2007 11/26 08:52
Category : 日記
〜�@愛の絆のしるし �A秘密のサンタクロース〜
彼の名はフランシスコ。ワシントンDCに住む韓国人です。
彼は1972年にアメリカに移住してきました。
韓国では高校の先生をしていました。
言葉のわからない、知人の誰もいない地で、彼は幼いふたりの子供を養うために、妻とふたりで死にもの狂いで働きました。
1日に4つの肉体労働の仕事をこなし、寝る時間はわずか3時間。
食事は運転しながらとり休み時間は皆無でした。
休みの日はなく、1年中働きつづけました。
そして、4年後、彼はやっと小さなスーパーマーケットを手に入れました。
競争の激しい地域で、困難は山のようにありました。
毎日3人の浮浪児が店のものを盗みにくることも悩みの1つ。
フランシスコは、ある日、その中のひとりをつかまえました。
しかしその少年と向き合ったとき、思わず手を離し、後ずさりしていました。
彼の顔は赤くただれて表情がわからず、見るからにぞっとする、醜く恐ろしいものだったのです。
人間の顔とは思えないほどでした。
この少年ケリーは14歳。皆からは猿人間と呼ばれていました。
フランシスコはケリー少年に言い聞かせました。
「この店の前を掃除する仕事をあげるから、毎日一生懸命しなさい。
自分で稼いだお金で食べ物を手に入れなさい」彼はこんこんと諭しました。
赤くただれた皮膚の奥の小さな目の中に、フランシスコは、
悲しみの表情と幼さの残る純粋な光を見るようになっていたのです。
ケリーは変わっていきました。
ある時、フランシスコはどうしてそんなひどい顔になったのか聞きました。
2人の間に温かい心の通い合いが生まれていました。
ケリーは父親を知りません。
彼は生まれてからずっと、母親から虐待されつづけてきました。
ある日、母親は、泣き止まない赤ん坊に、うるさいと怒鳴ると、
とっさに頭から熱湯をかけたのでした。
その時のやけどで顔中ただれてしまったのです。
母親の仕打ちはひどさを増し、彼は家を逃げ出し学校にも行かず、
浮浪児としていろいろ店から食べ物を盗んで生きてきたのでした。
この話を聞きながらフランシスコは、ケリーのつらい生い立ちに胸を痛め、涙を流しました。
ケリーは、自分のために涙を流してくれる人にはじめて出会ったのです。
彼の心に素直さが生まれました。
ケリーの口から、「お父さん」という言葉がもれました。
彼が生まれてはじめて呼びかけた言葉でした。
それ以来、フランシスコの奥さんを「お母さん」と呼び、彼はまじめに働くようになりました。
ある日、かつての浮浪児仲間にケリーがマーケットの裏に呼び出されました。
そして、店のお金を盗んでくるように命令されたのです。
彼がまじめに働いているのを見て、それが気に入らなかったかつての仲間は、今は麻薬におぼれていて、どんなことをしても麻薬を買うお金が欲しかったのでした。
彼はそれを断りました。
麻薬少年たちは、鋭い刃物を隠し持って店に押し入ってきました。
麻薬が切れ、もうろうとした彼らは、店主であるフランシスコを殺してお金を奪おうとしたのです。
彼らが本気であることを察したケリーは、肉売り場から肉きり包丁を手にして走り出しました。
自分のお父さんである店主を殺すつもりなら、その前に自分が昔の仲間たちを殺すと叫んでいました。
その騒ぎを聞きつけたフランシスコは飛び出していきました。
そしてもう少しで麻薬少年たちに切りかかろうとしているケリーを後ろから羽交い締めにしました。
そのとたん、彼の持っていた肉きり包丁の刃先が麻薬少年からそれました。
しかし彼を後ろからきつく抱いて止めたフランシスコの左の二の腕に、大きく食い込んだのです。
その傷を見て、医師はフランシスコの腕は元には戻らないと宣言しました。
そして、ケリーは刑務所に送られました。
フランシスコは刑務所をしばしば訪れ、監督官に
「あの少年に必要なのは罰ではない、愛情だ」
と言い続けたのです。
フランシスコは毎晩刑務所に電話をかけつづけました。
ある晩電話をかけたとき、切ろうとすると、ケリーはこう言いました。
『お父さん、僕は猿人間と言われ続け、出会うどの人からも軽蔑され、ひどい仕打ちを受けてきました。
僕は人を信じることができなかった。ただ、お父さんに出会えたのが本当にうれしい。
人から愛されるということはこういうことだと、はじめたわかったのです。
僕は、見た目もひどいし、自分がしたこともひどいけれども、
お父さんはそんな僕を見捨てることもなく、大事にしてくれました。
お父さんに出会えたことで、生きていてよかったと思えるようになりました。ありがとう』
フランシスコは次の日、彼の死を刑務所から知らされたのでした。
肺炎を起こして亡くなったということでした。
死因は肺炎であったか、他の原因であったかはわかりませんが、
図らずもケリーはフランシスコに、心の一番深い思いを告げて死んでいったのです。
フランシスコは左腕の傷をなでてつぶやきました。
「これは人間と人間の深い愛の絆のしるしです。
ケリーは、人間にとって大切な愛情を私の心に刻んでくれたのです」
彼の名はフランシスコ。ワシントンDCに住む韓国人です。
彼は1972年にアメリカに移住してきました。
韓国では高校の先生をしていました。
言葉のわからない、知人の誰もいない地で、彼は幼いふたりの子供を養うために、妻とふたりで死にもの狂いで働きました。
1日に4つの肉体労働の仕事をこなし、寝る時間はわずか3時間。
食事は運転しながらとり休み時間は皆無でした。
休みの日はなく、1年中働きつづけました。
そして、4年後、彼はやっと小さなスーパーマーケットを手に入れました。
競争の激しい地域で、困難は山のようにありました。
毎日3人の浮浪児が店のものを盗みにくることも悩みの1つ。
フランシスコは、ある日、その中のひとりをつかまえました。
しかしその少年と向き合ったとき、思わず手を離し、後ずさりしていました。
彼の顔は赤くただれて表情がわからず、見るからにぞっとする、醜く恐ろしいものだったのです。
人間の顔とは思えないほどでした。
この少年ケリーは14歳。皆からは猿人間と呼ばれていました。
フランシスコはケリー少年に言い聞かせました。
「この店の前を掃除する仕事をあげるから、毎日一生懸命しなさい。
自分で稼いだお金で食べ物を手に入れなさい」彼はこんこんと諭しました。
赤くただれた皮膚の奥の小さな目の中に、フランシスコは、
悲しみの表情と幼さの残る純粋な光を見るようになっていたのです。
ケリーは変わっていきました。
ある時、フランシスコはどうしてそんなひどい顔になったのか聞きました。
2人の間に温かい心の通い合いが生まれていました。
ケリーは父親を知りません。
彼は生まれてからずっと、母親から虐待されつづけてきました。
ある日、母親は、泣き止まない赤ん坊に、うるさいと怒鳴ると、
とっさに頭から熱湯をかけたのでした。
その時のやけどで顔中ただれてしまったのです。
母親の仕打ちはひどさを増し、彼は家を逃げ出し学校にも行かず、
浮浪児としていろいろ店から食べ物を盗んで生きてきたのでした。
この話を聞きながらフランシスコは、ケリーのつらい生い立ちに胸を痛め、涙を流しました。
ケリーは、自分のために涙を流してくれる人にはじめて出会ったのです。
彼の心に素直さが生まれました。
ケリーの口から、「お父さん」という言葉がもれました。
彼が生まれてはじめて呼びかけた言葉でした。
それ以来、フランシスコの奥さんを「お母さん」と呼び、彼はまじめに働くようになりました。
ある日、かつての浮浪児仲間にケリーがマーケットの裏に呼び出されました。
そして、店のお金を盗んでくるように命令されたのです。
彼がまじめに働いているのを見て、それが気に入らなかったかつての仲間は、今は麻薬におぼれていて、どんなことをしても麻薬を買うお金が欲しかったのでした。
彼はそれを断りました。
麻薬少年たちは、鋭い刃物を隠し持って店に押し入ってきました。
麻薬が切れ、もうろうとした彼らは、店主であるフランシスコを殺してお金を奪おうとしたのです。
彼らが本気であることを察したケリーは、肉売り場から肉きり包丁を手にして走り出しました。
自分のお父さんである店主を殺すつもりなら、その前に自分が昔の仲間たちを殺すと叫んでいました。
その騒ぎを聞きつけたフランシスコは飛び出していきました。
そしてもう少しで麻薬少年たちに切りかかろうとしているケリーを後ろから羽交い締めにしました。
そのとたん、彼の持っていた肉きり包丁の刃先が麻薬少年からそれました。
しかし彼を後ろからきつく抱いて止めたフランシスコの左の二の腕に、大きく食い込んだのです。
その傷を見て、医師はフランシスコの腕は元には戻らないと宣言しました。
そして、ケリーは刑務所に送られました。
フランシスコは刑務所をしばしば訪れ、監督官に
「あの少年に必要なのは罰ではない、愛情だ」
と言い続けたのです。
フランシスコは毎晩刑務所に電話をかけつづけました。
ある晩電話をかけたとき、切ろうとすると、ケリーはこう言いました。
『お父さん、僕は猿人間と言われ続け、出会うどの人からも軽蔑され、ひどい仕打ちを受けてきました。
僕は人を信じることができなかった。ただ、お父さんに出会えたのが本当にうれしい。
人から愛されるということはこういうことだと、はじめたわかったのです。
僕は、見た目もひどいし、自分がしたこともひどいけれども、
お父さんはそんな僕を見捨てることもなく、大事にしてくれました。
お父さんに出会えたことで、生きていてよかったと思えるようになりました。ありがとう』
フランシスコは次の日、彼の死を刑務所から知らされたのでした。
肺炎を起こして亡くなったということでした。
死因は肺炎であったか、他の原因であったかはわかりませんが、
図らずもケリーはフランシスコに、心の一番深い思いを告げて死んでいったのです。
フランシスコは左腕の傷をなでてつぶやきました。
「これは人間と人間の深い愛の絆のしるしです。
ケリーは、人間にとって大切な愛情を私の心に刻んでくれたのです」