ドゥモからの眺め
イタリア・フィレンツェにあるドゥモの頂上から見るフィレンツェの街並み。

フィレンツェの代表的な教会であるドゥモは、狭いらせん階段を上ると屋根の上に出て、そこからフィレンツェの街並みが一望出来る。

歴史的に古い街並みが続くフィレンツェは、国の方針でドゥモより高い建造物を建てることは禁止されている。

一応にオレンジ色の屋根瓦も、市で決められた色なのであろうか。

歴史的に価値のある街並みを保存するためには。国を挙げての保存方針を進める必要が有るのてあろう。
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「タージ・マハル」
<<インド>>--アグラ--

インドを代表する建築として、あまりにも有名な白亜の殿堂タージ・マハルの雄姿。

ムガル建築の最高峰といわれるこの壮麗な霊廟は、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡き妻のムムターズ・マハルの死を悼み、世界各地から資材や人材を集め、1963年から22年の歳月を掛けて建立した。

国家が傾くような膨大な費用を費やしたため、シャー・ジャハーンは6代目の皇帝となった息子に、アグラ城に幽閉されてしまう。

彼は幽閉されたアグラ城の鉄格子越えに、日がなタージ・マハルの霊廟を眺めながら、妻を偲んで逝ったと言われている。

そして今は、この大理石の霊廟の地下に、愛妻と共に彼の遺体も並べて葬られている。

バラナシのガンジス川の沐浴光景を見た後、夜行の長距離特急列車で此処を訪れた時は、あまりの暑さと疲労で仲間の一人が体調を崩してしまったのであった。
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「ナポリの町にて」
<<イタリア>>--ナポリ--

ナポリの海岸にそって続く歩道をランニングする少年たちの姿。

ナポリ湾に沿って広がるナポリの街は、実に風光明媚で、イタリアに来たらナポリを見ずして死ぬなかれと言われるほどである。

特にこの街の丘に沿って広がる丘の上から眺める夜景は、世界の三大夜景の一つに数えられるほど綺麗である。

此処ナポリの港からは、かの有名なカプリ島の「青の洞窟」行の船などにも乗ることが出来る。

またナポリの下町の庶民が暮らす街並みの光景は、テレビなどでも紹介されるほど、庶民的な生活臭に溢れていて見応えがある。
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「廃墟のポンペイの街並み③」
<<イタリア>>--ポンペイ--

紀元79年ヴェスビオ火山の大噴火で、一夜にして滅亡したポンペイの街の裏通りの光景である。

メイン通りから裏通りへ入ると、此処は専ら街の商店に配送する、様々な商品を運ぶ沢山の荷馬車が通った道へと入る。

荷馬車の車間距離は統一されていたから、今でも馬車が頻繁に行き来した轍が、道路に深く刻まれて残っている。

道路の一段と高い両脇は歩道であり、左右の歩道から移動するための踏み石が道路の所々に設けられている。

このようにポンペイの街は、現代でも共通するような高い技術によって栄えていたのは驚きであった。
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「廃墟のポンペイの街並み②」
<<イタリア>>--ポンペイ--

紀元79年ヴェスビオ火山の大噴火で、一夜にして滅亡したポンペイの街の目抜き通りの光景である。

この街の大通りの両脇には、沢山の商店や娯楽施設、浴場、売春宿などが立ち並び、当時のローマ人の憩いの地として栄えていたことが、この通りを歩いていると伺い知ることが出来る。

紀元前80年から、ローマの別荘地、商業地として栄えたポンペイの様子を、廃墟の中の各家の門前の表札に描かれた絵によって判明出来、とても興味深い。

広大な廃墟の街を巡っていて思ったのは、科学の進んだ現在でも人間は自然に打ち勝つことが出来ないし、地球上に住む人間は、敢えて自然を破壊して人類の滅亡を早めてはいけないという事であった。
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