食の一流のおいしさは雰囲気や接遇にも支えられる。
「場と味」にまつわる洞察を、半年前にも聞いた。「体育館で吸い物を飲ん
でもうまくない」。都内で高級割烹を営む神田さんの言葉だ。かつお節や昆
布の淡い味は、狭く静かな空間でこそという趣旨だった。
体育館でカップ麺をすする被災者の姿に、この言葉を思った。余震に揺れる
照明の下で、寒風の中で、当座の命をつないだのはおにぎりや菓子パンだ。
「味わう」以前の栄養補給である。
救援物質が届き、自衛隊や有志の炊き出しが始まると、食生活はいくらか豊
かになった。善意の湯気が立つ豚汁、激励のスパイスが利いたカレーは人々
を勇気づけている。とはいえ、避難所の13万人が待ちわびるのは内輪の食
卓に違いない。
薄くても壁があり、メディアの目が届かない個室に、集まれるだけの家族が
そろう。もはやかなわぬ家もあるけれど、卓上が母さん父さんの味ならうれ
しい。そんな当たり前のだんらんを許す仮設住宅を早く、と叫びたい。
どんな状況であれ、食は元気の源だろう。この災いで、ホテルや割烹にまね
のできない場があると痛感した。いつものおかずを盛ったいつもの皿を、い
つもの顔ぶれで囲む夕。いまや抱きしめたい平凡である。

 天声人語より