2010年09月の記事


「タージ・マハルからの眺め」
<<インド>>--アグラ--


この光景は、タージ・マハルの大理石の土台の上からみた周辺の光景である。

この位置は、丁度正面玄関から見た霊廟の裏側に当り、左手には、ヤムナー川が眼下に見渡せる場所である。

此処を歩くのには土足で歩くことを禁じられており、霊廟に上がる時に、何がしかのチップを払い、靴の上に被せるビニールの上履きを履かなければならない。

最初私は、チップを払う事に気付かず、上履きを要求したら、破れて使い物にならないものを渡された。
改めて周囲を見渡すと、皆がチップを渡しているのに気付き、小銭を渡したら、ちゃんとした物を渡してくれた。

公務員がこんな具合だから、地獄の沙汰も金次第と言った所だろうか。

しかしこの霊廟の上は、白い大理石の照り返しで、気温は40度にも達し、とても平常心で歩くことが出来ず、霊廟の威容を眺めるのもそこそこに、早くこの場を離れたいと言う気持ちで一杯だったのを今でも生々しく思い出す。

流石に此処を訪れる、インド人たちは、この暑さにも拘らず、平気な顔で歩いているのには、流石お国柄だと舌を巻かざるを得なかった。
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「タージ・マハル②」
<<インド>>--アグラ--


更に近付いてタージ・マハルの霊廟を下から見上げた光景。

遠景から見るタージ・マハルは両脇に4本のミナレット(塔)が有るので、見事な調和が取れているが、霊廟だけを見ると、荘厳では有るがちょっと物足りない。

多分設計者は、この霊廟を偉大なものに位置づけるために、両脇にミナレットを配置したのであろう。

このタージ・マハルはたった一人のインドのムガル帝国の第5代皇帝サージャ・ハーンが亡き妃のために、全財産を投げ打って、1631年から22年の歳月を掛けて建設した霊廟である。

この霊廟の中心部の地下には、今でもサージャ・ハーンと彼の妃であるムムターズ・マハルの棺が安置されている。

此処を訪れた時の気温は40度に達し、霊廟の上を一回りするのに、大理石の照り返しで、必死の思いであったのを生々しく記憶している。
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「タージ・マハル」
<<インド>>--アグラ--


正面から見るタージ・マハルの威容。

期せずして、2つのエクラットのページで、世界が誇る建築物の世界遺産の競演となった。

こちらはインドの代名詞とまで言われるタージ・マハル、そしてエクラット1では、スペインが誇るサグラダ・ファミリアである。

このタージ・マハルはたった一人のインドのムガル帝国の第5代皇帝サージャ・ハーンが亡き妃のために、全財産を投げ打って、1631年から22年の歳月を掛けて建設した霊廟である。

この霊廟の中心部の地下には、今でもサージャ・ハーンと彼の妃であるムムターズ・マハルの棺が安置されている。

此処を訪れた時の気温は40度に達し、霊廟の上を一回りするのに、大理石の照り返しで、必死の思いであったのを生々しく記憶している。
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「ポーズを取るアラムさん」
<<インド>>--アグラ--


世界遺産アグラ城の前で、ポーズを取りカメラに収まるアラムさんの姿。

こちらはアグラを守る堅固な城として造られた、赤レンガの広大な城である。

ガイドのアラムさんが首から提げているデジカメは私の物であるが、彼のこの姿を撮ったのは、ビデオカメラのデジカメ機能である。

このインド旅行は、我々旅仲間3人と、1人で参加したインド好きのおばさんの4人だけであった。

こんなメンバーだと、実にアットホームな感じで、個人旅行に近く、皆の都合で観光も出来るので、融通が効くから有難い。

この強面のアラムさんは、顔に似合わず優しい男性で、大学も出ており、インドでは上流階級に属する人だと、運転手の男性が言っていた。
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