法相宗
法相宗とは、私の実家の寺の宗派です。
お寺といっても檀家周りもなし、
信者さんのお葬式も試行しません。
一般にお寺と証する概念としては↑の様な事をする所と理解されているようですが、
私の認識の中ではそうではない。

幼い頃から体に浸透されている事は
信仰は自分の発するところ。
『手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池』

旅行客が猿沢の池(奈良にある池)の旅館で手を打ったなら、
旅館の人はお客が呼んでいると思い、
鳥は鉄砲で撃たれたと思い、
池の鯉は餌がもらえると思って集まってくる、
ひとつの音でもこのように受け取り方が違ってくる。
一人一人別々の世界があるということである。

つまり私達の認めている世界は総て自分が作り出したものであって、
十人の人間がいれば十の世界がある(人人唯識[にんにんゆいしき])という事です。
みんな共通の世界に住んでいると思っているし、
同じものを見ていると思っています。
しかしそれは別々のものである。

と云う事を身に染みていますから
信心は自分の精進であると云う。

事を教わった。