そうか、あの人は小学校の先生をしていたのか。
夕刊の「惜別」で川端俊介さんの名前を目にし、56歳で旅立ってしまったことを知った。山際淳司のノンフィクション『スローカーブを、もう一球』で描かれた高校野球の投手だと言えば、ぴんと来る人もいるだろうか。
群馬県立高崎高校のエースだった川端さんの武器はスローカーブだった。まるで小さな子が投げるような山なりの球で、打者を惑わせる。しかしこの球とそれなりの速球を組み合わせ、1981年の春の甲子園にチームを導いた。
力で押すような投球は自分にはできないし、似合ってもいない。文中に遅い球への川端さんの思いがある。「ゆらゆらと本塁に向かっていくボールがまるで自分のように思え、妙に好きになれるのだった」。
厳しい練習は好きではなく「野球を続けているのは惰性」とまで口にする。それでも投球の駆け引きには、最大限神経をとがらせる。根性、努力、汗。そううしたものへのアンチテーゼのような姿にしびれながら読んだ。以来、座右の書の一つである。
勝負の仕方はいろいろある。仕事の仕方もいろいろある。そんなことを山なりのカーブから教えてもらった気がする。新聞記者稼業でいえば、特ダネを連発できなくても生きていく身とはあるのだと。
教室で倒れた川端さんは「子どもたちの声が聞きたい」とリハビリに取り組んでいたという。どんな表情で子どもに接し、何を伝えてきたのだろう。思いを巡らせつつ合掌する。

 天声人語より