2008 08/06 16:55
Category : 日記
[ コニー・フランシス ] Connie Francis
♪ 大人になりたい ( Too Many Rules ) ♪
♪ カラーに口紅 ( Lipstick On Your Collar ) ♪
♪ 可愛いベイビー ( Pretty Little Baby ) ♪
♪ バケーション ( Vacation ) ♪
♪ ボーイハント ( Where the boy's are ) ♪
♪ 間抜けなキューピッド ( Stupid Cupid ) ♪
・・・・・
1938年12月12日ニュー・ジャージー州生まれ。
本名、コンスタンス・フランコネロ。
はじめて音楽に接したのは3才の頃で、地元のクラブやイベントに参加。
11才の時にテレビ番組等に出演。
又タレント・スカウト・ショウに出場、
見事優勝してプロ・シンガーとしての第一歩を踏み出す。
コニー・フランシスというステージ・ネームもこの時につけられたもの。
コニーが17才の時、MGMとの契約が成立した。
念願のレコード・デビューをはたした彼女だったが、
その前途は決して明るいものではなかった。
以後発表された曲がことごとくヒットせず、
およそ2年間にわたってコニーは低迷を余儀なくされる。
そんな矢先 「フーズ・ソリー・ナウ」が4位まであがる大ヒットとなり、
コニー・フランシスの名は一躍アメリカ中に広まった。
待望久しかったスター・シンガーの仲間入りをはたすと同時に、次々と大ヒットを連発。
その勢いはとどまることを知らず、またたく間に全米ポップ・シーンの女王にのしあがる。
女性シンガーではプレンダ・リーをしのいでトップに位置している。
ポール・アンカやニール・セダカもかなわない、
名実ともに ”ポップス・クィーン”にふさわしい。
1960年代、日本で最もポピュラーな外国人女性ポップ歌手といえばコニー・フランシスだろう。
日本に於けるコニー・フランシスは、SP盤の時代からすでにレコードは出ており、
日本のドーナツ盤時代に入ってからは1958年の「フーズ・ソリー・ナウ」以降、
人気のピークを少し過ぎた1964年までの6年間に50枚以上のシングル盤が発売された。
日本でコニー・フランシスの大ヒットが生まれたのは1959年末の「カラーに口紅」。
続くヒットは日本語で歌った「ボーイ・ハント」。
この日本語盤の大ヒットがコニー・フランシスの人気を決定的なものにした。
本国では全くヒットしなかった「Someone Else's Boy」を日本語で歌った「夢のデイト」、
全米72位の「Too Many Rules」 の日本語盤「大人になりたい」、
そしてアメリカではヒットしなかった「かわいいベイビー」は空前の大ヒットを記録している。
日本、アメリカ共に大ヒットしたというのは「カラーに口紅」、「ボーイ・ハント」
「ヴァケイション」、「想い出の冬休み」、「渚のデイト」くらいだ。
コニー・フランシスの日本での人気は、「カラーに口紅」の大ヒットによるところも大きいが、
それ以上に彼女が日本語でレコーディングし、大ヒットした曲の数々が人気を決定的なものにした。
1961年、ドロレス・ハート、イヴェット・ミミューらと共演した映画「ボーイ・ハント」の公開にあたって、
人気歌手だったにもかかわらず、さらにその人気に拍車をかけ新しいファンを獲得する為に、
映画が公開される国の言葉で、テーマ曲をレコーディングするというアイディアをとった。
コニーフランシス
http://www.batnet.com/~mfwright/connie_francis.html
♪ 大人になりたい ( Too Many Rules ) ♪
♪ カラーに口紅 ( Lipstick On Your Collar ) ♪
♪ 可愛いベイビー ( Pretty Little Baby ) ♪
♪ バケーション ( Vacation ) ♪
♪ ボーイハント ( Where the boy's are ) ♪
♪ 間抜けなキューピッド ( Stupid Cupid ) ♪
・・・・・
1938年12月12日ニュー・ジャージー州生まれ。
本名、コンスタンス・フランコネロ。
はじめて音楽に接したのは3才の頃で、地元のクラブやイベントに参加。
11才の時にテレビ番組等に出演。
又タレント・スカウト・ショウに出場、
見事優勝してプロ・シンガーとしての第一歩を踏み出す。
コニー・フランシスというステージ・ネームもこの時につけられたもの。
コニーが17才の時、MGMとの契約が成立した。
念願のレコード・デビューをはたした彼女だったが、
その前途は決して明るいものではなかった。
以後発表された曲がことごとくヒットせず、
およそ2年間にわたってコニーは低迷を余儀なくされる。
そんな矢先 「フーズ・ソリー・ナウ」が4位まであがる大ヒットとなり、
コニー・フランシスの名は一躍アメリカ中に広まった。
待望久しかったスター・シンガーの仲間入りをはたすと同時に、次々と大ヒットを連発。
その勢いはとどまることを知らず、またたく間に全米ポップ・シーンの女王にのしあがる。
女性シンガーではプレンダ・リーをしのいでトップに位置している。
ポール・アンカやニール・セダカもかなわない、
名実ともに ”ポップス・クィーン”にふさわしい。
1960年代、日本で最もポピュラーな外国人女性ポップ歌手といえばコニー・フランシスだろう。
日本に於けるコニー・フランシスは、SP盤の時代からすでにレコードは出ており、
日本のドーナツ盤時代に入ってからは1958年の「フーズ・ソリー・ナウ」以降、
人気のピークを少し過ぎた1964年までの6年間に50枚以上のシングル盤が発売された。
日本でコニー・フランシスの大ヒットが生まれたのは1959年末の「カラーに口紅」。
続くヒットは日本語で歌った「ボーイ・ハント」。
この日本語盤の大ヒットがコニー・フランシスの人気を決定的なものにした。
本国では全くヒットしなかった「Someone Else's Boy」を日本語で歌った「夢のデイト」、
全米72位の「Too Many Rules」 の日本語盤「大人になりたい」、
そしてアメリカではヒットしなかった「かわいいベイビー」は空前の大ヒットを記録している。
日本、アメリカ共に大ヒットしたというのは「カラーに口紅」、「ボーイ・ハント」
「ヴァケイション」、「想い出の冬休み」、「渚のデイト」くらいだ。
コニー・フランシスの日本での人気は、「カラーに口紅」の大ヒットによるところも大きいが、
それ以上に彼女が日本語でレコーディングし、大ヒットした曲の数々が人気を決定的なものにした。
1961年、ドロレス・ハート、イヴェット・ミミューらと共演した映画「ボーイ・ハント」の公開にあたって、
人気歌手だったにもかかわらず、さらにその人気に拍車をかけ新しいファンを獲得する為に、
映画が公開される国の言葉で、テーマ曲をレコーディングするというアイディアをとった。
コニーフランシス
http://www.batnet.com/~mfwright/connie_francis.html