本当ならこの朝刊の1面は、東京五輪のかいかいの写真が鎮座していたはずだ。
延期になり、きょうから363日後に迫るスポーツの祭典。カウントダウンが始まったのに、むしろ「祭りのあと」のような気分になるのはなぜだろう。
実現の条件を考えるにつれ、憂鬱になる。まずはワクチンが必要だが、治験に成功し生産が始まったとしても、各国の医療従事者や疾患のある人が優先されるべきだろう。選手や観客に行き渡るには一体どれだけの量がいるのか。
楽観できない事態を反映するように、一昨日の紙面にあった内外の選手たちの言葉が重い。「無観客でもいいから世界一を決める場所が欲しい」との願いがあり「中止になっても仕方がない。みんなの命が大事」の声がある。
南アフリカのトライアスロンの選手は、地元のプールが閉鎖され、自宅の庭の小さなプールが頼りだ。「コロナの影響で準備ができず、差が生まれれば不公平になる」。選手たちが思い思いに力を高めていくような環境からはあまりに遠い。
ペロテット著『古代オリンピック』では、古代の練習風景が再現されている。選手の多くは10カ月前から、各地でコーチと一緒に練習に専念。鎧や兜をつけてトラックを走り、武具を重くしていく訓練法もあったらしい。真剣さは今も昔も同じだろう。
世界の感染者が1500万人を超えるなか、主役である選手たちが戦いに備える環境はあるのか。政治的なメンツやスポンサーの都合よりも考慮すべき事情である。

 天声人語より