「ここ一帯では毎春、ヤマザクラが2度咲く。最初は紅色の花、次は白い花」。
紀伊半島の南端に近い和歌山県古座川町では、古くからそう語り継がれてきた。
森林総合研究所のサクラ保全チーム長、勝木俊雄さんが現地で調査したところ、種類の異なるサクラだったことが判明。最初に咲く紅色の方が新種とわかり、「クマノザクラ」と昨年命名された。国内の野生種としては103年ぶりの発見である。
その調査に協力したのが地元の樹木医矢倉寛之さん。研究の標本とされた大木を保護し、地元の小学校で価値を訴えるほか、遠来の見学者のガイド役を務める。「国内のサクラはほぼ研究し尽くされたと思っていました。新種と認められたのはうれしい驚きです」。
その開花は際立って早い。今年は3月半ばが見ごろだった。外観の似たヤマザクラに比べると、クマノザクラの花は紅色が濃く、葉は小ぶり。調査は始まったばかりだが、和歌山、三重、奈良の3県に数万本が自生すると見られる。
地元の自治体には、観光資源に育てようとの機運が高まりつつある。早くも写真集やTシャツが商品化され、名を冠した日本酒の販売も始まった。来春以降、さらに多くの観光客が見込まれる。
近世になって人が作り出し、津々浦々に植えられたソメイヨシノが「人に近い花」だとしたら、太古から山野にあって命をつないできたクマノザクラは、「人から遠い花」と言うべきだろう。熊野の峰を眺めつつ、人と桜の距離を思った。

 天声人語より