少子化時代のこどもと社会:最近の若者だけでなく…(オリーブニュースより)
先日、早稲田大学の学生らによって、女子大生集団暴行事件が起こった。これに関連
して、自民党の太田元総務庁長官が、「集団レイプする人は、まだ元気があるからい
い。まだ正常にちかいんじゃないか。そんなこと言っちゃ怒られるけど」と発言した
という。これは、太田氏が、少子化問題について、「プロポーズできる勇気のない人
が多くなっている」と述べた後、司会者から「プロポーズできないから、集団でレイ
プをする(のか)」と問われて、集団暴行事件に関する発言をした。太田氏は講演
後、記者団に「『レイプは重大な犯罪であって従来以上に厳しく罰すべきだ』と付け
加えるきっかけがなかった。それほど強く異性を求めているのであれば、きちんと結
婚する相手を求めるべきではないかという事が言いたかった」釈明した。(6月27
日 読売新聞 社会面より)

この記事を読んで、私は愕然とした。あまりにも、自分の認識の低さを自覚していな
いと感じたからだ。太田氏は、『レイプは重大な犯罪であって従来以上に厳しく罰す
べきだ』と付け加えるきっかけがなかった。と釈明しているが、レイプが法律的に罪
である以前に、女性蔑視の最低な行為であり、元総務長官ともある人が、その事さえ
分かっていないことに愕然としたのだ。さらに、氏は「それほど強く異性を求めてい
るのであれば、きちんと結婚する相手を求めるべきではないかという事が言いたかっ
た」と述べているが、これについても、結婚とは、相手の体だけを求めてするもので
はないはずである。つまり、釈明となるべき発言でさえも、私には暴言ともとれる発
言なのだ。

この太田氏のケースに限らず、ここのところ、国会議員など“大の大人”と呼べる人
達のセクハラなどの記事が目に付く。なぜこんな事が起きてしまうのだろうか?

これは、日本という国が性をないがしろにしている国であるということの現れであ
り、女性を物として扱っても良いというような、女性蔑視のセックス観が、無意識の
うちにすり込まれてしまっている男性が多い事も示しているのではないか?これは、
性に関しての自己決定能力が欠如していることの現れであるとも言える。

つまり、子どもの頃から、性に関する知識が必要十分に提供されず、性器は自分の体
であるはずなのに、触っても見てもいけないというような、あたかも自分のものでは
ないように思わされて来た事から、自分の体の主人公で有ることを放棄させられて来
てしまい、そのために充分な自己決定能力(自分の体や性は自分のものであり、大切
に守られるべきものであり、他人の体や性も自分の場合と同じように、大切にすべき
ものなのだという事)が、きちんと認識出来ていないことの現れだと思う。それで
は、どうすれば性に関しての自己決定能力を培う事が出来るのだろうか?

それには、性と生殖、それによる妊娠や避妊についての充分な知識、性交によって負
うかもしれない病気によるリスクについての情報の知識を持つことや、自分の人生の
中には沢山の選択肢があり、性関係に入ることもその選択の一つであるのだという事
など、あらゆる自己決定をするための判断材料を持つことが必要なのだ。本来なら、
子どもが小さい頃から親が自然に、そのための知識を与えて行くことで、性を特別視
することなく、自然のものとして受け入れるようになり、また自己決定能力も自然と
身につけることが出来るのだ。そして、これこそが性教育の持つ極めて重要な役割な
のだ。つまり性教育とは、自分の体を守りそれを健全に保つために必要な知識であ
り、また、それを知る事によって異性のことも思いやることが出来るようになる教育
でもある。その意味では、最近の若者だけでなく、全ての人にきちんとした性教育を
認識し理解してもらう事が必要なのではないかと、私は思う。