2006年05月の記事


♪. どぅだー ドゥダー
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作曲家の ステファン・フォスターは
ケンタッキー州のバーズタウンを訪れ
♪.ケンタッキーの我が家 - の曲想を得たらしいのですが、
バーズタウンで生まれたミュージカルに
『ケンタッキーの我が家/フォスター物語』という作品があります。
1985.8.28付けの朝日新聞によると
[バーズタウンの人々は、フォスターの音楽を残そうと、
 寄付や借金で資金を集め、壁を乗り越え、
 一九五九年初公演にこぎつけた・・・]そうです。
日本では 一九八五年九月八日の東京公演をこけらに
全国で上演されました。(初めての海外公演だったとのこと。)
その時 協賛したのが 「ケンタッキー・フライドチキン社」。
同社の日本ブランチ15周年の記念事業だったようです。

映画評論家の小藤田千栄子さんは このミュージカルを
《ケンタッキー・フライド・ミュージカル》などと
どこぞに記しておられました。
ちなみに 小藤田さんによれば ジョン・ランディス監督による
「ケンタッキー・フライド・ムービー」なる映画があるやうです...




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こんにちは
いつもたのしく 拝読させていただいております

さて 拙者は ,
3×2 と 2×3 は 「同じ」なのであらうか てんてんてん
たとへば キャラメルがそれぞれ3個づつ入った袋が2つ と
キャラメルがそれぞれ2個づつ入った袋が3つ あったとき
キャラメルの総数は「同じ」じゃが
パッケージされた状態は 「異なつている」やうに思える
問題として 書かれている 3×2 と 2×3 が 示しているのは
どのやうなモノ・コト ヌァニであるのだらう テンテンテン
などと 悩んでいるような ありさまなので
かんたんに 3×2=2×3 と イコールで結ばれてしまふと
その人(教諭)に ??? を 抱いてしまいまする

こちらの 記事に触れてからといふもの
《・・・一番目の患者、二番目の患者は病状は似ていますが、
 原因と処方が完全に異なる同病異治であり、一番目の患者と
 三番目の患者は病状が異なりますが原因と処方が同じ
 異病同治なのでございます。・・・》 といふ
TVドラマ「大長今」の 主人公の台詞が 木霊しています

長々と失礼をばいたしました
それではこれにて 御免くださいませ




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のちの よに
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立原の文学的生涯の開花期は
せいぜい四年くらいだったのですが
その抒情は のちの時代の 若者達の間で
しばしば 奏でられたようです


小川和佑氏は 次のように 述べています


 《 ・・・

   それにしても、一九四〇年代前後、
   次は十年後の五十年前後、
   そして最近では七十年前後に、
   その詩集がより広汎な層の青年たちに
   浸透しているのは興味がある。

   最初は太平洋戦争開戦直前、
   二度目は血のメーデー事件前後、
   そして最近では学園闘争の渦中の時期と、
   いつも時代の転換期に青年たちに読み継がれることは、
   考えてみると
   いかにもそれがうなずけるような気がしないでもない。
   しかし、そういう青年たちも、
   青春が終わり全く生活の中に埋没していくと、
   立原道造の抒情詩は悉皆忘却されてしまう。
   そして、懐かしいが、思い出すさえ気恥ずかしいということが、
   かつての立原ファンのいつわりのない心情なのではあるまいか。
   あの「のちのおもひに」の十四行詩に自己の青春の影を見ることは、
   すっかり生活者になった読者には、
   どうも名状し難い感傷と困惑を覚えずにはいられないであろう。

   ・・・ 》 『立原道造 忘れがたみ』





まぁ 拙者の場合
いまだ 生活者として成立していないので
30年もまえに刊行された『立原道造 忘れがたみ』を
もちろん 立原の痕跡も 反芻しているわけですが ...

そうした 拙者が日常的に触れている断片を
記していこうといふのが 
quadrangle / spoonful... in the saucer です

またのお越しを お待ちしておりまする

紅茶... いただきます





♪. A SAUCERFUL OF SECRETS / PINK FLOYD




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