当欄を担当していて漢字の用い方に悩まない日はない。
何か使いたい漢語が浮かんでも社内の表記基準に合わないと書き換えざるをえない。詠みやすさのためとはいえ、漢字の多彩な表現力をいかせないのがもどかしい。
漢字研究で知られる白川静さんも生前、「知識は無限でなけりゃいかん」と漢字の使い方の貧しさを嘆いた。しばしば例に挙げたのが「おもう」。「思」のみに規制する愚を論じ、想う、懐う、憶うを提唱した。
30日が白川さんが亡くなって10年になる。亀甲や獣骨、青銅器に刻まれた文字を読み込んだ。古希を過ぎて世に出した「字統」「字訓」「字通」の字書3部作はいまも読み継がれる、出身の福井市では今月、功績をしのぶ行事が続いた。
研究室にこもり、学会にはほとんど出ず、学界の多数派とは異なる道を歩んだ。「多数派とか少数派とかしうのは、頭数でものを決める政党の派閥の考え方で学術にはなんの関係もない」。
折にふれて語ったのは「漢字文化を復権させ、東洋を回復したい」という願い。平和だった漢字文化圏は四分五裂したが、アジアが分裂して争うのは不自然極まりないことだと訴えた。
あれから10年、漢字文化圏の城内対立は一向に静まらない。ひところより和らいだとは思うものの、日本が中韓に注ぐまなざしはなお冷たいままである。白川さんが漢字研究で論証した通り、文明の源流は同じなのに、下流の末裔たちは忙しくいがみ合っている。

 天声人語より