助けてくれと言わせないで
過去の米大統領選を振り返れば、トランプ人気のような現象はあながち例外ではないらしい。米国には元来「反インテリ」の気風が根強い。実際、頭が良ければ大統領が務まるというものでもない。
とはいえ今回は、やはり異形にして甚だしい。「トランプ氏のような人は大衆社会にたまった負のエネルギーを嗅ぎ取るセンスに長けている」。民衆の鬱憤や怒りを、増悪と排除のレトリックで希望と熱狂に変えていく怪しい「魂の錬金術師」である。
米国民は政治家に名演説を求め、政治家の言葉を楽しむ。心に響く言葉によって人々が連帯感を深め合う光景は、日本とはだいぶ違うと、取材を通じて感じた。大統領選が「民主主義の祭り」と呼ばれるゆえんでもある。
しかし、憎悪と排除の言辞が人々を一つに束ねるとしたら、それは忌むべき光景だ。英国の作家オーウェルが小説『一九八四年』で描いた全体主義社会を見るようで怖い。そこには日々「二分間増悪」という義務的儀式があり、参集した人々は口をきわめて「敵」を悪罵し、怒号の中で高揚感に包まれる----。
国力が翳ったとはいえ、米大統領は世界で最も重い政治職の一つだろう。ときに他国を地獄へも落とす。12年前、大統領候補だったケリー国務長官は遊説で「みなさんには世界に対する責任がある」とよく語っていた。11月の本選挙で世界に「助けてくれ」と言わせるなかれ。ふさわしいのは誰? わがポケットに選択の一票がないのが悔しい。

 日曜に想うり---編集委員・福島申二