和魂漢才から和魂和才へ
日本の文化史は大きく分けると、「和魂漢才」「和魂洋才」「和魂和才」の3段
階に分類されるであろう。歴史の始まりにおいて我々が模範としたのは中国であ
った。遣隋使、遣唐使が派遣され、わが律令は中国のそれを基本として作られた
。流れを変えた大きな節目の一つが明治維新であって、それが基本としたのは「
和魂洋才」であった。この間における日本国民の才覚と努力はまさに驚くべきも
のがあって、歴史にその比を見ない。
第2次世界大戦の廃墟のなかから繊維、鉄鋼、化学、エレクトロニクス、造船、
自動車と次々に自家薬籠中のものとして、才能は自負してなお、あまりあるもの
がある。そして現在がある。
学んで学び尽くした結果、学ぶものが無い現実がある。「和魂和才」の時代が求
められている。今、我々に与えられた最大のテーゼは「学ぶ才能と創る才能は同
居しうるか」ということだ。
かって米国の友人の語った言葉がある。
日本人は一度コンセプトを与えられると、驚くべき才能を発揮する。例えば、カ
メラであり、エレクトロニクスの諸製品であり、自動車である」「1980年代か
ら2000年にかけての怒涛のような日本からの輸出は、我々に恐怖まで生んだが、
『コンセプトを見失ったとき、日本は烏合の衆と化す』という現実を見るにつけ
、大いに安心した。現在ほど「日米関係」の安定した時代はない。
喜ぶべきか、嘆くべきか、この言葉ほど現在の日本の混迷を的確に言い表してい
る言葉は無いのではないか。
果たして「和魂和才」の時代は来るのであろうか。国を挙げて考える時期に来て
いるように思われる。

 経済気象台より---可軒