1・17 20年
震災20年。

ついこの間の事のように思うけど。

親戚の殆どが東灘にある主人。

家はほぼ皆、全壊だったけど誰も命を落とすこともなく

バラバラになったものの元気です。

震災の直後に従兄が病気で亡くなって

葬儀に行ったお寺が

まだ瓦礫の残る街中にポツンと残ってたのを

思い出します。



今日は娘と神戸に行ってきました。

東遊園地へ。

たまたまなんですが^^;

娘がピアスを買いに行くから三宮に付き合って欲しいと言い

ちょっと渋ってたら動物王国に連れていってやるという。

それなら・・と同行しました。

ポーアイのヘリポートに天皇陛下が来られるということで

厳戒体制でした。

三宮なんて無理じゃない?と思ったけど

意外と空いてて東遊園地の地下の駐車場も楽に入れました。

そこまで行ったなら・・と立ち寄ったというわけです。

ちょっと泣きそうになりました。





取材の映像はこんなところからだったんですね。


編集 yuma : えむさん 長田で家を12月に建て替えたばかりの人がいたんだけど、あのあたり全部焼失。あの人はどうしてるんだろと思う。そんなに親しくもなかったからそれっきり。犠牲者名簿に名前が無かったから生きてられるとは思うけど
編集 yuma : えむさん 携帯だって普及してなかったし、今だったらずいぶん違っただろな
編集 yuma : えむさん 20年ってすごい時間なんだって思う。居なくなった人いっぱいいる。お向かいの奥さんも元気だった
編集 yuma : えむさん お兄さんまだ元気な時だったよね。うちの父もまだ元気だった。
編集 yuma : えむさん そうそう、サリン!震災のショックもさめないうちにあの事件でものすごく不安になった。
編集 yuma : yamaさん 東日本の震災で忘れてしまいそうになってましたがこれも忘れてはならない出来ごとですね。
編集 えむ : 色んな立場で色んな思いの二十年だね
編集 えむ : テレビを見てても恐ろしかったよ~
編集 えむ : それにあの日は出勤する時間が遅くてまだ家に居た
編集 えむ : 蒔かれた駅とは違うけどね^^
編集 えむ : あの頃、兄貴もまだ現役でサリンの蒔かれた東西線を使ってた
編集 えむ : オウムのサリンと同じ年だっけ?
編集 えむ : もう二十年も経つんだね 早いねぇ
編集 yama0008 : 哀しい出来事を思い出しますね。