新幹線と聞くといまだに、「団子っ鼻」が浮かぶ。大きく平べったい鼻が特徴の0系である。
東京・大阪・博多間を44年も走り、2008年11月末に引退した。もう10年になる。
開業した1964年の記事では、以外にも「鼻筋の通った流線形の好男子」などともてはやされている。「当時としてはあれでも画期的な流線形。それ以前の列車はどれも角張った箱形でしたから」とJR西日本OBの山田邦明さん。国鉄時代、後継新幹線の開発に打ち込んだエンジニアだ。
「夢の超特急」と呼ばれた0系だが、高速ゆえにエンジニアを悩ませる弱点が二つあった。一つは「耳ツン」。長いトンネルに入ると、乗客の耳に不快感がツーンと来た。車両の密閉度を高めて気圧の急変を抑えた。
もう一つは関ケ原の雪。車体の底に氷塊が生じ、軌道の砕石をはじき飛ばした。沿線の民家に石が飛び、車両の故障も多発する。駅に入ると大勢の作業員が棒で雪を落とし、付近には雪を溶かす散水装置が設けられた。
先日、京都鉄道博物館で0系と再会した。正面から見ると、顔立ちは記憶よりはるかにやさしい。乗り込めば、窓の形や硬く狭い座席も懐かしい。祖父母と旅した「こだま」、受験前日に乗った「ひかり」。昭和育ちとしては0系に格別の郷愁を覚える。
<「もっと早く」と叱咤されしゃ疲れたる車体の眠る新幹線基地>宮野哲子。高度成長を支え、走りづめに走った長距離ランナーはいま、静かに余生を楽しむふうである。

 天声人語より