宇宙人の話が好まれるのは、人類が寂しい存在だからだ。
そう教えてくれるのが長谷川俊太郎さんが1950年に書いた「二十億光年の孤独」である。<人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする>。
火星人などいない。それが分かった今も、広い宇宙のどこかに生命、あるいは生命が生まれる可能性があるかもしれないと探査は続いている。日本の無人機「はやぶさ2」が3年半かけて、太陽系の小惑星リュウグウに到着した。
その名前が竜宮城から付けられたのは、水分が含まれると期待されるからだ。有機物もあるかもしれないという。生命そのものでなくても生命の元となるものが見つかるなら、大きな発見となる。
水や有機物は、地球で自然にできたのか、それとも宇宙から隕石で運ばれてきたのか。科学の世界には、二つの説がある。隕石は小惑星の破片だから、リュウグウで見つかったものが地球にある隕石と一致するなら、宇宙由来説の支えになる。声明は地球特有の現象ではない、との見方につながるか。
知的生命体との接触も科学省たちは諦めていない。米国が中米に設けたアレシボ電波天文台では、遠い星からの信号に耳をすましている。ET探しト銘打たれた息の長い事業である。
谷川さんは火星人の方も、<ときどき地球に仲間を欲しがったりする/それはまったくたしかなことだ>と書いている。私たちに見つかるのを待っている生命体が、どこかにいるだろうか。

 天声人語より