弱音
 「弱音を吐くな」と自分に言い聞かせることにしている。悪い方向の言葉を口にしているのでは、その方向に自分を運んでいるような気がしないでもない。

 多少のことはグッと堪えて、明るい言葉、明るい態度を無理にでも維持していれば、なんとなく事態も好転してくるような気がする。単なる楽観ではないと思える節もあるようだ。

 とにかく正々堂々、弱音を吐くなら、それも堂々と、清々しくというほどでありたい・・・などと思ってみた。
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ゆっくりと確実に
 焦ったところでどうなるわけでもはない。ゆっくりと、確実な一歩一歩を進めることが基本と、わかってはいるのに気持ちがついていかない場合もある。

 ようやく急ぐなかれと思うに至って、万端いい方向に向かってきそうな気がしてきた。季節の推移も関係しているのだろうかなどとも思うが、けっこう気分も晴れやかな方に向かっているのかも。季節が来れば花も咲くのだった。
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春への期待
 雪洞で子供らが楽しむ鳥追いは消えた。第一、子供があまりいない。「鬼は外 福は内」の声なく、節分の豆まきをする家も皆無。しかし自然の運行は確かで、日脚は少しずつながら確実に伸びている。

 暦を見れば、十九日は「雨水」とあった。まだ降る雪が雨に変わるとも思えないが、どこかに春がきているような感じもする。余寒に注意しつつ春を待つか。
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雪降り
 被災地に雪が降っているという。こちらで引き受けるから、降雪を止める数段はないものかと思う。原子力を使っても駄目かなどと途方もない空想まで浮かぶ。

 大雪警報が解け、薄日が差してきた。被災地にこの光と温度をとしきりに思う。
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地震
 元旦の夕、神棚に夕べの膳をお供えしようと思って、背伸びをした途端にドカンときた。ゆっくりと姿勢をかがめ、ストーブを消す。揺れは続いていた。逃げる戸口は開いている。「よし」と思って身構えたところで揺れが小さくなり、戸障子の鳴る音も小さくなった。テレビを点けて情報を得ようとする。

 被災地の状況を思えば安易なことは言えないが、震度4で特段の被害もなかったのは、天佑神助と言いたいほどだった。この15年間ほどに、3度の大地震を経験していることが役立った。「天災は忘れたころにやってくる(寺田寅彦)」と、改めて認識した。平素の準備を再点検しなければとも思った。

 被災地への全国的な支援が一刻も早く始まるように、また復興の音が高く響くことを願う。
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