2010年10月の記事
2010 10/28 11:42
Category : 日記
<<インドネシア>>--バリ島--
バリ島のワヤン君から、最近のワヤン一家の家族写真が送られて来た。
ユウゴ君を中心に、楽しそうな心温まる家族写真である。
そのユウゴ君も、すっかり子供らしくなって、確りした賢そうな顔立ちになって来たようである。
ワヤン君も父親となり、少しパパらしくなったようであり、奥さんも主婦らしくなってきた。
子煩悩なワヤン君は、明けても暮れてもユウゴ君のことで、彼のページが埋め尽くされている。
お寺に一家でお参りに行った時の写真だとの事だが、信心深い彼等はユウゴ君を小さい時から、お参りに連れて行っているようである。
こうしてバリの人たちは、平和に暮らせる幸せを、神に感謝することを日課にしているようである。
バリ島のワヤン君から、最近のワヤン一家の家族写真が送られて来た。
ユウゴ君を中心に、楽しそうな心温まる家族写真である。
そのユウゴ君も、すっかり子供らしくなって、確りした賢そうな顔立ちになって来たようである。
ワヤン君も父親となり、少しパパらしくなったようであり、奥さんも主婦らしくなってきた。
子煩悩なワヤン君は、明けても暮れてもユウゴ君のことで、彼のページが埋め尽くされている。
お寺に一家でお参りに行った時の写真だとの事だが、信心深い彼等はユウゴ君を小さい時から、お参りに連れて行っているようである。
こうしてバリの人たちは、平和に暮らせる幸せを、神に感謝することを日課にしているようである。
2010 10/23 21:17
Category : 日記
<<インド>>--アグラ--
太陽を避けてタージ・マハルの日陰で、休憩をする人々の様子。
此処の霊廟を一回りする時の暑さは半端ではなかった。
気温が40度の酷暑に加え、湿度が物凄く高い、ふらふらしながらこの日陰に辿り着いた時には、流石に観光客達もばてているようで、ひんやりとした大理石の上で、横になったり、汗を拭いたりして一休みしている人々が居た。
現地人のガイドらしき男もこの有様である。
私が海外を旅して、猛暑を体験したのは、此処のタージ・マハルを観光した時と、カンボジアの遺跡巡りをした時であった。
カンボジアを訪れたのは5月の連休の時であったが、カンボジアではその頃が一番暑い時であると知ったのは、後日の事であった。
此処のタージ・マハルもそうであるが、首に巻いたタオルが、絞ると汗が滴り落ちたのを思い出すのである。
太陽を避けてタージ・マハルの日陰で、休憩をする人々の様子。
此処の霊廟を一回りする時の暑さは半端ではなかった。
気温が40度の酷暑に加え、湿度が物凄く高い、ふらふらしながらこの日陰に辿り着いた時には、流石に観光客達もばてているようで、ひんやりとした大理石の上で、横になったり、汗を拭いたりして一休みしている人々が居た。
現地人のガイドらしき男もこの有様である。
私が海外を旅して、猛暑を体験したのは、此処のタージ・マハルを観光した時と、カンボジアの遺跡巡りをした時であった。
カンボジアを訪れたのは5月の連休の時であったが、カンボジアではその頃が一番暑い時であると知ったのは、後日の事であった。
此処のタージ・マハルもそうであるが、首に巻いたタオルが、絞ると汗が滴り落ちたのを思い出すのである。
2010 10/17 10:12
Category : 日記
<<インド>>--アグラ--
ヤムナー川を隔てた、アグラ城の牢獄から眺めるタージ・マハルの全景。
タージ・マハルを建立に、22年という歳月と、莫大な費用を費やしてしまった皇帝シャー・ジャハーンは、自分の息子に王位を奪われ、このアグラ城に幽閉されてしまったのだ。
彼は、この牢獄の格子窓から、自分が建てたこのタージ・マハルを毎日眺めながら、亡き最愛の王妃を思いつつ、死んで行ったという。
この国家経済を危うくした霊廟が、現代になって世界遺産として、インドの象徴のように崇められるのだから、何とも皮肉な話である。
ヤムナー川を隔てた、アグラ城の牢獄から眺めるタージ・マハルの全景。
タージ・マハルを建立に、22年という歳月と、莫大な費用を費やしてしまった皇帝シャー・ジャハーンは、自分の息子に王位を奪われ、このアグラ城に幽閉されてしまったのだ。
彼は、この牢獄の格子窓から、自分が建てたこのタージ・マハルを毎日眺めながら、亡き最愛の王妃を思いつつ、死んで行ったという。
この国家経済を危うくした霊廟が、現代になって世界遺産として、インドの象徴のように崇められるのだから、何とも皮肉な話である。
2010 10/03 09:56
Category : 日記
<<インド>>--アグラ--
タージ・マハルの裏手を流れるヤムナー川の光景。
このヤムナー川の左手はるか彼方に、アグラ城が微かに見える。
タージ・マハルを建立した嘗ての皇帝シャー・ジャハーンは、亡き最愛の王妃ムムターズ・マハルのために、22年という歳月と、世界各地から資材や人材を集めてこの霊廟を建設したため、国家が傾くほどの莫大な費用を掛けてしまった。
そのため、自分の息子に王位を奪われ、彼は息子によって国状を危うくしたとして、アグラ城に幽閉されてしまったのだ。
皇帝は、アグラ城に幽閉された後も、牢獄の格子窓から、自分が建てたこのタージ・マハルを毎日眺めながら、亡き王妃を思いつつ、死んで行ったという。
今は、このタージ・マハルの霊廟に王妃と並んで、彼の遺体も安置されているのである。
正に世界一の費用を費やした恋愛物語と言う事が出来ようか。
タージ・マハルの裏手を流れるヤムナー川の光景。
このヤムナー川の左手はるか彼方に、アグラ城が微かに見える。
タージ・マハルを建立した嘗ての皇帝シャー・ジャハーンは、亡き最愛の王妃ムムターズ・マハルのために、22年という歳月と、世界各地から資材や人材を集めてこの霊廟を建設したため、国家が傾くほどの莫大な費用を掛けてしまった。
そのため、自分の息子に王位を奪われ、彼は息子によって国状を危うくしたとして、アグラ城に幽閉されてしまったのだ。
皇帝は、アグラ城に幽閉された後も、牢獄の格子窓から、自分が建てたこのタージ・マハルを毎日眺めながら、亡き王妃を思いつつ、死んで行ったという。
今は、このタージ・マハルの霊廟に王妃と並んで、彼の遺体も安置されているのである。
正に世界一の費用を費やした恋愛物語と言う事が出来ようか。