大物の蹉跌---大きな権限、責任は見合うか
大物たちの落とし穴はどこにあるのか。私には、権限と責任の不均衡にある
ように思える。
官僚は政治家のように選挙の洗礼を受けるわけではない。次官は、よほどの
不祥事でもない限り引責辞任することはない。普段は国会答弁もしないので
、野党の追求を受ける機会は少ない。官僚の「うまみ」は、権限の大きさの
わりに責任が小さいことにある。
だからこそ、官僚には権力の行使をできるだけ抑制し、綱紀粛正に努めるこ
とが求められる。大臣への報告を怠らず、政策決定の過程も透明にしなけれ
ばならない。
不祥事が絶えず、それが官僚たたきにつながる。政治の場では、官僚の権限
を縮小して責任を明確にしようという動きが強まるだろう。
米国流の政治任用の導入はその一つだ。次官や局長クラスは政治家自身が務
めるか、政治家が推す民間人を起用する。政権が代わるたびに多くの官僚が
入れ替わる。仕事が首尾良くいけば昇進し失敗すれば更迭される。高級官僚
の責任は明確になり、一般の公務員は実務に徹する。
英国のように、官僚と政治家との接触を制限することも検討対象になるだろ
う。折衝するのは大臣や副大臣に限られ、官僚は政策の選択肢をつくる作業
に当たる。
明治以来続く日本の官僚制が一朝一夕で変わるとは思えない。しかし、「大
物」のスキャンダルは、官僚=性悪説の高まりにととまらず、官僚の在り方
を問い直す契機になるような予感がする。

 政態拝見より----星 浩