救命につなげるために、AED使用をためらわずに
新潟県の高校で野球部の女子マネージャーがランニング直後に倒れ、先月死亡した事故は、いつAEDを使えばいいのか、現場での判断と実行の難しさを問いかけた。
女子生徒は、死の間際に脳への血の流れが止まりかけ、あごや肩、胸や腕が、途切れ途切れにあえぐように動く「死戦期呼吸」の状態だったと思われる。(ギャスピングと現場や医療機関では言う)実際に空気は吸えていないが体が動くので、周囲の人たちは心臓が動いていると思い、AEDを使わなかったのかもしれない。息をしているかのように見えてしまう死戦期呼吸のことを多くの人に知ってもらいたい。
息が止まっていれば、すぐに心臓も止まる。現場に居合わせた人は、あえて患者の脈に触れる必要はなく、息をしているかどうか、だけを目で見たり耳で聞いたりして判断すればいい。講習会でも死戦期呼吸を教えるときは動きが大げさになりがちだが、実際には分かりにくい場合もある。突然の事態に直面した一般の人たちに冷静な判断を求めるのは無理だろう。息をしていないことが疑われるときは、一刻も早く胸骨圧迫をしたり積極的にAEDを使ったりすることが大切だ。
日本のAEDの普及率は世界でもトップクラスだ。的確な設置場所やきちんとした保守管理など課題はあるが、使い方はよく知られるようになった。消防白書によると、2015年に病院外でAEDが実際に使われたのは約1100件で600人ほどの究明につながった。だが、蘇生措置を行えた可能性のある人は数万人とみられ、市民の的確な判断と行動なくして救命率の向上はない。
人が倒れた現場は混乱し、AEDの音声支持も聞き取りにくいだろう。電気ショックのボタンを自ら押すことをためらう心理も働く。居合わせた人がAEDの電極を患者に貼り付けさえすれば、ボタンを押す必要もなく、自動的に除細動をする「全自動」AEDを開発し、早く導入すべきだ。技術的には可能で、間違って放電されることや救助者の感電を防ぐ方法もある。メーカーや行政は積極的に取り組んでほしい。
胸骨圧迫やAEDの使用では、衣服を破ってでも脱がすなど患者のプライバシーが守れない場合がある。
一般の人が処置をためらったり、蘇生がうまくいかなかったりした時に責任を問われることを恐れるという気持ちも考える必要がある。
こうした背景には100%の安全と結果責任を追及する最近の日本の風潮があると思う。市民の善意を生かし救命率を上げるためには、米国やカナダなどのように「緊急事態に直面した善意の処置者は、その結果に対して責任を負わされない」という「よきサマリア人の法」の整備が必要だ。

 私の視点より----聖路加国際大学院特任教授・宮坂勝之

善きサマリア人の法(よきサマリアびとのほう、英:Good Samaritan laws
とは
「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という趣旨の法である。誤った対応をして訴えられたり処罰を受ける恐れをなくして、その場に居合わせた人(バイスタンダー)による傷病者の救護を促進しよう、との意図がある。
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鎌倉末期、京の都で疫病が猛威をふるった。
知恩院の高僧が後醍醐天皇の命を受け、念仏を7日間で100万回唱えたところ、感染が収まる。この言い伝えが各地に広まったのが「百万遍念仏」である。
車座になった人々が10㍍を超すような長い数珠を手から手へ回し、念仏を唱える。「疫病退散」「家内安全」。願いをこめ、百万遍の祈りはいまも各地で続く。
「1日1000万回」。菅首相が新型コロナワクチン接種をめぐり、新たな目標を唱えている。すべての高齢者が2回の接種を終える期限を7月末と定め、逆算した数字らしい。だが実現の道すじはまるで見えない。
連日のように接種をめぐる混乱が続く。予約の電話やサイトがつながらず、困り果てたお年寄りが続々と市町村の窓口へ。高齢者向けの接種は本格化したばかりで、まだ1日あたり5万回に届かない。それをいきなり「百万遍」にと号令されても、現場は疲弊するばかりだろう。
ふりかえれば幾度も誓ったり約束したりしてきた首相である。昨秋の就任会見では「来年前半までにすべて国民に行き渡るワクチンの確保をめざす」。年明けに緊急事態を宣言した日は「1カ月後に必ず事態を改善させる」。残念ながらどれも実現していない。
当方に順番が回ってくるのはいつか。成人で最後の接種者になると仮定して手計算すると、「百万遍」の約束が果たされた場合はこの10月にも。万々一いまのペースのままなら4年後と出た。行く道が遠すぎて目まいがする。

 天声人語より
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エネルギー基本計画
再エネ倍増の方針に期待する。

素粒子より
しかし、コストが4倍にもなるという試算が示され、全面的に賛成とはならない。
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「こちらは発熱外来」「面会禁止」。きのう訪れた東京都立川市の立川相互病院の1階にそんな案内があった。
2、3階の窓には、真新しいメッセージが貼られている。「医療は限界 五輪やめて!」「もうカンベン オリンピックむり!」。
病院によると、掲示したのは先月末。昨年来、重症を含む242人のコロナ患者の入院治療にあたってきた。「ギリギリの人員配置で、将棋倒し的に医療崩壊につながりかねません」。
病院が声を上げざるを得なくなった理由の一つは、五輪の大会組織委員会が先月、看護師500人を派遣するよう日本看護協会に要請したことだ。医療従事者たちからたちまち疑問の声が上がる。「看護は犠牲的行為であってはならない」。ナイチンゲールの名言を引用した投稿がSNSを駆けめぐった。
五輪への派遣を要請された日本看護協会はこの3月、『ナースたちの現場レポート』を刊行している。コロナと格闘してきた看護師ら162人がこの1年の思いをつづった手記集である。
描かれたのは、自分からわが子に感染したらどうしようという不安。最期のオンライン面会で泣き叫んだ遺族の悲痛な声----。未曾有の感染症と対峙する看護師ならではの悩み、迷い、そして使命感を伝える。
緊急事態宣言が延長され、国際オリンピック委員会の会長すら来日を延期するという厳しい状況下で、あす「看護の日」を迎える。危機に直面した看護力をスポーツの祭典に回すなど、もはや現実の話とは思えない。

 天声人語より
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コロナ対策
また、相次ぐ自治体の措置要請を、国が追認する展開なのか。
まん延「防止」というより「確認」するみたいに。

素粒子より
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