リベラル守護 日本に資格は
13世紀以来ヘゲモニーを握ってきた英米において、欧州連合りだつが決まり、トランプ大統領が登場してからこの方、見るからに政治が劣化し、内向きになった。人種主義的な暴力事件は増え、国内の政治の分断が激しい。それにともない、国際協調、多国間主義を担う勢力が大幅に後退した。なによりもアメリカがその自壊を主導しているのが大きい。
その一方で、中国などの権威主義国が興隆しつつある。もしかすると、過去の2世紀は、たまたま自由や民主を標榜する国と生産力の配置がおおむね重複していた特殊な時代だったかもしれない。いずれにせよ、結果として、自由、民主、人権、法の支配といったリベラルな価値が世界中で脅かされている。
見わたせば、そうした価値を標榜し、担う力のある国は、もはやそう多くはない。欧州、豪州のほかに、日本が挙げられるのも不思議ではない。戦後七十余年、曲がりなりにも自由民主主義を実践してきた歴史があるからだ。リベラルな世界秩序についていくつもの論考を著したジョン・アイケンペリー氏は、アメリカでトランプ氏が政権について以降、日独などがそれを主導すべきだと説いた。そのこと自体が異議があるわけではない。
ただ、である。この手の議論を説く際に、日本の中の状況が同時に願みられることは少ない。今年の日本を振り返ったとき、それは、誇りうるものかどうか。
世と官、どちらの世界にも、毎日、身を粉にして働いている人たちがいるのを知っている。しかし、長期政権のもとで「新縁故主義」とでもいうべきものがはこびり、目を覆いたくなるようなスキャンダルが相次いだ。その責任をだれがどう取ったのか不明のまま、文書で明示的に反駁されるようなうそや申し開きがまかりとおる。これは、法の支配とどう折りあうのか。
リベラルというのは、内省する力である。それを外に標榜するとき、内を頼みねばならない。たしかに、リベラル世界秩序のゆくえは待ったなしである。いま日本が関与せず、いつ関与するのか。

 あすを探るより-----遠藤乾