虐待
先程までNHKで虐待についての協議をしていた。その中で最も印象深かった言葉は、イギリスの精神科医の言葉で、
「子供にとって最良の母親とは『まあまあ』の母である」
完璧ではなく、かといって落第点でもなく、スレスレの所の母親が、実は子供にとって一番いいのだ、と。

いまだに社会にはびこる「聖母(母性)神話」にがんじがらめになって、周囲や自分が理想とする母親像からかけ離れている事を苦にする母親は多いと思う。特に「完璧主義者」は危うい。完璧主義と言う言葉からかけ離れている私でさえそうだったのだから。

子供を産んだ瞬間から、母性がニョキニョキ芽生えて、子供を無条件で愛する、聖母のような母親……、

おらんっつーの。

まぁ、中には元々子供好きで自分の子供なら尚更、と言う人もいらっしゃるでしょーが。

もちろん、女性の身体は子供を産んだらあるホルモンが出てきて、所謂「母性」が強くなるにはなるが、全員が全員、順調に分泌されるわけではない。

我が子を無条件で愛する。
もちろん、ほとんどの人が基本的にはそうなんだけど。
テレビでも言われていたが、子供の皆が皆、「愛される子供」ではない。「愛され上手」「愛され下手」は必ずいる。大人でもそうではないか。
自分の子だから分け隔てなく平等に、同じように愛情を注げる人、いますか?
いるとしたらそれこそが、「マニュアル育児」と言えませんかね?

我が子を愛すればこそ、発育が気になり、「しつけ」的なことが気になる。自分の所有物、と言うか独占欲と言うか、そういう錯覚も起こす。
ただ、それが本当は「虐待」につながってはいけない、ということなんだけど。社会的には「虐待=子供を愛せない欠陥ママ」という図式も見て取れる。
虐待事件が起きると、マスコミはこぞって、そういう書き方を、いや、直接的には触れずにそういう図式を読み手に思わせるような書き方をしているじゃないか。

もちろん、虐待を肯定しているのではない。しかし、ほとんどの母親は子供を愛している。
むしろ愛しすぎている。ただ、それ故にイライラすることもある。男女の恋愛においてもそうでしょうが。
その事だけは覚えておいて欲しい。
母親自体を批判するのではなく、そこまでに至る「何か」があるはずなのだ。
その背景なしに、現代の虐待問題は語れない。

番組中49歳の主婦から「今の母親は、自分対の時代にくらべ物理的にとても恵まれているのに、どうしてそんなに大変なのか」という意見もあった。それに対しコメンテーターの先生方は「物理的に楽だからこそ言い訳できなくて、精神的に追い詰められるのだ。昔は子供だけで外で遊んでいてもさほど危険ではなかったから、忙しい時には外で遊んでおいで、と言えた。でも今はそうはいかない」と。

その通りなのだ。昔に比べてみれば、品質が良く安い紙オムツ、ほとんどの家庭が全自動洗濯機。そう、だからこそ言い逃れできなくて自分で自分を追い詰めるのだ。
「忙しいんだからしょーがないじゃない!」という言い訳が通用しない。
子供を外で遊ばせるにも「公園デビュー」なんてくっだらないモンがあったり、とにかくまず、子供が遊ぶときはずっとついていなければならない、という今の社会に問題があるんじゃん。
あたしゃ恐くて恐くて、徒歩通学なんてさせきらん!と今は思っている。
交通事故に変質者、他にもありとあらゆる危険が潜んでいるんだから。

子供を安全に、健やかに育てられる社会であればそれなりに減る虐待(に至る種類)もあると思うが、それははっきり言ってもう望めない、と思っている。
それならばどうすればいいのか。

長くなりましたので、また後日。

っちゅーか、酔っ払ってんで文章がまとまらん。