JR福知山線脱線事故の発生直後・・・
 2010年5月11日、JR福知山線脱線事故の発生直後、救助のためいち早く現場に駆けつけた男性がいる。この5年、悲しみとともに現場に立ち尽くす人たちを見つめてきたのである。5年前の2005年4月25日午前9時18分、70歳の男性は、経営する兵庫県尼崎市の鉄工所の前で、知人と携帯電話で話していた。そのとき、目の前の線路を快速電車が車体を大きく揺らしながら、猛スピードで走り抜けていった。ジェット機のような轟音(ごうおん)。続いて砂煙が立ち上がる。電車は、南へ約100メートル離れたマンションに突っ込んで大破していたのだ。「脱線だ」。マンションに向かい無我夢中で走った。血だらけの負傷者が車両からはい出てきた。「お母さん、痛い。助けて」。車内からは若い女性の振り絞るような声が聞こえた。急いで鉄工所に引き返し、ぬれタオルや包帯を手に戻ったときには、もう女性の声は聞こえなかった。「なぜ、こんなひどい目に遭わなければならないのか」。心の底から、悔しさがこみ上げてきたのだ。乗客106人の命が奪われた惨状は目に焼き付いたため、食事はのどを通らず、夜中に大きなうめき声を上げて飛び起きることもあったのである。転機は約1年後に訪れた。事故で交際相手の女性を亡くした若い男性との出会いだった。「現場を見るのが怖くて近づけなかった」。やっとの思いで打ち明けた男性に、70歳の男性は事故の様子をつぶさに話した。「聞けてよかった」。男性はほっとしたような表情を浮かべ、涙を流して帰っていった。「事故の恐ろしさを伝えるのが、現場を目撃した者の使命」。灰山さんは事故の再発と風化の防止を願って、自身の経験を語り継ぐ決意をしたのだ。現在でも精神的苦痛にさいなまれている方々が多くいる。西日本旅客鉄道株式会社の社員は、このことをどう思っているのか、特に経営陣に聞きたいものである・・・(佐々木和夫)