思想家の内田樹さんは、自分の書いたものが引用されても文句を言わないのだという。
なかでも入学試験や模擬試験でれるのを歓迎している。受験生は眼光紙背に徹するように読み、作者の「言いたいこと」を熟慮せねばならないからだ。
「僕として、そんなに真剣に自分の書いたものを読んでくれる読者は求めて得がたいと思う」と『街場のメディア論』で述べている。たしかに普段の読書とは格段の集中力で臨むのが入試である。美しい文章、深みのある文章に出会った時の印象もそれだけ強くなる。
そんな経験はもちろん受験生でなくても味わえる。お手元におとといの朝刊があれば、センター試験の国語にある原民喜の「翳」をぜひお読みいただきた。のんびりした日常が、日中戦争でじわじわと変わっていく様子がそこにある。
作者の家に出入りしていた魚屋の青年は人なつっこく、周りに愛されていた。そんな彼が軍服を着て満洲に渡り死に至る病を得てしまう。「善良なだけに過重な仕事を押しつけられ」たのではないかと作者は思いを巡らせる。描かれたのは1人の青年だが、背後にある無数の青年の命について考えさせられる。
高校の国語でこれから心配なことがある。いまの「現代文」が実用的な文章を扱う「論理国語」と、文学や詩歌などの「文学国語」に分かれ、選択に委ねられる。心が揺さぶられる文学や評論に出会う機会が、減ってしまうことはないだろうか。
杞憂であることを願っている。

 天声人語より

編集 マサ : 現代国語でも進展が有るのですね。杞憂にならなければいいですが!