2009 10/29 23:19
Category : 日記
母は二十歳のときに母親を亡くしました。
食道がんだったそうです。
ご飯が喉を通らないと言って
病院に行ったらすでに手遅れであっという間でした。
享年51歳
骨と皮だけになった死顔はしわくちゃで
ほんとにお婆さんという感じだったそうです。
そんな母が今になって
ひとつだけ後悔していることがあるという。
母が小学生の頃、町に出るには道が無く
車も通れないデコボコの急な山道を歩いて
山越えせねばなりませんでした。
父親(祖父)が仕事で荷受をしに町まで行き、
帰りに重い荷物でリヤカーを押さないと
山越えすることができないので
いつも母親(祖母)が迎えにいくわけです。
いつも夜の7時、8時という時間帯。
街灯もない真っ暗な山道です。
いつも母は「一緒に行こう」と誘われる。
母はしんどい目をするのが嫌で「嫌や!」と断る。
祖母は無理強いしないでいつも一人で出かけていったそうです。
綺麗な道路ができてからは
通るたびに後悔する。
「あの時、お婆ちゃんは一人で怖かったんやと思う
何で一緒に行ってやらんかったんやろって後悔するわ」
親孝行らしいこともしないまま。
私には存在すらほとんどなかった母方の祖母でしたが
最近、母がよく祖母の話をするようになったので
この歳になってやっと働き者の祖母の姿が見えてきた。
食道がんだったそうです。
ご飯が喉を通らないと言って
病院に行ったらすでに手遅れであっという間でした。
享年51歳
骨と皮だけになった死顔はしわくちゃで
ほんとにお婆さんという感じだったそうです。
そんな母が今になって
ひとつだけ後悔していることがあるという。
母が小学生の頃、町に出るには道が無く
車も通れないデコボコの急な山道を歩いて
山越えせねばなりませんでした。
父親(祖父)が仕事で荷受をしに町まで行き、
帰りに重い荷物でリヤカーを押さないと
山越えすることができないので
いつも母親(祖母)が迎えにいくわけです。
いつも夜の7時、8時という時間帯。
街灯もない真っ暗な山道です。
いつも母は「一緒に行こう」と誘われる。
母はしんどい目をするのが嫌で「嫌や!」と断る。
祖母は無理強いしないでいつも一人で出かけていったそうです。
綺麗な道路ができてからは
通るたびに後悔する。
「あの時、お婆ちゃんは一人で怖かったんやと思う
何で一緒に行ってやらんかったんやろって後悔するわ」
親孝行らしいこともしないまま。
私には存在すらほとんどなかった母方の祖母でしたが
最近、母がよく祖母の話をするようになったので
この歳になってやっと働き者の祖母の姿が見えてきた。