インドでは、人も動物も同じように生き、死んでいく存在であることを実感する。
そこで生まれた釈迦の原始仏教は、形ある物はすべて滅びる、という乾いた
無常観を持っている。
その仏教が中国を経て日本へもたらせると、平家物語の冒頭の「祇園精舎の
鐘の声、諸行無常の響きあり」に象徴される、叙情的な湿った無常観に変わ
る。背景には、インドと日本の気候の違いもあるのだろう。
7世紀にインドから中国に仏典を持ち帰った玄奘は、日本で最も有名な仏教
者の一人。日本仏教は「心」に関心を寄せ、インドの「無我の仏教」に対し
て「無心の仏教」を作り上げた。

 国際日本文化研究センター---山折哲雄

編集 ペン : 釈迦が説いた仏教と日本に伝わった仏教では違う物ではないのでしょうか?日本に伝わった大乗仏教は釈迦滅後に生まれたものだと思います^^
編集 OTERA座の怪人 : あ、すみません。ログインせずに書いてました。
編集 OTERA座の怪人 : はじめまして。日本の法話の達人は情緒的には救われた気にする。しかし本来的仏教観が抜けてれば本当の救いは得られない。本当は日本仏教もその肝心の所から外れてはいないけどそれがわかってない人は僧俗ともに大多数。
編集 orfe : どちらが最後には救いとなるでしょうね?