少子化時代のこどもと社会:性犯罪の低年齢化を防ぐために
今回の長崎の事件だけでなく、最近起きる事件の多くが性に対するゆがんだ認識から
きた、性犯罪であることが多い。私は、今性教育に関する本を執筆中なのだが、その
取材を始めてから、日本という国のあまりにも性や性教育に対しての認識が低さを実
感し、それが性犯罪の多発や、低年齢化を呼び起こしているのだということを知った。

私も、性教育の本を担当するまでは、はっきり言って性教育の事については何も知ら
なかった。12歳と10歳の子どもの母親として、そろそろまじめに考えなくちゃなぁ
〜、と思っている程度だった。
しかし取材を進めていくにしたがって、世に溢れる性情報のほとんどが、男性の視点
から、一方的な思いこみによるSEXを扱ったもので。そこに画かれて、いるのは、
レイプ=SEXであり、男は、いやがる女を押し倒してこそ男であり、支配する事で
男を保つべきだというような、暴力的でサディスティックに扱っている。いわば、男
性主導社会のもつ悪い部分の縮図のようなものだ。

そして、日常生活の中で、TVからでも溢れ出てきている、その間違った性の情報
を、うのみにしてしまった男の子達は、潜在的なレイピストの種を植え付けられ、そ
して、また女の子もそれを受け入れるべき存在なのだ、というような間違った認識を
受けつけられてしまう事になりかねない。
私の周りにいる男性の言動が、その要素を強く帯びているという実状と、それに対し
て漠然としか反論できなかった自分を照らし合わせて見ることでも、それは実感出来
るものだった。

そして、これらの事柄から、子どもを守るためには、子どもに性を特別視させないよ
うに、もっと自然な事だと認識させる必要がある事。また、自分の体のことをきちん
と教えると、性の自己決定能力を子どもが身につけ、自分の体も、相手の体も大事に
するようになるのです。そのためには、親が性に対して正しい知識と認識をもち、出
来るだけ早期から、家庭の中で子どもに教えていく必要がある。つまり、性教育と
は、子ども達に自分の体を守るために必要な知識であり、かつ生きていくすべを教え
るために、必要な知識だったのだ。それを今まで知らずに、のほほんと過ごして来て
しまった事に私は後悔を覚えた。

性教育元年が叫ばれて10年余りが経ち、日本でも早期からの性教育の必要性が叫ば
れつづけているが、その実状は殆ど進んでいない。それは、いまだに日本の社会の中
に、性をタブー視する風潮が根強く残っていることと、性教育にいまいち乗り気では
ない文部科学省の態度が原因として考えられる。特に文部科学省は、私が取材の申し
こみの電話をしたところ、「ご期待に添うようなお話はなにもないと思います」と断
られたほどだ。今回の事件の引き合いに出される神戸の少年Aの事件からもすでに6
年が経っているにも係わらず、殆どなにも対策を打っておらず、性教育に関しては、
学校は宛てにならないことは明白である。

性教育を子ども達に施していくには、家庭で子ども達とあらゆる事に関して、ざっく
ばらんに話し合える環境の整備も必要になる。このことも視野に入れて、日本の家庭
でも、もっと積極的に性教育に取組む必要があるのではないかと思う。