名前を変えざる
を得なかった子ども達は、突然今までの自分の人格を剥ぎ取られ、別の人格を貼りつ
けられてしまったような気持ちになのかもしれない。離婚をするには、それなりの事
情があるはずだ。子どもなりにその事情を受けとめる努力はするが、自分の人格まで
は奪わないで欲しい、そんな想いを抱えている仲間達を見てきて、息子なりにそう
思ったのだろう。
幼稚園児の小さな心の中に差した影に、親たちは気付いているのだろうか。物を与え
ることでしか、優しさや愛情を表現したり、伝えたり出来ないのだろうか。
現代を生きる子ども達の置かれている状況は、大人達が思うよりも厳しいものなのか
もしれない、その厳しさが大人達の行動を見つめる子ども達の視線の冷たさに現れて
いるように感じられた。